「女の敵は女」の対立軸が消えるとき
この書籍の執筆前後に、何人ものワーキングマザー、専業主婦、そしてときにその配偶者たち、そして数人の主夫経験者への取材を行った。それを経て、俯瞰してみて思うことは、とりわけ3歳までの子どもを抱える家庭は、専業も、共働きも、両方それぞれにしんどいところがあるということ。
マートンという社会学者が「準拠集団」という概念を使って「相対的不満(相対的剝奪感)」という理論を展開している。
人は自分の置かれている絶対的な環境よりも、誰かと比べて「この人たちより不利な境遇にあるが、あの人たちよりは恵まれている......」というように「相対的」な不満を抱えるというものだ。
そのときに、比べたり規範に従ったりする対象のことを「準拠集団」というのだが、人が準拠させる集団は、所属している集団に限らない。
高度経済成長期に多くの家庭で妻が専業主婦になっていった時代、多くの女性にとって、専業主婦は「選ぶ」ものというよりは、「自然な流れ」だったに違いない。
均等法以前にも稀にパイオニアの職業婦人はいただろうが、その数少ない層は「私だってああいう風になれたかもしれない」という「準拠集団」には、なりにくかったのではないか。
ところが、今は、専業主婦、共働きにとって、お互いが「もしかしたら自分だって選べたかもしれなかった選択肢」だ。
子どもの出生年別の妻の就業経歴を見ると、昭和60年〜平成元年でさえ、そもそも妊娠前から無職のケースが35%で、37%が出産を機に退職している。これが平成22〜26年となると、何らかの形で就業継続している層が全体の38%と拮抗してくる(図5)。
だから、相対的な不満、「相対的剝奪感」を感じて、選んだ選択肢に自信がなく、どこかで後ろめたさを覚えるのかもしれない専業主婦も、共働きも、「もしかしたら自分だって選べたかもしれなかった選択肢」であったと同時に、「いつ自分がそちら側に行くかわからない選択肢」でもあるはずだ。
それが誰にでもいつでも選べるものなのであれば、選べなかったことを後悔したり、選ばなかった選択肢の価値を引き下げたりする必要もない。
専業主婦の期間を経て再就職する人や、フリーランスのような柔軟な働き方をする人が増えている。真の意味で多様な選択が可能な社会になったとき、専業主婦とワーキングマザーといった対立軸や主婦論争は、ようやく終わりを告げることになるのではないだろうか。