陶芸家・SHOWKOが器をわざと割る理由 金継ぎに学ぶ「心の修復法」
2026年02月25日 公開
陶磁器が割れてしまったとき、それを修復する方法として「金継ぎ」があります。
破片を継ぎ合わせて金粉などで装飾し、割れ目を「景色」として愛でる技法で、陶芸家のSHOWKOさんは、人の心も同じく「傷や失敗をなかったことにする必要はない」と語ります。
つらいことや悲しいことがあったとき、どのようにして自分の感情と向き合えばよいのでしょうか。
SHOWKOさんが実践している言語化の方法を教えていただきます。(取材・文:キムラミワコ)
※本稿は、『PHP』2026年1月増刊号の内容を一部抜粋・再編集したものです。
傷を隠すのではなく、生かす
私は器のデザインや陶板画の作品制作をしていまして、作品の一つに、陶磁器の破片を金継ぎの技法で継ぎ合わせたものがあります。
仕事柄、器が割れることには慣れていますが、ものが壊れていく音というのは、やっぱり聞きたくありません。誰かと使った思い出が詰まった器だったら、なおさら悲しくなります。
そんな形あるものが壊れる悲観的なイメージを払拭してくれるのが金継ぎです。
日本古来の伝統技法で、割れた陶器の破片を漆で継ぎ合わせて、金などの金属粉を蒔(ま)いて装飾します。
傷を隠すのではなく、生かす。今を生きる人たちの背中を押すような、見た人の活力になってほしいという想いからつくりはじめました。修復したところを「景色」と呼び、あえて柄のように目立たせる美意識もすてきだなと思います。
金継ぎをするのは、大切なものを手放したくないから。壊れた事実も、修復に費やす手間や時間も含めて、手元に存在していることに癒やしを感じるのでしょう。
私の作品制作は、一度つくった陶磁器を意図的に叩き割ることからはじまります。割るのは一瞬ではかないものですが、散らばった破片の美しい佇まいに、思わず見惚れてしまいます。
そして、割れた破片を継いでいくと、新品のものよりも不思議と存在感が増して、エネルギーを感じるのです。
私たちも同じではないでしょうか。悩んだり、悲しい経験をしたりすることで、より強くなれる。傷や失敗をなかったことにする必要はないのだと思います。
言語化してノートに書き出す
つらく悲しい出来事で心が割れたとき、私はそのネガティブな感情を言葉にして書きとめます。誰にも話せない悩みや、気持ちの整理がつかないときなど、負の感情を自分の中にとどめておくのは精神的によくないので、言語化してノートに書き出すのです。
書くことは、「いったん落ち着いてみようか」という自分自身への声がけでもあります。起きてしまった出来事や誰かを恨み続けるのではなく、自分のために書くことで、心も癒やされます。
そして、気持ちが落ち着いたら、「なぜ?」と問いを重ねていきます。たとえば誰かに怒っているときに「腹が立つわー!」など、感情を吐き出したら、その言葉を見返して「なぜ腹が立ったのか」と問います。相手にしてほしかったことなど、怒っている理由を書き出します。
そうしたら今度は「なぜそうしてほしかったのか」と次の問いにつながっていきます。これ以上因数分解できないくらい、納得のいく「素数の答え」になるまで、自分の感情を何度も問い続けるのです。
すると、自分の気持ちを俯瞰して見ることができますし、自分が置かれた状況を理解することもできるようになります。
割れた破片を継ぐように、小さく分解した言葉を一つひとつつないでいきます。ネガティブな感情と向き合うことで、心の器は大きく、より強くなっていくんだと思います。
気持ちを書きとめたノートをのちのち見返したとき、自分の成長や環境の変化にも気づくでしょう。また、心の傷みを知っていることで誰かの支えになれるし、状況に適した言葉もかけてあげられると思うのです。
だからといって、自分を追い詰めてはいけません。粉々になった陶器が修復できないように、心も粉々に打ち砕かれてしまうと立ち直れなくなります。「もうダメ」と行き詰まったときは、執着せず手放せばいい。その場所から逃げることがあってもいいのではないでしょうか。
出した答えを正解にする
4年前(※)、人生でいちばんつらい出来事がありました。それは10年間一緒に過ごした夫とのお別れです。幼い2人の子供を抱えて住む場所にも困り、「これからどうしよう」と......。
このときも切なさや不安をたくさん言葉にして、何度も問い続けました。気持ちを整理していく中で、家族や人とのつながりについて考えました。
このような折、たまたま知り合った方とその友人の方2人と、同居することがありました。私と子供、合計5人での暮らしです。新しい家族の形かもしれませんが、コロナ禍でも笑いがある楽しい日々を過ごすことができました。
そんな「拡張家族」は、お互いを縛ることなく、場所や知識をシェアしながら一時的に時間を預かり合うことで、ちょうどいい具合に助け合うことができる関係です。
家族って近い存在だから頼ってしまうし、執着してしまいます。「同じ時間や場所を共有している」くらいの気持ちでいるほうが距離感としてベストなんだとこれまでの経験から思いました。
人づきあいも一緒で、いろんなことに深入りすればするほど関係はネバネバしてきます。サラッとした関係を心がけるほうが、相手に対して思いやりが持てるような気が今はしています。
それは相手を信頼していないということではなくて、一方的に期待したり求めすぎたりしないということ。もし別れが訪れたら、最後は相手の幸せを願ってあげられることが大事だと思うのです。
こうした人づきあいの方法にかぎらず、何事においても、自分が選択したことが正解かどうかはわかりません。でも、何度も自分に問いかけて、気持ちを整理して、見つめ直して決めたことであれば、決めたあとは、出した答えを正解にしていくように歩んでいくと、きっと大丈夫なのではないか。私は今、そんなふうに考えています。
※2022年当時