誰もが「さみしい」という感情を持っています。しかし「心の弱い人だと思われるのでは?」「ネガティブな感情に巻き込んだら迷惑をかけるのでは?」といった心配が先行し、なかなか「さみしい」とは口にできない人も多いでしょう。脳科学者の中野信子さんは「大人だってさみしい」のではなく、「大人だからさみしい」ということがある、と語ります。大人ならではの「さみしさ」の根底にあるものとは?大人世代が直面する孤独の正体を明らかにし、心の拠り所である「安全基地」を持つことの重要性を提示します。
※本稿は、中野信子著『「さみしさ」に負けないための脳科学』(アスコム)より一部抜粋・編集したものです。
大人世代に必要なのは心の「安全基地」
成人する。
親から独立する。
社会人となる。
「大人」になって自立すると、親や養育者の庇護下にいた頃とは違った、様々なさみしさを感じることになります。
「大人だってさみしい」 のではなく、「大人だからさみしい」ということが起こってくるのです。
とはいえ、「さみしい」と簡単に口に出しにくい社会にわたしたちは生きています。
いまの時代は、子ども時代や思春期とはまた違ったさみしさを抱えながらも、他人にはさみしいことを吐露できる環境になく、さみしさを悶々と抱えながら生きている大人が相当数います。
たとえば、大人になればたくさんの出会いと別れを経験します。
仕事で出会い別れる人の数は、子ども時代の比ではありません。
1つのプロジェクトが進行しているあいだは、寝食をともにするほど密に過ごしていた仲間と、それが終われば二度と会わないこともあります。
異動や転勤も普通のことですし、「みんなとはお別れか...。次の職場では、どんな人たちが待っているのだろう」、そんな期待と不安の入り混じった感情を抱くことも多いでしょう。
1つひとつの別れに対しては耐性がついて、大きなストレスは感じにくくなっていくかもしれませんが、そのこと自体が人と人との距離の遠さを感じる要素ともなっていきます。
もちろん、少なからぬ人が、恋愛でも出会いと別れを経験していくことでしょう。また、家族関係も同様です。結婚する人もいれば、離婚する人もいます。
「結婚したくない」「子どもも欲しくない」などといっていた友だちが1人、また1人と結婚したり、子どもが産まれたりすると、おめでたいという気持ちもありながら、自分とは違うフェーズに行ってしまったようで取り残された感じがする。そんなさみしさも、大人ならではのさみしさといえるかもしれません。
現代社会では、常に追い立てられるように時間が過ぎていくため、深い人間関係を築く時間もなかなか取れず、様々な人たちとの出会いと別れを繰り返していきます。
ふと自分を見つめ直すと、心から付き合える人はいなくて、自分は1人であることに気づいてしまう。仕方がないと思いながらも、ふと湧いてくる情動を持て余してしまうこともあるでしょう。
アメリカの発達心理学者メアリー・エインスワースが1982年に「安全基地」という概念を提唱しています。これは人間の愛着行動に関するもので、子は養育者との信頼関係によって、いつでも戻ってきたときには安心して迎え入れてもらえるということを知ることで、外界を探索することができる、という考え方です。
近年ではこの概念は大人にも適用できると考えられており、それに則るのならば、安心してなにごとかに挑戦していけるというのは、この安全基地を持っているかどうかに係ってくるといえます。しかしながら、現実的には、職場も家庭も、必ずしも安心できる居場所とはなっていないこともあります。
大人にとってのさみしさは、別離だけではなく、自分の限界を知ることや、それまであった能力の喪失、心の拠り所である安全基地をうまく持つことができなかったり、見つけられなかったりすることなどをとおして、折々に湧きおこってきます。
役割を失っていくことによる不安と孤独感
日本の企業が終身雇用であるといわれていたのは、長らく、平均寿命の年齢より定年が上だった時代が続いたという要因が無視できません。
明治から昭和のはじめにかけて、企業で55歳定年制がはじまりました。現代では想像するのも難しい話かもしれませんが、当時の平均寿命は40代半ばから50代前半でした。定年が来る前に寿命が尽きることも多かったわけで、まさに終身雇用という言葉が文字どおり実現されていた時代でもありました。
戦後、平均寿命が延びたため、寿命と定年の逆転が起こり、1970年代になると、平均寿命が70歳を超え、定年後の「老後」が長くなってきます。
企業の定年は、1980年代に60歳、2013年に65歳(公務員は2023年4月1日から段階的に引き上げ)になりましたが、寿命ははるかに長くなっていますから、定年後をどうやって生きるかが、個人としても、社会的にも問題となっていきます。
以前は55歳、あるいは60歳が定年で、年金もしっかりありましたから、老後はつつましやかながらものんびり、といった人生があったことでしょう。
ところが、これからはそういうわけにはいきません。
年金制度は親たちの世代で限界を迎え、若い人たちのなかには、すでに年金を受け取ることを期待すらしていない人も多いようです。
「好きな趣味三昧」という老後は、ごく一部の恵まれた人に限られたものになるのかもしれません。
そんな時代を生きる60代ですが、かつて夢見たであろう老後というのは、いまははるか先の話です。定年を迎えたあと、会社から放り出されて、これからどうやって生きていけばいいのか。いまの会社に非正規として延長雇用されるか、別の働き口を探すのか...そんな不安を抱える人もいます。
一方で、心身の加齢による変化も著しくなってきますが、それを感じさせないほど元気で、気力に溢れている60代の人も数多くお見受けします。
おそらく、若い頃に比べれば体力に自信がなくなり、記憶力などの能力の衰えを意識することもあるのかもしれませんが、周囲が驚くほどエネルギッシュに、若々しく過ごしている人も多いように思います。
60代は体力や能力の衰えよりも、むしろ役割を終えるさみしさが強くなっていく時期でもあります。
部長ではなくなり、上司ではなくなり、会社員でもなくなる。
こうして少しずつ役割を失っていくことに、孤独を感じてしまうのです。
「まだまだやれる!」という意識と、社会から世代交代を迫られる圧に揺さぶられ、迷いを感じることも多い時期かもしれません。
年をとると怒りの感情を抑制するのが困難になる
70歳になると、保険証とは別に「高齢者受給証」が交付され、75歳になると後期高齢者となります。病気や死が、自分自身も含めてますます身近になってくる年代です。
人生100年時代に大事なのは健康寿命で、その分岐点になるのが70代だといわれています。
以前に東京大学が行った調査によれば、男性で70%、女性で88%の人が、70代の半ばから自立する力が衰えはじめ、なんらかのサポートが必要になってくるとしています(『東大がつくった高齢社会の教科書:長寿時代の人生設計と社会創造』東京大学出版会)。
70代になると、体の自由も徐々に利かなくなり、若い頃のようにはいろいろなことができなくなります。しかし、経験は豊富で、知識の蓄積もあり、経験や知識による理解力、考察力、適応力といった知能は若い人に比べて劣っていないどころか、むしろ優れている部分もあります。
よく、「すぐに名前を思い出せない」「頭の回転が鈍った」などといいますが、それは、あくまでも知能の一部でしかありません。
なかでも、言語性知能と呼ばれる、言葉を使って表現したり、考えたりする知能は、年を経るごとに向上していくとされます。体の活動能力は低下していくものの、知能の活動能力はむしろ高まっていく時期といえるでしょう。
そのため、老いの悲しみ、失われるさみしさの反動で、自分の能力や経験をひけらかし、説教したり、叱ったり、文句をいったりしがちになるということにも気をつけなくてはならないフェーズに入っていきます。
こういった傾向が現れてくるのには理由があり、人の精神面に大きな影響を与える神経伝達物質であるセロトニンの合成量が加齢により減少してくることで、怒りの感情を抑制することが困難になるのです。
セロトニンは、食事や日光浴でも補うことができるので、バランスの取れた食事や散歩などを心がけるのもひとつの手です。
高齢者の知識や経験、それらに裏打ちされた知能は、本来、尊敬されるべき能力ですので、ぜひとも、その能力を有意義に活かしていただきたいものです。