なぜ『オートファジーの謎』を書いたのか
平成20年度の朝日賞のひとつは「細胞内分解系オートファジーの分子機構の解明」に貢献した大隅良典教授(当時・基礎生物学研究所教授、現・東京工業大学教授)へ贈られた。さらに平成21年5月には「週刊少年シャンプ」の漫画のなかで、あるヒーローのオートファジーが活性化される場面が登場した。
これまで生命科学者の中でさえ知名度の低かった「オートファジー」が、一般の方々の目にもとまるようになってきた。実は、オートファジーはいま最も熱い研究領域のひとつなのである。
本書の目的は2つある。1つめは、このオートファジーという大変ユニークな細胞機能を説明することそのものにある。オートファジー(autophagy)とは私たちの細胞の中で起こっている大規模な分解作用のことである。オートファジーという用語はギリシャ語の「自分」(auto)と「食べる」( phagy)を組み合わせたもので、文字通り自分を食べるという意味をもつ。
日本語では「自食作用」と訳されることもある。これは細胞丸ごとを食べてしまうようなものではなく、細胞内の一部を少しずつ、しかし時に激しく、分解する(食べる)行為を指す。細胞が自分を食べるというと驚くかもしれないが、決して危険で自虐的なものではない。むしろ私たち生物の営みにとって必要な作用なのである。
リサイクルというテーマが社会的にも重要視されているが、オートファジーはまさに細胞内のリサイクルの重要な担い手であるとも言える。オートファジーはいまだ大学の教科書でもほとんど取り上げられていないが、現在、急速に注目されるようになってきている。
さまざまな生命現象を語る上ではもはや不可欠であり、広く知られるべき科学トピックスのひとつである。特に、我が国は世界的にもオートファジー研究のメッカであり、世界中の研究者が日本から発信される成果に注目しているといっても過言ではない。
2つめは、劇的に展開するオートファジーの研究を現在進行形で解説することによって、生命科学者の仕事を紹介することにある。筆者はまだ40代半ばであり、このようなメッセージを送るのには全く僭越であることは承知している。
しかし、爆発的に進展している科学分野にたまたま居合わせることができた1人として、現状をリポートしてみたいと思う。その興奮は今後、よりピートアップするかもしれないし、その逆になるかもしれない。
しかし、それがわかってから書くのでは、肝心なことが伝心らない気がしている。現在よく耳にすることは、初等教育における理科離れ、日本人の科学的リテラシーの低下、大学・大学院の質の低下、医師の強い臨床志向など、どれも今後の科学の将来を憂えるものばかりである。
しかし、本当にそうであろうか。小学生が将来なりたい職業としては、学者・研究者は今でも人気があると聞く。実際に職業を決める頃にその人気が低下してしまうとしたら、それに私たちの責任でもあるはずである。
そこで、本書ではまず一通りオートファジーの慨論を説明し、その後にオートファジーの発見に至った経緯などに触れながら、個々のオートファジーの役割について解説を試みることにしたい。
オートファジーというひとつのキーワードを携えて、酵母からヒトまで、さらには卵子から神経細胞まで、いろいろな分野を縦横無尽に旅することになる。それによって、単なる教科書的な生命科学の一分野の紹介にとどまらず、研究という創造的活動の面白さや興奮を伝えることができれば幸いである。
【水島昇(みずしま・のぼる/東京大学教授】
1966年、東京都生まれ。武蔵高等学校卒業。東京医科歯科大学医学部卒業。同大学大学院博士課程修了。基礎生物学研究所(岡崎市)にて大隅良典教授の下でオートファジーの研究を開始、東京都臨床医学総合研究所副参事研究員、東京医科歯科大学教授などを経て、現在、東京大学教授。
酵母から哺乳類へとオートファジーの研究を展開している。2008年度日本学術振興会賞受賞、2009年度井上学術賞受賞、2010年度日本生化学会柿内三郎記念賞受賞、2011年度武田医学賞受賞。