考えるノウハウ・技術
「分析と総合」の2つの目で見る
「分析と総合」という2つの目をもつと、途端に視界が開けてくる。それはいわば「虫の目と鳥の目」の両方を持つことにほかならない。
「分析」とは、物事を構成している要素をバラバラにして検証してみる方法であり、「総合」とはその反対で、個々の要素を全体的にまとめてみて意味を見出す方法である。
他方、「虫の目」とは、虫のように細かい部分を見るということで、逆に「鳥の目」とは、空から広い範囲を見て、大まかに全体像をつかむということである。「木を見て森を見ず」というのは、この鳥の目を欠いている状態だ。
したがって、この場合「虫の目」が分析で、「鳥の目」が総合にあたる。物事の本質をとらえるためには、つぶさに詳細を分析するのと同時に、全体像を見失うことなく常に総合的に事態を把握していく必要がある。個々の物事はそれ自体で意味があるのではなく、あくまでも全体の中ではじめて意味をもつからだ。
「虫の目」に要求されるのは、各々の現象をできるだけ違うものとしてとらえて、特徴をつかんでいくことである。最終の目的だけに引きずられると、ついつい違いをごっちゃにしてしまいがちである。それでは分析にならない。他方で「鳥の目」に求められるのは、視野に入れるべき輪郭を不必要に広げないことである。こちらは逆に、目的を見失わないようにすることではじめて可能になる。
とはいえ、どちらも決して難しいことではない。詳細の分析であろうと、全体像の把握であろうと、それぞれ集中してやれば何のことはない。いずれも人間の能力として備わっているものである。問題は、これらを同時にやらなければならないという点にある。これは意外と難しい。
その代わり、「虫の目」と「鳥の目」の2つの目を同時にもつことで、個々の問題はあたかも自分の手のひらの上で展開するできごとを見るかのように掌握可能になる。そう、もはやこれは「神の目」である。とりわけ複数人で話をするときに、この視点が役立つ。
議論を主導し、議論の調整を行うファシリテーターには、総合的な目で全体の流れを見据えつつ、同時に個々の意見をよく分析しながら、建設的な結論へと議論を集約していくことが求められる。この役割が中途半端だと、全員が傍観者になってしまい、単なるおしゃべりで終わってしまうからだ。
私は市民が参加する「哲学カフェ」を主宰しているが、いつもこの分析と総合を意識しながら対話を展開するように心がけている。おかげで、議論が散漫にならず、いつもうまく着地させることができている。鳥の目は大事だが、着地できない鳥ではしゃれにならないので……。
「4つの先入観」に注意する
先入観が邪魔をして、冷静に物事を分析できていない人はいないだろうか。そんなときこそ、先入観が生じる4つのパターンに当てはめて取り除いてもらいたい。
先入観というのはとにかく邪魔になる。つまり思い込みである。ある一定の方向に思い込んでしまっているということは、正しい思考ができないということである。これはもう脳が制御不能になった状態に等しく、危機であるといえる。それゆえにその除去作業が重要になるのだ。
まずは「種族の先入観」である。これは、感覚などにより自然の動きを誤ってとらえてしまう、人間という種族に共通する特有の先入観である。
2つ目は「洞窟の先入観」である。これはあたかも洞窟に入り込んだかのごとく、個人の習性が原因で、物事を常に自分の都合のいいように解釈してしまう先入観である。
3つ目は「市場の先入観」である。これは、言語の不適切な使用に基づくもので、市場で耳にした噂話を簡単に信じてしまうようなパターンの先入観である。
最後は「劇場の先入観」である。これは劇場で演じられているものを、ついつい本当の話と信じてしまうがごとく、権威あるものをそのまま受け入れてしまうような先入観である。
たしかにいずれも身に覚えのある先入観ばかりである。人間というのは感覚の動物なので、種族の先入観がいわんとすることはよくわかる。また、誰しも物事を自分の都合のいいように解釈しがちであるから、洞窟の先入観も皆陥りそうな罠である。
市場の先入観についても、言葉というものは不思議なもので、公の場で耳にするとついつい信じてしまう。そして今は市場というよりも、やはりネット上に氾濫する言葉に注意する必要があろう。劇場の先入観はいうまでもなく、映画やゲームのようなバーチャルな世界からの影響が大きいだろう。
私も例外ではないが、最近はまだましだ。なぜなら、哲学を通じて、自分で思考する訓練を相当積んできたからでる。以前はひどかった。テレビで観ただけなのに、まるで科学的証明でも経た説であるかのごとく信じ込んでいた。そういえば、変なダイエット法に騙されたこともあった……。
とりわけ流行しているものには注意が必要だ。これほど先入観を取り除いて事態を見据えるべき事柄はない。みんなに乗り遅れてはいけないという気持ちがメガネを曇らせるからである。その意味で4つの先入観は非常に有益な概念であるといえる。
何しろ、素人が流行を分析するときというのは、感覚が頼りだし、都合のいいようにトレンドやデータを解釈する。また口コミなどの言葉を容易に信じるし、権威に弱い。いかに優れた分析ができても、入り口のところでメガネが曇っていてはどうしようもない。まずは4つの先入観を取り除くことでメガネを磨いてもらいたい。
ちなみに、先入観のことを「イドラ」と呼び、排除する必要性を説いたのは、イギリスの哲学者、フランシス=ベーコンである。そして、前述した「4つの先入観」に対応する「4つのイドラ」として類型化した。「知は力なり」という言葉を残しただけのことはあって、常に真の知を求め続けた人物であったといえる。
<書籍紹介>
小川仁志 著
「絶対的な正解なき不透明な時代」を明るく生き抜くための思考ノウハウを、人気哲学者が伝授。自分の頭で深く考えるためのヒント。