無意識のうちに人生に“コース・ロープ”を引いていないか?
2018年05月24日 公開 2019年04月23日 更新
私たちは無意識に自らの「可能性」をせばめてしまっている
日々を生きるときに、自分はプールで泳いでいるのか、それとも海で泳いでいると感じているのか。
実際に海で泳ぐということは、なかなかこわくてできそうもない私だけれども、メタファーとしての区別は、常に自分に問いかけたいと思う。
組織、肩書き、習慣。さまざまなものが、私たちの泳ぐ現場を「プール」に変える。
本当は、どっちの方向にも歩いていけるのに、可能性はいろいろあるのに、これまで歩いてきた方向と、九十度違う方向にも行けるのに、私たちは、まるでそうすることが偽りの熱情であるかのように、昨日までやってきたことをやり続ける。
プールじゃなくて海で泳いでいたとしたら、いろいろな可能性を感じることができる。あんなこともできる。こっちにもいける。自分の情熱を、まるで海底火山の噴火のように、あちらこちらへと、遠慮なしに、ぶちまけることができる。
コース・ロープもない。監視員もいない。そして、見渡せば、不思議な姿、かたちをした魚たちが泳いでいる。それらは、自分の心のなかにさえあるかもしれないのだ。
人生は、プールで泳いでいるのか、海で泳いでいるのか。
実際の海で泳ぐということができない臆病な私だとしても、人生においては、できればコース・ロープのない海で泳ぎ続けていたいと思う。