「上司より部下の専門性が高い時代」 だから成長する"評価"の無い企業
2019年03月05日 公開 2019年07月10日 更新
そもそも評価で人を働かせるのはコストパフォーマンスが悪い
単純労働であれば、目標設定はかんたんだったし、ほかの人とも横並びで目標設定と評価もしやすかったはずです。
だれがやっても同じで、やればやった分だけ成果になるし、サボったらその分が成果にならないのですから。
しかし、創造性が求められるような現代の仕事では、そうかんたんに目標設定も評価もできません。単純に個人ごとの売上だけで評価をしようとすると、助け合うチームワークは崩れてしまいます。
チーム全体のパフォーマンスを上げるような縁の下の力持ち的な仕事を評価することもできません。
私たちのやっているプログラミングという仕事も、評価の難しい仕事です。プログラムは精密機械のようなもので、適当に作ったら後から不具合で全体に悪い影響を与えてしまいかねません。
しかし、そうした品質の高さが評価されるのは、何か問題が起きた将来のことです。だから、短期的に評価されるのであれば、どうしても品質の優先順位を下げてしまうことになるのです。
また、いまどきの仕事は、上司よりも部下のほうがくわしくなっていたりします。特に専門性が求められる仕事になると、上司には詳細までは理解できないことも多くなっています。
階層を上がれば上がるほどに、部下の仕事の種類は多様化していくので、自分のくわしくないことまで評価しなければなりません。結果、わかりやすい数字でしか見れなくなってしまうのです。
そもそも悪い評価になってしまったら、ただやる気を失ってしまうだけで、「がんばろう」とか「見返してやろう」なんて気持ちになって奮起するのは難しいです。
もし奮起してがんばってほしいのなら、フィードバックをすればよくて、悪い評価を使う必要などないでしょう。また、いい評価だったからやる気が増すかといえば、それも一時的なもので、ずっといい評価だったことを引きずってがんばり続けるなんてこともありません。良い評価も悪い評価も、そのときだけの効果しかないのです。
評価によって人のやる気をコントロールしようとするのは、大きな手間をかけて評価する大変さに比べて、あまりにも得るものが少ないのではないでしょうか。
評価をなくして、どうやって報酬や昇格を決めるのか
私たちの会社でも、プログラミングで問題解決する仕事を評価する難しさと、評価がもたらす弊害を考え、評価をなくすことにしました。
評価をなくし、どうやって報酬や昇格を決めるのか? 私たちがとったのはシンプルな解決策でした。
「職種ごとに基本的に給与はほぼ一律にして、賞与は山分けにする」
評価をなくしたことで、形骸化してしまいがちな評価面談も、本質的でない目標設定もなくなり、マネジメント側の負担も大きく軽減されました。
評価を気にして社内で気に入られるようなことをする人はいないから、社内政治は生まれません。上司の顔色なんて見ないで、自分が担当するお客様に向き合えるし、出世のためとか余計なことを気にすることもなくなりました。
苦手なことは苦手なことだと表明しても評価が下がることがないので、「自分の得意なところで活躍して、助け合おう」という気持ちにもなります。
チームとしての生産性は向上しました。新しいことに取り組めるようになったし、評価する側とされる側の関係が解消して心理的安全性も保たれるようになりました。なにより、上司や管理職がいなくても成り立つ組織にすることができたのです。