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生き方

親との関係が生み出した「嫌われたくない病」に苦しむ人々

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2020年05月08日 公開 2023年07月26日 更新

 

人に好かれないのは、嘘をついてるから

人と話している時、自分が心から楽しいと思えばたいてい相手も楽しいと感じているのではなかろうか。

われわれにとって与えることはまた受けることにも通じるし、受けることは与えることにもなる。

この与えると受ける、が正反対になっている人は搾取的な性格なのではなかろうか。

相手を楽しまそうとするつらい努力などしなくても、自分が相手といることを心から楽しいと感じることができれば、それは相手に楽しみを与えることになっている。

そしてそのような関係において人間の情緒は成熟していくのではなかろうか。

ところが、人から嫌われないように、人に好かれるようにしなければならないと強迫的に身構えていては、いつになっても情緒は成熟していかないであろう。

身構える人は他人と心のふれあいがもてない。相手に嫌われないように身構えていては、楽しくない。そしてそのような心のなかの構えは相手に感じとられるであろう。

そうなれば相手も何となく窮屈で楽しくはない。別れてほっとするであろう。身構えることは防衛的になることである。

話し込んで楽しくなれば、相手の前での自分のあり方などに悩むということはなくなる。相手の前での自分のあり方に気を使っていたのでは相手も気づまりであろう。

私は人間の悩みというのは人間を駄目にすると思っている。悩みから脱けだすことで成長するのである。悩んでいる間は成長していないのではなかろうか。

それが自分の悩み多き過去をふり返っての感想である。他人に知覚されている自分に悩んでいるあいだは成長しないが、他人と楽しくすごしているあいだには成長している。

他人と楽しくすごしている、ということは他人と心がふれあっている、ということである。私達は心がふれあうことによって成長するのである。

そして心のふれあいを妨害しているのは何よりも心の防衛的姿勢である。自分の心の底を知られまいと身構えることである。馬鹿にされまいと肩肘張ることである。

心のふれあいを体験した人は、他人から軽蔑されやしないかという恐れがなくなる。つまり心のふれあいを体験できなかった人は、他人から軽蔑されることを恐れて身構える。

身構えることで心のふれあいはできなくなる。逆に心のふれあいを体験できた人は他人を恐れて身構えなくなるので、さらにふれあいの体験をつみかさねていく。

小さい頃から愛されて心のふれあいをもてた人は、対人関係もスムースにいくし、身構えることなく自分の可能性を実現していく。失敗することを恐れない。

失敗した自分を他人がどう見るか、ということを気にしないから、自分の潜在的能力をいかしていく機会を恐れない。人生に対して挑戦的に生きていかれる。

しかし小さい頃劣等感の強い支配的な親に育てられてしまった子供は、心のふれあいを体験していない。

何か失敗すると失望される。大きくなっても他人から馬鹿にされまいと身構える。失敗すると他人に受け入れてもらえないと錯覚する。

このように防衛的になることで他人と心のふれあいを体験することができなくなる。

ますます他人が自分をどう評価するかを気にかけるようになり、ますます身構え、結果としてますます心のふれあいができなくなる。

愛されなかった人は、防衛的になり心を閉ざしてしまうのである。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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