「毒親」のはじまりはアメリカから?
(鬼塚)たしかに子育に迷っている親は多いですね。ただ、親が子育てに戸惑っているとかそういうことは関係なく、子どもはただ抱きしめて欲しいとか、愛されたいと思うだけですよね。
(中野)そうなんです。子育ての分からない親と、ただ愛されたい子どもとの間のすれ違いは、人間の歴史のなかで繰り返されてきました。その問題を解決しようと、人間は親子関係に科学を持ち込みました。
はじめて愛情を科学したのは、1950年代にサルのあかちゃんを布製の代理母で育てる実験を行った、ハリーハーロウです。その結果、哺乳類の愛情を様々な側面を冷静に捉える視点を得ました。
今その実験から70年が過ぎました。家族や人間同士のつながりが、ネットの登場やテクノロジーの発展により大きく形を変えようとしている今、私はもう一度科学によって人間関係を冷静に捉えたいと思っています。
(鬼塚)科学によって、親子関係を見直すのですか。たしかに親子関係は重要なことですが、いままでそれはすごく私的なもので、人の話題になりにくかったですよね。しかし最近では、「毒親」という言葉が流行っているように、人は親子関係を話題にするようになりました。
(中野)まさしく。毒親という言葉は、1989年にアメリカのスーザン・フォワードが『毒になる親』というタイトルの書籍を発表したので、日本でも、毒親という言葉は使われるようになったのだと思います。
毒親とは、子どもを支配し、子どもの人生に悪影響を及ぼす親のことです。心理的ネグレクトや、精神的な虐待、過度の干渉によって子を支配するなど、まさに子どもの成長にとって毒となる振る舞いをする親のことをこう言ったのです。
ただ、個人的には親子問題は人間の普遍的なテーマであるので、流行りと捉えるのには少し違和感があります。
(鬼塚)すみません。流行りだなんて言って。ただ、思うに、毒親という言葉の響きがそうさせたのでしょう。愛すべき「親」に「毒」という言葉を結びつけたこの言葉は、いつまでも耳に残る言葉であります。
(中野)この言葉、使われ始めてからかなりの年月が経っていつにもかかわらず、毒親というテーマへの関心は薄れるどころか、むしろいよいよ強まっているように思います。
その証拠に、ドラマや映画に数多く使われ、それがサブテーマであったとしても、作中に毒親要素が盛り込まれていると、SNSで話題になったり、二次的に記事化されたり、人の関心を惹き付けています。
「毒親」という言葉を知ることで得られる安心感
(鬼塚)そうですよね。毒親の存在が話題になることが増えてきました。ただ、関心はその子どもですよね。毒親の子供はどれだけ親に振り回されているのでしょうか?
(中野)毒親の子どもが、苦しむ親子関係を身近な第三者に相談しても、「親のことをよくそんなふうに言えたものだ」と批判されることがほとんどです。批判する人にとって、旧式の社会通年が正義ですからね。
その正義も理解できないわけではないのですが、実際に苦しんでいる人にとって、このような指摘はまったく的外れな雑音でしかありません。
この第三者のことは放っておけばいいと、私は思うのですが、毒親の子どもは、どうしても、自分が悪いのかもしれない、という気になってしまいがちです。
どんなに毒親だしても、もっと親に愛されたかった、そういう気持ちが子どもなら誰しもどこかにあるのではないでしょうか。
(鬼塚)そういう複雑な気持ちを一生抱えなくてはならないと思うだけで、生きるのが絶望的な気持ちになりますよね。
(中野)親に対して憎しみや恨みの感情を持つ自分自身に悩み、後ろめたさを感じてしまう人は多いです。そう考えると毒親というのは、自分に悪影響を与える親ではなく、自分のなかにいるネガティブな親の存在と言った方がいいかもしれません。
いずれにせよ、好ましくないと親に育てられたと認識する人が毒親という言葉を知り、いろんな議論がなされはじめると、悩んでいるのは自分だけではなかったと心の重みが少しでも軽くなったりします。
すると、苦しむ当人にとって毒親という言葉は、どんな薬よりも副作用が少なく、即効性を持った概念たり得るのではないかと思います。
(鬼塚)毒親を知ることで心を軽くする、ですね。