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生き方

恥ずかしがり屋な人ほど「ずるい人に利用されてしまう」原因

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年05月04日 公開 2023年07月26日 更新

「失敗」か「成功」か簡単に決められない

強迫的に名誉や力を求める人がいる。このような人が名誉を獲得できる機会を前にしてあがる。緊張して夜も眠れないという人は、このタイプである。強迫的に名誉を求める気持ちは、失敗することの恐れとともにある。

つまり思うように成功できなかったときの反応が異常だというのである。うまくいかないことに対する忍耐度がない。うまくいかないことがあるとすぐに冷静さを失う。ちょっとした失敗ですぐに取り乱してしまう。それはうまくいくことを異常に願っていることの裏返しである。

また、すごい社会的成功を願う。たえず他人に好印象を与えないと、人に見下されるのではないかと恐れる人は、好かれる人のポイントを絞っていない。だれにでも好かれたい。対象無差別である。

だから恥ずかしがり屋の人は、まず自分は「だれに好かれたいのか」を考えて、「この人に好かれたい」と好かれたい人を絞る必要がある。だれにでも好かれようとすると疲れる。対象無差別に相手の顔色をいつもうかがっていたら、消耗して死ぬ。

こうして、他人に自分をよく見せようとすること以外に人生の目標がなくなる。だから人以上に失敗を恐れる。失敗したら他人に非難されるかもしれないと恐れる。

その人らしい失敗は失敗ではない。それは短期的な時間展望のなかでは失敗に見えても、長い人生のなかでは成功であることのほうが多い。逆にその人らしくない成功は、長い時間的展望のなかではたいてい失敗である。

霞が関のエリート官僚が自殺をする。小さいころから成功を積み重ねてきたのが、大きな失敗の原因である。もっと早いうちにどこかで失敗していれば、「はたしてこの道は自分が歩くのに適した道なのだろうか」と反省できたのではないだろうか。

つまり簡単に失敗とか成功とか言うが、問題は「何が失敗か?」「何が成功か?」ということである。ある視点から見れば失敗であるが、そのことを別の視点から見れば失敗ではない。

エネルギッシュな人はよく「失敗なんてない」と言う。こういう人を「おかしなことを言う人」と決めつけるのもおかしいのである。問題は自分らしく生きていることが大切であって、失敗とか成功とかは「ない」と言えば「ない」し、「ある」と言えば「ある」。

私のお気に入りの詩で、ネブラスカの修道院の修道士が晩年に書いたものがある。

――もう一度はじめから生きなおせるとしたら、今度は失敗を恐れないようにしよう。力をぬいて、頭を柔らかくして、いままでよりもっと愚かになろう。

この詩はすばらしいと思っているから引用しているのだが、私流に直させてもらえば「もっと愚かになろう」ではなく「もっと素直になろう」である。つまり好きなものは好きと言い、嫌いなものは嫌いと言って生きたいということである。もっと好きなことをして生きてみようということである。

 

拒否されることは悪いことではない

そして恥ずかしがり屋の人は自信がないから、拒否されたことが「かえってよかった」ということもあることに気がつかない。あるパーティに呼ばれなかった。仲間から外された。そのことがその人を救っているということがある。

何度も言うように、人間が幸せに生きるために何が必要かと言えば、望ましい人間関係である。不幸になる人はみな、人間関係が悪い。仲間が悪い。パーティに呼ばれなかったということが、その仲間と縁が切れるきっかけになることで、その人を救っているというときがある。

その仲間のなかにいれば生涯幸せにはなれない。そんな仲間が恥ずかしがり屋の人にはたくさんいる。そういう仲間は表面上は仲良しでも、心の底ではお互いに嫌いあっている。

しかし、その仲間のなかにいるときには、お互いに嫌いであるということが意識されない。その仲間から離れて時間が経ってはじめて、「ああ、私はあの人たちが嫌いだったんだ」とわかる。

そうわかってみると、「なんで、あの人たちと一緒にいるときに、『嫌い』と気がつかなかったんだろう」と不思議に思える。しかし一緒にいるときには「嫌い」と意識できない。

それはさみしいからである。とにかく、仲間外れにされたことが幸せへの第一歩ということがいくらでもある。だいたいにおいて恥ずかしがり屋の人は、周囲の人を心の底では嫌いである。

だから周囲の人から拒否されることは望ましいことであっても、不幸な出来事ではない。拒否されるという体験は屈辱的かもしれないが、それは自分の心の底を正直に見つめることと、自分を認めてくれる場所を探すきっかけにすべきことである。

正直に自分を認め素直になれば、世の中にはその人をもっと認めてくれる場所が必ずあるはずである。拒否されることは悪いことではなく、望ましいことである。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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