「自分と他人の違い」が重要でない理由
逆境に強い人は、困難を自らへの挑戦と受け取る。それが成長への願望を持っている人である。成長するということは、困難に向き合っていくことである。現実から逃げないことである。逆境に強い人は楽観主義である。悲観主義は退行欲求の隠れた表現である。
コロンブスは、凄い楽観主義者であった。海の上で二週間陸が見えなくても耐えた。全ての人は、人生の大航海者である。この人生という大海原を乗り切るには、誰でもコロンブスのような決断と勇気がいる。
コロンブスを特別に偉大な人と思ってはいけない。自分の周りの人と全く違った人と思ってはいけない。コロンブスと自分との違いは、自分と周りの人との違いと同じである。コロンブスにはコロンブスの人生があり、私には私の人生がある。
人には人それぞれの人生がある。人には人それぞれの苦しみがある。人には人それぞれの「生きる障害」がある。人には人それぞれの運命がある。小さい頃からいろいろと楽しい人生だった人もいる。その結果、小さい頃から楽しい体験がたくさん扁桃核に蓄積されている人もいる。
逆に小さい頃からとにかく辛い人生だった人もいる。生まれてから辛いことを我慢するだけの人生だった人もいる。そういう人は大人になっても小さい頃からの辛い体験が扁桃核にたくさん蓄積されているだろう。
両者が40歳になって同じ体験をしても、二人は全く違った感情を持つ。小さい頃から楽しい体験が扁桃核にたくさん蓄積されている人は、その体験を楽しいと感じるだろう。外からの刺激はその人の神経回路を通ってその人に伝わる。
逆に今体験していることはなんでもないことなのに、不愉快に感じる人もいるだろう。とにかく何があっても、毎日が不愉快で不愉快でどうにもならない。この両者にとって人生は全く別のものである。
しかし自分と他人との類似性と相違をしっかりと認識しなければならない。そうすれば、全ての人は自分が生きることの参考になる。そして自分自身の人生を歩んでいくことができるのである。
偉人とは、自らの人生を全うした人
人は自分の力で何かをすることで自信がつく。どんな小さなことでも、自分の力でやれば自信がつく。コロンブスのように大きなことをするから自信がつくのではない。自分でない自分を生きてきて、生きる虚しさに苦しんでいる人は、つい大きなことをすれば自信がつくと錯覚する。
コロンブスを見習いながらも、コロンブスではない「この自分」が生きてきた体験を糧にして、自分自身の人生を生きる決心をする。自分の失敗と自分の成功の体験を糧にして、自分の力で自分の人生を作る。それが本当の尊い芸術作品である。
幸せとは基本的に、人生における個性化の過程に成功することである。つまり不幸になる人は、個性化の過程で体験する孤独に負けて、人に迎合して自分でない自分で生きてきた。そして自分を見失い不幸になった。個性化の過程に成功するためには、孤独と不安に立ち向かう勇気が欠かせない。
そういう勇気の持ち主は、意識と無意識の乖離がないから、努力が報われる。つまり自己実現している。誇りは、自分の今までの生き方からつくられる。ずるく立ち回って大成功しても、誇りはもてない。自我喪失して大成功しても、誇りはもてない。
どんな小さなことでもいい。一つのことをきちんと成し遂げることからはじめる。それが勇気。ことに心に傷があった時には、小さなことを一つ一つクリアしていくこと。その体験が日々を生きるための力を与えてくれる。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。