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生き方

「人生は、小さくも強固な敵から身を守る闘い」事物の裏側をのぞきこむ韓国エッセイ

アン・ギュチョル(著), 桑畑優香(翻訳)

2022年01月06日 公開 2023年09月14日 更新

 

マグカップ

マグカップに入ったコーヒーの温もりが、カップを包む手に伝わってくる。カップが、わたしにコーヒーの熱の一部を感じさせるのだ。いわば、仲立ちのようなもの。コーヒーとわたしの手の皮膚のあいだをつなぐのが、マグカップの仕事だ。

一方、魔法瓶は内部の温度を外に伝えない。ふたを開けてみるまでは、中に何が入っているのかさえわからない。内部の秘密を絶対に漏らさないポーカーフェイスと寡黙なところ、それが絶縁体である魔法瓶の美徳だ。世を渡るうえでは、たいがいこちらのほうが有利である。他人に本音を打ち明け、感情をさらけだすのは愚かだと、わたしたちは学ぶ。

そして本音を内に秘める人々、よほどのことがない限り口を開かない、深い沈黙で武装した人間たちが作られる。家の窓はより小さく、壁はより高く。仮面をつけずに人に会うのは、浅はかなこと。何であれ、わたしたちの社会的関係を支配するゲームに勝つのは、他人の知らない切り札をたくさん持っている人たちだ。

こんな世の中で芸術をするのは、無謀である。心やかましく取るに足らないありのままの自分をぶつけ、負け戦に挑むからだ。他人に自己の内面の温度を伝えること、知らない人に温かい手を差し伸べること、そのために絶縁体ではなく、伝導体たらんとする特別な器を作ること。それが芸術家の仕事だ。


「椅子とオール」20×20cm、紙に鉛筆、2016

 

昨日降った雨

一晩中降っていた雨が明け方にやんだ。眼前にそびえる山の裾は、まだ低い雲に覆われ、闇のなかで雨に濡れてうずくまり震えていたはずの鳥たちは、互いの安否を問うようにせわしく鳴いている。遠く離れた渓谷の激流の音がここまで響く。昨日の雨は、これから何日も谷間を流れていくのだろう。雨の降る時間があり、雨が過ぎゆく時間がある。

岩と砂のあいだに留まる水滴の時間。雨が降り水が消えるまでの時間が、森を作り、草や虫を育み、鳥に餌と命を与える。雨水がすぐに川や海に戻ることなく、世の隅々に染み込み、ゆっくりと循環するあいだに、木や草、野生の動物たちが育つ。雨が降るというひとつの事件と、その事件が完全に終結を迎え、跡形もなく消えるまでの時間。それがわたしたちの人生だ。

来し方に戻るまでに水滴が経る、多くの紆余曲折の時間。思いがけず激流と泥水にもまれる時間。氷のように冷たく暗い地下を流れる時間。誰かの汗と熱い涙になる時間。わたしたちも雨水のように生きていく。

「ゆるやかな時間」20×30cm、紙に鉛筆、2016/2020

 

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