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夫は暴力的でギャンブル依存症...離婚しない妻が「不幸」にしがみつく理由

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年01月20日 公開 2024年12月16日 更新

世の中には「死んでも不幸を手放しません」というような人が少なからずいるという。幸せを求めず、なぜ彼らは不幸にしがみつこうとするのか? 長年、悩める人の相談を受けてきた加藤諦三氏が見抜いた、その隠された理由とは?

※本稿は、加藤諦三著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。

 

神経症的不安の人は、常に不安に怯える

不安には、現実的な不安と神経症的不安の2種類があります。この2つを混同してしまうと、それぞれの不安に対して有効な対処法を取ることができません。

例えば、新型コロナウイルスの問題というのは、現実的な不安です。コロナウイルスに感染したら困るので、これはリアルな不安といえるでしょう。

いまの給料で、多額のローンを組んでしまって大丈夫だろうか、というのも現実的な不安です。

もちろん、こうした現実的な不安も問題ですが、より深刻なのは、もう一つの神経症的な不安のほうです。こちらは現実には怖くないものを怖いと思って、怯えているような不安です。日常生活ではこれが非常に大きな問題になるわけです。 

私は、神経症的不安とは、自分が自分でない、というところから生まれてくる不安であると思っています。具体的な問題がなくても、常に不安に怯えている人がいる。いつも人が信じられず、恋愛しても恋人に振られてしまうのではないかなど、いつも何かに悩んでいる。

神経症的不安を抱えている人は、常にそうした理屈に合わない不安を感じています。いつまでもくよくよ悩んでいても、どうしようもないことは本人もよく分かっています。しかし、分かってはいても、自分ではどうすることもできません。

 

理解していないと対応を間違える

不安には、現実的な不安と神経症的不安の2つがあると述べましたが、この2つは、きちんと分けておかなければなりません。

現実的な不安をフロイトは「客観的不安」と呼び、ロロ・メイは、これを「正常な不安」と言っています。きちんと具体的に対処することで、解消しなければいけない不安です。こうした不安に対して、無理に勇敢なふりをするのは愚かなことです。

一方で、現実には怖くないものに怯える神経症的不安というのは、心の内面の問題です。

現実には怖くないものを、怖いと思い込んでいるのですから、自分がどうしてそういう性格になってしまったのかを、まず考えなければなりません。「こんなことで怯えていたら、みんなに弱虫と思われるのではないか?」「周りの人が自分のことを臆病と思うのではないか?」。そんなふうに1人で勝手に思い込み、あえて勇敢に見える行動を無理にするのは、まさに神経症的不安を持つ人です。

繰り返しますが、現実的な不安と神経症的不安は別のものであり、2つの区別をしっかりとしておかないと、対応を間違えてしまうことになります。

世の中には、「死んでも不幸を手放しません」というような人がいます。多くの人は「まさか」と思うでしょうが、私は半世紀以上もの間、悩んでいる人と接してきて、そのような人がいると、つくづく感じているのです。

なぜこうなるのでしょうか?

それは人がもっとも恐れるのは不幸ではなく、不安だからです。

それは人がもっとも求めるのは幸せではなく、安心だからです。

不幸になるために費やされる努力やエネルギーは、実は不安から逃れるための努力やエネルギーにほかなりません。

人は誰でも幸せになりたいと願います。

しかし、幸せになりたいという願望よりもはるかに強いのが、不安から逃れたいという願望です。

不安な人は頑張って不幸になる場合があります。

人が必要以上の大金を求めるのは、お金があれば安心できると思い込んでいるからで、それは不安から逃れるためです。このように安心への願望はすべてに優先します。

ギャンブル依存症の夫がいるとしましょう。その夫は働かないばかりか妻がパートで働いたお金まで巻き上げ、妻の親戚にまで借金をして、またギャンブルに行ってしまう。そして家に帰ってきたら、暴力ばかり振るいます。

こうなったら、もう別れればいいと誰でも思うでしょう。この状態で離婚を請求して、「いや、離婚は認めません」ということは裁判上あり得ません。 

ところが、こうしたケースでも、ほとんどの女性が離婚しようとはしないのです。ギャンブル依存症の夫を持つ妻の調査をしてみると、日本でもアメリカでも、多くの人が「私が何とかしてあげなければ」と考えるといいます。

どういうことかといえば、実は「何とかしてあげたい」から別れないのではなく、本当は一人になるのが不安だから、別れないのです。これは「合理化」という心理です。不安から逃れるために別れないことを「何とかしてあげたい」ということにして、自身で納得しようとしているのです。

離婚した先の人生がどうなるか不安である。それよりは、いまの慣れた不幸のほうが生きやすい。こうなると、「死んでも不幸を手放しません」ということになってしまいます。

人間が1番怖いのは不幸ではなく、不安というのは、こういうことなのです。

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命がけで不幸にしがみつく

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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