世の中には「死んでも不幸を手放しません」というような人が少なからずいるという。幸せを求めず、なぜ彼らは不幸にしがみつこうとするのか? 長年、悩める人の相談を受けてきた加藤諦三氏が見抜いた、その隠された理由とは?
※本稿は、加藤諦三著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
神経症的不安の人は、常に不安に怯える
不安には、現実的な不安と神経症的不安の2種類があります。この2つを混同してしまうと、それぞれの不安に対して有効な対処法を取ることができません。
例えば、新型コロナウイルスの問題というのは、現実的な不安です。コロナウイルスに感染したら困るので、これはリアルな不安といえるでしょう。
いまの給料で、多額のローンを組んでしまって大丈夫だろうか、というのも現実的な不安です。
もちろん、こうした現実的な不安も問題ですが、より深刻なのは、もう一つの神経症的な不安のほうです。こちらは現実には怖くないものを怖いと思って、怯えているような不安です。日常生活ではこれが非常に大きな問題になるわけです。
私は、神経症的不安とは、自分が自分でない、というところから生まれてくる不安であると思っています。具体的な問題がなくても、常に不安に怯えている人がいる。いつも人が信じられず、恋愛しても恋人に振られてしまうのではないかなど、いつも何かに悩んでいる。
神経症的不安を抱えている人は、常にそうした理屈に合わない不安を感じています。いつまでもくよくよ悩んでいても、どうしようもないことは本人もよく分かっています。しかし、分かってはいても、自分ではどうすることもできません。
理解していないと対応を間違える
不安には、現実的な不安と神経症的不安の2つがあると述べましたが、この2つは、きちんと分けておかなければなりません。
現実的な不安をフロイトは「客観的不安」と呼び、ロロ・メイは、これを「正常な不安」と言っています。きちんと具体的に対処することで、解消しなければいけない不安です。こうした不安に対して、無理に勇敢なふりをするのは愚かなことです。
一方で、現実には怖くないものに怯える神経症的不安というのは、心の内面の問題です。
現実には怖くないものを、怖いと思い込んでいるのですから、自分がどうしてそういう性格になってしまったのかを、まず考えなければなりません。「こんなことで怯えていたら、みんなに弱虫と思われるのではないか?」「周りの人が自分のことを臆病と思うのではないか?」。そんなふうに1人で勝手に思い込み、あえて勇敢に見える行動を無理にするのは、まさに神経症的不安を持つ人です。
繰り返しますが、現実的な不安と神経症的不安は別のものであり、2つの区別をしっかりとしておかないと、対応を間違えてしまうことになります。
世の中には、「死んでも不幸を手放しません」というような人がいます。多くの人は「まさか」と思うでしょうが、私は半世紀以上もの間、悩んでいる人と接してきて、そのような人がいると、つくづく感じているのです。
なぜこうなるのでしょうか?
それは人がもっとも恐れるのは不幸ではなく、不安だからです。
それは人がもっとも求めるのは幸せではなく、安心だからです。
不幸になるために費やされる努力やエネルギーは、実は不安から逃れるための努力やエネルギーにほかなりません。
人は誰でも幸せになりたいと願います。
しかし、幸せになりたいという願望よりもはるかに強いのが、不安から逃れたいという願望です。
不安な人は頑張って不幸になる場合があります。
人が必要以上の大金を求めるのは、お金があれば安心できると思い込んでいるからで、それは不安から逃れるためです。このように安心への願望はすべてに優先します。
ギャンブル依存症の夫がいるとしましょう。その夫は働かないばかりか妻がパートで働いたお金まで巻き上げ、妻の親戚にまで借金をして、またギャンブルに行ってしまう。そして家に帰ってきたら、暴力ばかり振るいます。
こうなったら、もう別れればいいと誰でも思うでしょう。この状態で離婚を請求して、「いや、離婚は認めません」ということは裁判上あり得ません。
ところが、こうしたケースでも、ほとんどの女性が離婚しようとはしないのです。ギャンブル依存症の夫を持つ妻の調査をしてみると、日本でもアメリカでも、多くの人が「私が何とかしてあげなければ」と考えるといいます。
どういうことかといえば、実は「何とかしてあげたい」から別れないのではなく、本当は一人になるのが不安だから、別れないのです。これは「合理化」という心理です。不安から逃れるために別れないことを「何とかしてあげたい」ということにして、自身で納得しようとしているのです。
離婚した先の人生がどうなるか不安である。それよりは、いまの慣れた不幸のほうが生きやすい。こうなると、「死んでも不幸を手放しません」ということになってしまいます。
人間が1番怖いのは不幸ではなく、不安というのは、こういうことなのです。