命がけで不幸にしがみつく
人が何よりも求めているものは安心です。安心は生きる土台です。だから人は、不幸と不安と、どちらを避けるかというと、やはり不安を避けて不幸を選ぶのです。
我々はみんな「幸せになりたい」と思っていますし、そう口にもします。しかし、実際には幸せにはなれない場合も多いのです。なぜかというと、不安か不幸かという二者択一で、ほとんどの人は不幸を選んでしまうからです。
「自分がもっとも恐れているのは不安」というこの事実を理解しておかないと、自分の不幸を正当化してしまいます。
例えば、離婚騒動の渦中にあって、自分を正当化し、あたかも自分が思いやりのある妻であるかのごとく「合理化」してしまう人がいます。そのように誤解してしまうのは、人がもっとも求めているのは幸せではなく、実は安心であるということを理解していないからです。
安心を求める願望はすべてに優先するという事実は、逆に言うと、不安を避けたいという願望はすべてに優先するということです。
したがって、「死んでも不幸は手放しません」などと聞くと、「そんな愚かな人が世の中にいるものか」と思うかもしれませんが、冗談ではなく本当にそういう人はたくさんいます。命がけで不幸にしがみつく人はいくらでもいるのです。
そして、それは周りから見ると、不幸にしがみついているように見えますが、心理的には安心したいという願望にしがみついている状態です。
このように、世の中には努力に努力を重ね、不幸な人生をわざわざ送ってしまう人が本当にいるということなのです。「悪いことばかりしているから、それはしょうがないね」ということであれば話は別ですが、そうではありません。本当に真面目に働いて、社会的に適応して、きちんと生活しているにもかかわらず、不幸になる人がいるのです。
そうした努力は不幸になるための努力みたいなものとも言えるのかもしれません。
同じ依存症の男性と再婚する人
前述したように、ギャンブル依存症の男性の妻が、「私があの人を何とかしてあげなければ」などと言うのは、まさに「合理化」にほかなりません。本当に怖いのは夫と別れていまの生活が変わる不安なので、それを「立派な人=自分」と「合理化」してしまうのです。
ですから、自分が何を1番不安であるのかをきちんと理解しておかないと、そうした「合理化」か、のちに詳しく説明するような「現実否認」をしてしまう。つまり、不幸な状態でも「私は不幸でない」と言い張ってしまう人もいるのです。
ギャンブル依存症の夫を持つ妻と似たような例ですが、以前、幸福について講演した時に、アルコール依存症の夫を持つ妻について話したことがあります。
アルコール依存症の夫と離婚した女性が口にするのは、「もうアルコール依存症の人は嫌だ」という言葉です。「お酒ばかり飲んで、すぐに暴力を振るう。どうしようもない」と言う。そして「もうアルコール依存症の男性とは一生かかわらない」とも言います。
ところが、アルコール依存症の夫と離婚した妻のその後を調査してみると、驚くことに半分の人が、同じ依存症の男性と再婚していました。
これは、意識の上では「アルコール依存症の人は嫌だ」と言っていますが、そんなことよりも、1人でいることの不安のほうがもっと怖いということです。もっといえば、不安というのはそのぐらい強いもので、不安を避けられるなら、自分の本当の感情はどうでもいいと心の底で思ってしまうくらい強力なのです。
繰り返しますが、不安というのは人間にとってそれほど強く、すさまじい感情なのだということを理解してください。それほどすさまじい感情が、その人の人生を長い期間にわたり、影から支配し続けています。いまの時代は、その不安の感情が非常に大きくなってきています。だから、みんなが本当の感情を偽り始めているのです。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。