楽しき日々が過ぎていく
たしかにねぎは、わがままな猫だった。
だが、いっとくさんが風邪で寝込んだときは一切わがままは言わない、わきまえた猫だった。
ねぎは、雄猫にモテた。
庭からデートの誘いにやってくる雄猫を、ねぎは部屋から見下ろして、気に入ったオトコのときだけ「庭に出して」と鳴く。ねぎは手術済みだったから、デートといっても、その辺でただ並んで過ごしたり、気が向くと鼻先にチュッとしてやるくらい。それでも求愛者は絶えず、選ぶのも、ガッチリ系からジャニーズ系まで、さまざまだった。
いっとくさんの顔を見るたび「にゃっ(やあ、お父さん)」と挨拶する気のいい猫がいた。「お父さんはアイツがいいと思うぞ」と、ねぎに勧めたが、長続きしなかった。
展覧会が近づくと、絵や写真を床に並べる。ねぎは、作品がいっとくさんの大事なものとわかっていたようで、器用によけて歩いた。
だが、一度だけ、 描いていた絵を踏んだ。
そのとき、いっとくさんは、大きめの30号の絵を床で描いていた。近くにいたねぎに「踏むなよ」と声をかけるや、ねぎはトコトコトコとやってきて、しっかり踏みつけていった。コントのように、 今った塗ったばかりのところを。
坂を上る亀の絵だった。つけられた小さな足跡がなんとも可愛らしかったので、そのまま展覧会に出した。買いたいと言う人がいたが、売らなかった。
絵でも、版画でも、立体でも、毛色は違えど、いっとくさんの作品はみんなねぎだった。
こうして楽しき春秋が幾つも過ぎ、ねぎに、少しずつ少しずつ、老いが忍び寄ってきた。
どんなわがままも聞いてあげるから
18歳になった頃の夜、いっとくさんの膝に乗ってきたねぎが、ふっと軽い。病院で、甲状腺機能亢進症と腎臓の薬を処方された。
薬をご飯に混ぜるとそっぽを向く。世の猫たちに絶大な人気の液状おやつに混ぜるといいと聞いたが、 煮干しなどの固いものが好きなねぎは、この軟弱おやつが大嫌いなのだ。薬をすりつぶし、パテ状の栄養缶詰に混ぜ、朝に夕にシリンジで口の脇から飲ませた。
すっかりスレンダーになって、風に吹かれるように歩く姿は妖精のようである。
若い猫がデートの誘いにやってきたときは、鳴いていっとくさんを呼びつけた。追っ払ってちょうだい、と。もう雄猫には興味がないようだった。
病んだねぎは、毎日一度は「抱っこして」と要求した。抱いてやると、のどをゴロゴロと鳴らし続ける。夜には「散歩に行こう」と誘う。家のすぐ目の前に小さな児童公園があって、 夜は誰もいない。ベンチにふたり並んで座る。10分ほどたつと、ねぎは満足した風で、先だってスタスタと家に向かうのだった。
歯槽膿漏から、目の下におできができた。皮膚がんの一種のようだと診断されたが、年齢から、手術はしないことにした。
「ねぎ、あと何年かはがんばって生きなさい。どんなわがままも引き受けるから」と、いっとくさんが言うと、おできの上の美しい瞳は「そうするわ」と言うように、見つめた。
22歳を過ぎた春には、体重が2キロを切った。歯槽膿漏を悪化させないため、2週に一度、抗生物質の注射をしてもらいに行く。それで、食べることだけは持続できた。
コロナ禍のためステイホームが続く日々は、ふたりをいっそう親密にさせた。
朝起きるとまず、ねぎのお腹が上下していることを確かめる。
高齢猫は、親であり、子であり、恋人でもあり、その3つの役割を同時にやってくれていると、いっとくさんは思う。だから、ねぎの世話は、とても幸福な時間だった。