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生き方

なぜ誰にも認めてもらえないのか...「自信のない人」が抜け出せない悪循環

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年06月03日 公開 2024年12月16日 更新

自分に自信が持てず、仕事や私生活がうまくいかない...。早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏によれば、そういった人々は、「自信喪失の悪循環」に陥っている可能性があると指摘する。人はどのように自信を失っていくのか、また、不安を抱えた人が攻撃的になる理由について詳細に解説する。

※本稿は、加藤諦三著『不機嫌になる心理』(PHP研究所)を一部抜粋・編集したものです。

 

人はどのように自信を失っていくのか

こつこつと自分のすることをして、自信を持っている人は、他人に追随したりはしない。しかし、自分に自信がない人はついつい他人に追随する。その結果、さらに自信を失うという悪循環におちいる。

その悪循環の心理過程は次のようなものであろう。他人への追随は、実際の自分を否認することである。そして外部から押しつけられる基準に従って、自分を評価することでもある。無理に他人に追随することは、本来の自分のあり方を否定して、新しく自分を作り変えることを意味する。

その結果、自分を信頼できなくなる。自分の選択の正しさや自分の業績を価値あるものと認めることができないので、周囲の人に向かって承認を求める。そうなると仕事がうまくいっても、他人が認めてくれないと満足できなくなる。他人に認めてもらいたくて、他人に追随すればするほど実際の自分を偽るので、本当の喜びは失われ、人は燃え尽きやすくなる。

相手の認めてくれる者になろうとする努力は、いくら努力しても自分の中から力強さを感じることはできない。実際の自分を認めてもらおうという努力は、自分の中から力強さを感じることができる。

実際の自分の感じ方を裏切って相手に認めてもらおうとする努力は、結局、迎合と同じなのである。努力して目に見えた成果があがっても、自分の中には弱さを感じることになる。

この姿勢は、積極性と消極性、能動と受身の違いでもある。そして、自分が相手に与える姿勢というのがこの姿勢と関係がある。認めてもらおうとする努力をする人は、なかなか与えることができない。いつももらうことばかり考えている。したがって本当の満足がない。

本当の満足がないから、ついつい名誉を求める。そして自分を新しく作り変えることで、さらに本質的に不満になり、生きる無意味感に苦しめられる。それがまたさらにその人を他人の承認へと駆り立てる。悪循環である。

そしてそのような仕事の世界の不満や不安が、その人の家庭生活をはじめ私生活に影響し始める。私生活が乱れる。家庭生活もうまくいかない。社会的に成功しながら私生活が不幸な人はたくさんいる。そのような人は社会的成功からも生きる満足を得られない。

 

不安なとき、人は相手にしがみつく

相手に対して要求が大きすぎるということは不幸なことである。相手に対して要求が大きすぎるといつも不満になっていなければならない。相手が大きすぎる不合理な要求をかなえてくれないからである。

ところで、相手に無理難題をふっかけるということは、その人が相手にしがみついているということである。カレン・ホルナイのいう神経症的要求というのは、相手に対する「しがみつき」である。相手にしがみついているときに、具体的にしがみつくこともあるが、相手に過大な要求をするということを通して、その「しがみつき」が表現されることもある。

不安なときに人は相手にしがみつく。したがって不安な人ほど、ときに相手に過大な要求をすることがある。「そこまで要求されてもどうしようもない」ということまで要求されることがある。そういうときには、たいてい相手が不安なときである。

また不安であるだけに、その要求を通そうとする態度もまた激しい。例えば外国に研修にいく人がいる。研修旅行というのは最近多くのところで企画する。当然のことながら、外国では自分の国と違って何事も思うようにはいかない。自分の国ではないのだから、自分の国にいるときに比べれば不安である。そんな環境にいると、自国では普通の人でも妙に要求がましくなる。

そのような旅行を(()する人がいる。その引率する人に無理難題をいい出す。例えば、夜になってその引率する人に会いに行く。ところがその人が部屋にいない。すると、ものすごく怒り出す。「一体、何のために私達についてきたのだ」ということである。

別に急を要する問題があるのではない。本当に些細な問題である。しかし不安だと、その些細な問題がものすごく重大な問題のように感じる。主催者が部屋にいなければまた近いうちに帰ってくるだろう、今日会えなければ明日の朝食のときにでもいい、とは考えない。

彼らはすぐに「主催者が部屋にいないことはけしからん」という怒りで一杯になる。アメリカにいて、日本からの連絡が気になっている人がいる。アメリカにいるときに、日本の友人や知人からの連絡が即時に完全になされないと怒り出す。日本にいたって連絡をつけたい相手とそんなに四六時中連絡がつくわけでもないのに、いっときでも連絡がつかないと怒り出す。この企画をした主催者は連絡体制がなっていないと怒り出す。

たとえ連絡がついても、自分の思うような連絡がつかないと怒り出す。連絡がつくのが遅すぎるということである。当の本人が部屋にいないから連絡がつかなくても怒り出す。悪いのはすべて他人になる。

ある旅行代理店の人に聞いた話であるが、付添いの人が自殺したというのである。あまりの見当違いの要求に応えられなくて追いつめられたのである。また夜逃げした人もいるという。もちろん、付添う側がいつも正しいなどといっているのではない。

ここでいいたいのは、人は不安になると相手にしがみつき、相手に非現実的な要求をし始めるということである。私もある研修旅行についていったことがある。研修旅行についていったというよりも、たまたまほかの仕事とその企画とが一致したので、そこにいたという方が正しいかも知れない。

そのときの、その参加者と引率していった人との関係を見て驚いたことがたびたびであった。先ず前にもいったように参加者は担当者の部屋にいく。そこにその人がいないとものすごく怒り出す。

それは旅行といっても、ある大学に滞在して、そこで講義を聞くという企画である。参加者は講義を聞きながら、そこの大学の宿舎で生活をする。そこには世界66カ国の人が生活をしている。

そこにいる人すべてに聞いたわけでもないが、そこの宿舎で生活している人は特別の連絡方法を持っているわけではない。そこの宿舎が行う連絡方法で満足している。つまり、そこの宿舎の受付けには電話がある。各人の部屋には電話がない。宿舎に泊っている人に外から連絡が電話で入ると、それぞれの人の連絡の箱に紙が入る。自分のところに紙が入る。その紙を見て自分の方から相手に電話をする。そのような連絡方法をその宿舎はとっている。

そのような単純な方法で連絡をしている。それに不満な人は自分の費用で部屋に電話を取りつける。電話を自分で取りつけたい人は、自分で電話会社へいって部屋に電話を入れる。そのときに、その日本人のグループの担当者の部屋には電話が入っていた。またその知合いの人の事務所にはファックスがあり、それも参加者は日本からの連絡に使えるようになっていた。

おそらくその66カ国の滞在者で、そこまでいたれりつくせりの連絡方法を提供されていた人はいないであろう。ところがその日本の参加者が怒り出した。24時間体制をとれということなのである。

知合いの人の事務所も1人の事務所であるから、いないときには留守番電話になる。あるいは夜はファックスになる。ところが、それがけしからんというのである。しかもその使われている電話やファックスは皆好意である。その参加者に雇われているわけではない。

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日本の若者の不満は世界最高

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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