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生き方

「飲食店で大声でケチつける人」ほど甘えていると言える理由

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年06月10日 公開 2024年12月16日 更新

飲食店の店員に大声でケチをつける人がいる。なぜそのような人は、得意げに周囲を不快にさせる行動を取ってしまうのだろうか。早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏によれば、店員に横柄な態度を取る人ほど、周囲に認めてもらいたいと願っている人だと指摘する。他人に依存し、甘えている人の心理について解説する。

※本稿は、加藤諦三著『不機嫌になる心理』(PHP研究所)を一部抜粋・編集したものです。

 

大声でケチをつける人は、自分の価値を上げようとしている

不満をいう人は、その不満をいっていることが問題なのではないということである。例えば、こんなまずいものが食えるかと不満をいう人がいる。外国に行くと、よくそのようなことをいう人がいる。ことに皆の前でそのようにいいたがる。

自分はこんなものを食べるよりもっといいものを食べているのだぞと皆にいいたいのと、そのようにいわないと自分の神経症的自尊心が傷ついてしまうからである。何か相手にケチをつけないと気持ちがもたない人がいる。相手にケチをつけないと自分の価値が下がると思っているのではないかと思われる人もいる。相手にケチをつけることで、自分の価値を上げようとしているのである。

皆が外国に来て、いい気持ちになって食事しているのに、そこで「こんな鶏の餌みたいなものが食えるか」と大きな声でいう人がいる。その人は、夕食のときに大きな声でそのようにいうことで自分の存在を誇示しないといられないのである。そのようなことをいわないと、皆は自分のことを認めてくれないと錯覚している。そのようにいうことで、皆から認めてもらおうとしているのである。

しかし結果として、皆から嫌な人と思われるだけである。嫌われる人というのは、たいてい皆に好かれるための特別な行為をする人である。尊敬されない人は、尊敬されるための特別な行為をする人である。

外国にいると、いろいろのことを学ぶ。外国は自国ではない。しかし自国に変えようとして怒る人がいる。例えば、ある年に、アメリカのある大学の寮にいた。そこに日本からたくさんの英語研修の人が来た。

ある受講生が外から帰ってくると、自分の部屋が開かない。鍵をガチャガチャさせているが開かない。そこで怒り出した。こんな鍵の壊れている寮に泊めるなんて主催者は無責任だと怒りだした。

しかし、それは鍵が壊れたのではない。寮の方で鍵を変えたのである。日本であれば、このようなときに間違いのないように、先ず本人に連絡してから変える。しかし、何の連絡もなしに変えた。このようなことはアメリカの大学では起きる。

次に、怒って電話をしに外に出かけた。ところが電話が壊れていた。そこでまた怒り出した。こんなひどいところに連れてきて主催者は無責任だというのである。しかし、アメリカの公衆電話は日本のようにはいかない。壊れている電話はたくさんある。それは主催者の責任ではなく、アメリカの電話会社の責任である。しかしそのように怒る人は、決してアメリカを責めない。自分の国の人を責める。自分の怒りを決して外国の人には向けない。

人は自分が恐れているものには、決して怒りを向けない。怒りはいつも向けやすい弱いところに向かう。そこで外国での不満や怒りは、自分が参加した企画者のところに向けられる。

自分が参加した企画者のところに激しい怒りを向ける人ほど、外国を恐れている。私は今まで外国でいろいろな日本人を見てきたが、外国人に卑屈になる人ほど自国の人に激しい非難を浴びせる。見ていて恥ずかしくなるほど外国人にお世辞をいい、卑屈になり、迎合し、贈物をして、いい子になる人ほど自国の企画者などに暴言を吐く。

自分が参加した研修の企画者を奴隷扱いするような人が、相手の大学の先生にとり入る姿は浅ましいとしかいいようがないものである。あらゆることをしてとり入る。贈物はする、不平は何もないと感謝を誇示する。それでいて、自分の国の人にはおはようの挨拶も返さない。相手の国の先生を神と崇める人は、自分を世話してくれる自国の人を奴隷として()む。それが依存性である。

 

外国でわかる日本人の心理と行動

私は、外国にいるときの日本人の行動の中に依存性の問題がきわめてクリアーに現れるので、かねて日本人の外国での言動には興味を持っていたが、実際に接してみるとこれ程までにはっきりとするのかと驚くことがしばしばである。

そのような人はまったく外国人のいいなりになるが、心の底では不満だからいつも日本人の前では怒っている。そして、先に述べたようなアメリカの電話会社の責任まで主催者の責任として追求する。つまり、アメリカにいるのだが、そこを日本に変えろという主張なのである。

例えば、先ず空港から寮に到着する。50人もの受講生がいっぺんにくると、アメリカ人は鍵を渡すのにひどく時間がかかる。4人一部屋の部屋にそれぞれ鍵を渡すのにもたもたとして1人ずつ渡す。

すると、「何でこんなにもたもたするのだ、主催者は何を考えているのだ、私達は疲れているのだ」と怒り出す。これをスムースにすることはできる。例えば、あらかじめ4人の内から1人を決めておいて、その人が4人皆の鍵を取りにいく。受講生が到着する頃にはカウンターの側に机をおいて、鍵を袋にいれて番号をつけておく。それでスムースにいく。

しかし、このようにいかないのがアメリカなのである。逆にアメリカは、時間はかかっても一人一人を大切にするところでもある。そこで、なるほどこれがアメリカかと、アメリカと接したことを初めて驚く人と、不満を述べる人とに先ず分かれる。

そして部屋に入る。シャワーの取っ手を思いきりひねる。すると戻らない。そこでまた怒る。次から次へとアメリカに接して怒る。そこで、アメリカとはこういうものだと説明しても決して納得しない。アメリカを体験しようという意欲がなければないほど不満は激しくなる。

これが、()()が良く()()が悪い不機嫌な人の心理でもある。

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「自分の世界」ができれば人は強くなれる

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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