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朝ドラ『エール』で話題になったオペラ歌手・三浦環...夫との破局が導いた“音楽人生”

大石みちこ(脚本家)

2022年11月08日 公開

 

スキャンダルを乗り越え、紡いだ“愛と夢”


政太郎と環の結婚。大正2年5月。(写真提供:元木房子、協力:豊田浩子)

その翌日。ひとりの男が六番町の家を訪れた。環は差し出された名刺に視線を落とす。千葉秀甫という新聞記者だった。

「三浦政太郎さんと昨日の晩、密会されたでしょう」

と、千葉は言った。なぜ三浦政太郎なのだろう、会ったのは藤井である。

千葉は新聞記事の原稿を環の前に置いた。「雨の日の相合い傘」という1行が目に入る。「ここに書いてあるんです」と千葉は言った。

三浦政太郎、そして、環女史という文字が目に入る。息を吞む環へ千葉は原稿を突きつけた。そこには環と三浦政太郎が仲睦むつまじく密会している様子が書かれていた。ありもしない作り話である。けれども藤井と会っていたのだと言うことはできない。

どうすべきか、環の考えはまとまらない。むしろ考えるほどに混乱するばかりだ。まだ東京にいるだろう藤井を捜しあて、環は藤井のもとへ走った。

藤井は「困った」と口にするばかりだった。それもそのはずである。藤井は近々結婚することが決まっている。元の妻である環と逢っていたとなれば、新たな婚約は壊れるかもしれない。藤井が、「それは三浦ではなく私だ」などと口が裂けても言うはずはない。

環は藤井を頼っても無駄であると判断したものの、人違いの記事が出回る事は放っておくわけにもいかない。世間は面白おかしく騒ぎ立てるに違いない。環は学校を、三浦政太郎は大学を辞めることにもなりかねない。何よりもまず政太郎に謝りたい。

環は父の家へ行き、事情を話した。父・熊太郎はその後、孟甫と改名し、公証人として公証役場を開いていた。環は解決へ向けて助けを求めた。

孟甫は三浦政太郎を呼び出した。記事が出たら、新聞社に修正記事を出させるか、名誉毀き損で訴えるか。そんな案を孟甫は話した。

「これ以上この件を荒立てたくない、それよりも環さんとの結婚を許して欲しい」と、政太郎は言った。環と母の住む六番町の家へ政太郎は時折、遊びに来ていた。環は政太郎から求婚された後、真剣に考えてはいなかった。けれども、政太郎は柴田家を訪れ、父にも環との結婚を許して欲しいと願い出ていた。

「環は音楽の仕事が忙しいのだよ」と、孟甫は藤井との離婚の経緯を話した。

「僕は音楽家としての環さんを尊敬しています」(遺稿)

と、政太郎は言った。

「芸術家は社会の花です。(略)妻だからといって家庭にとじこめることは公徳を無視した封建思想です、芸術に対する大きな冒瀆です」(遺稿)

政太郎のこの言葉を聞いた環は、その場で結婚を決めた。この場は何とかおさまったのだが、明治42年(1909)4月、東京帝国大学の政太郎の周辺では、環が藤井と離婚後すぐに政太郎を誘惑したのだと騒ぎ立てた。

政太郎は無口なので自分から求婚したという事実を説明しない。噂はひとり歩きし、いつの間にか環は悪女であると、決めつけられてしまった。そして、4月13日、環との交際について上司である三浦謹之助から猛反対された政太郎は、副手を辞任した。

2人は政太郎の故郷、遠州へ向かった。身内への挨あい拶さつと内祝言が目的だった。東京を離れると、ようやく人目を気にせず話せるようになった。

しばらく日本を離れてみようか。どちらから言うでもなく、夫婦は遠い土地での将来を思い描き始めた。勉強するならドイツへ行きたい。環が音楽を、政太郎が医学を、それぞれ学ぶために是非とも行きたい国であった。先立つものをどうしようか。手立てがあるわけではなかったが、夫婦はドイツへの憧れを語り合った。

環はドイツのオペラ歌手、リリー・レーマンのレッスンを受けることを懇願した。リリー・レーマンは明治35年(1902)、歌唱法について『Meine Gesangskunst(邦題・私の歌唱法)』という1冊の本を書いていた。これはずっと後に日本でも出版されている。

東京へ戻った環と政太郎がドイツへの留学を真剣に考え始めたまさにその時だった。政太郎へ、シンガポールでの就職の話が舞い込む。三井のゴム園の病院で契約期間は1年。退職手当が1万円あるという。2人の留学費用に充てれば3、4年はドイツで暮らすことができる。

環が同行すれば何かと出費もかさむ。留学費用を作るために、政太郎は単身赴任することにした。この年6月、政太郎はシンガポールの病院へ赴任した。

【引用文献】
『お蝶夫人 三浦環遺稿』吉本明光編、限定版、右文社、1947年5月
『書簡集Ⅰ・Ⅱ』静岡県袋井市(資料提供:元木房子、協力:豊田浩子)

※本稿掲載の写真、書簡は三浦環の親族である元木房子氏が袋井市へ依頼し、学芸員・白澤崇氏の協力によりデジタル化、くずし字解読等を行ったものです。

【著者プロフィール】大石みちこ
東京都出身。脚本家。東京藝術大学大学院映像研究科客員教授。東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了後、2008年映画「東南角部屋二階の女」(池田千尋監督)で脚本家デビュー。主な作品に映画「ゲゲゲの女房」「楽隊のうさぎ」「ドライブイン蒲生」、アニメーション「ヒバクシャからの手紙 貴女へ」、NHKスペシャル「ドラマ 星影のワルツ」がある。

 

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