60歳からは公的な生き方にシフトする
これからの生き方を模索している60歳はどうすればよいのでしょうか。
まず、私的な生き方から公的な生き方にシフトしていく必要があると思います。つまり、自分のために生きることに執着する人は、その自分の突き詰め方がうまくいかなかった時に苦しむことになるでしょう。
一方、世のために、人のために残りの人生を使おうと、そういった考えにシフトしていける人は、苦しみに耐えても生き続けることが人生である、という覚悟ができるのです。
その覚悟ができていたら、苦しいに決まっているのだから、その苦しみにはすべて意味があると思える。苦しさがないと次の自分へステップアップはできないということをきっちりと自分のなかに入れている人には、自ら死を選択するという考えはないのです。
いわゆる老後の生き方について、「このように生きれば問題ない」というロールモデルはなくなってきました。ひと昔前にあった年金生活、悠々自適、毎日が日曜日、などの現実はもうありません。
そのような言葉は、高度成長期の日本的雇用が生んだ一時期の幻想のなかで展開されたもの。本来は「老後」などというものはなく、文字通り「還暦」というのは人生の折り返し地点であるだけなのです。
ロールモデルなき時代、それぞれがオリジナルの第二の人生を作っていく、自らの道を切り拓いて歩いていかなくてはなりません。既存のレールはありませんから。
自分はこれでいくと「決める力」
60歳からの人生を充実させるためにもっとも大切なのは「決める力」です。「自分はこれをしていく」「この方針でいく」ということを決めること。
それはすなわち、覚悟を決めるということです。 何かやりたいことをやる、やり残した勉強をやる。それでもよいでしょう。リカレント教育、生涯学習などで学ぶという道もあるかもしれません。
とはいえ、座学だけではだめで、そうした学びを糧にして、自分が何をして生きるか、ということが問われます。
勉強というものは一生必要です。そしてそれは、生きるための勉強でなくてはなりません。勉強するだけでなく、さらに踏み込んで生き方を決めないことには、そこから先、ふらふらと一生迷って、終わりになってしまいます。
大体の人は20歳ごろに自分の進む道を決めて、40年を過ごしたのちに60歳になります。その時に改めて「決める」ということは、欠かすことができない重要な人生の仕事です。
60歳から「決める」時、20歳の時と比較して体力や頭の働きは衰えているかもしれません。しかし、経験と知恵があり、また、会社や子育てなどから解放され、自由度は高いはずです。
20歳から60歳までは「私的」な生き方でもいいと思います。お金も必要ですし、地位や名誉や欲望が原動力となる、ということもあるでしょう。
しかし、「60歳」になったなら、「私的」な生き方は止めて、「公」に生きることが大切になってきます。つまり、人のために生きるということです。若い時は自分のために生きることが社会のためにもなる、という側面があったでしょう。
60歳以降は、人のために生きることが、結局自分にも返ってくるという流れになるのです。