最澄「愚直に歩めば道は開ける」
道を求める心があれば衣食のことは自然とついてくる。
だが衣食のことばかり追い求めていたら道を求める心は起きない。
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「道心の中に衣食あり 衣食の中に道心なし」(伝述一心戒文)
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唐から帰国した最澄は、日本の仏教界を再編すべく、文字通り東奔西走する毎日を送るようになります。
まずは中国で学んだ教えを広めるために日本天台宗を開き、1つの宗派として正式に認めてもらえるよう朝廷に働きかけます。そして、教育制度を整え、後進の育成に道筋をつけ、比叡山の施設を充実させていきました。さらには自ら関東や九州にまで出向き、土地の人々に数えを伝えて歩いたのです。
国から官費を受けられる立場とはいえ、いくらお金があっても足りない状況だったことは想像に難くありません。
ですから、「道を求める心があれば、経済的なことは自然とどうにかなる」というのは、最澄の心の底から出た言葉だったのでしょう。
実は、これと同じような言葉を、「さよなら、さよなら、さよなら」でおなじみの映画評論家、淀川長治氏も残しています。
「自分の好きなことを何年も何年も一生懸命やっていれば、絶対に金で苦労しない。これは私の持論です」
淀川氏は、少年時代から映画が好きで好きで仕方がなく、大人になってからも映画以外のことは考えられなかったそうです。
もちろん、生活するためにはお金が必要です。
それでも、淀川氏はお金を稼ぐために映画を見るということは決してしませんでした。ただがむしゃらに映画のことだけを考えて、映画のすべてを愛し続けたことが、いつのまにか映画評論家という肩書きに結びついていたのです。
そんな淀川氏でも、テレビで映画番組を担当したときには、ちょっとした迷いが生じました。映画をテレビで放映する場合、放送時間の関係で監督の意向を無視した再編集をすることがありますが、映画評論家たるものがそんな冒涜に与(くみ)していいのか、と批判を受けることがわかっていたからです。
しかし、淀川氏は、映画館に足を運べない人もいる、テレビがきっかけで映画のすばらしさに目覚める人もいる、そんな人たちのためにテレビ放映は必要だと結論。結果として番組は高視聴率を得て、淀川氏もお茶の間の顔になりました。
一本気な情熱が、ここでも道を切り開いたのです。
時代も、情熱を注ぐ対象も全く違う2人が、同じ結論に達したというところに、むしろ真実が感じられませんか。
「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」――多少は苦しい道でも、愚直に歩み続ければ道は開ける。若い人にこそ覚えていてほしい言葉です。