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『鏡の国』作者・岡崎琢磨が“過剰なルッキズム批判”に感じる違和感

岡崎琢磨(作家)

2023年12月06日 公開

『鏡の国』作者・岡崎琢磨が“過剰なルッキズム批判”に感じる違和感

大御所ミステリー作家、室見響子の遺稿について、生前の担当編集者が「削除されたエピソードがあると思います」と語り出したのがすべての発端だった――。「珈琲店タレーランの事件簿」シリーズをはじめ、数々の話題作を世に送り出してきた岡崎琢磨さんの最新作『鏡の国』。

削除されたエピソードは実在するのか。あるならば、なぜ響子はそのシーンを削除したのか。巧妙に仕掛けが張り巡らされた意欲作の、創作の背景を直撃した。(取材・文=友清哲/撮影=吉田和本)

本稿は、『文蔵』2023年11月号の内容を一部抜粋・編集したものです。

 

装丁すら伏線。仕掛けに満ちたエンタテインメント

――大御所作家の遺稿の内容を巡って謎が謎を呼び、驚愕の真相へと読者を導いてくれるネタバレ厳禁な本作。岡崎さん自ら「構想3年」と公言される渾身作ですが、まずは着想から教えてください。
【岡崎】3年と言ってはいますが、依頼をいただいたのはさらに前のことなので、実際にはもっと時間をかけて練り上げた物語なんです。もともとは最後にどんでん返しのある、恋愛を軸にした青春小説を書こうとしていました。

ところが、設定を考えていく過程で、実際には存在しない外見上の欠点やささいな欠点にとらわれる「身体醜形障害」や、人の顔が覚えられない症状である「相貌失認」といったテーマが浮上してきたことから、これらふたつの要素を組み合わせればミステリーとして面白いものが描けるのではないかと閃いて、途中で方向転換したんです。

――今回の物語にはまさにその、「身体醜形障害」や「相貌失認」に苛まれる人物が登場します。いわゆるルッキズムというテーマについては、以前から関心をお持ちだったのでしょうか?

【岡崎】そうですね。とくにSNSが発展してからは、見た目に関する誹謗中傷などが社会問題化し始めたこともあり、否が応でも興味を持つようになりました。

前作『Butterfly World 最後の六日間』でもルッキズムを扱っていますが、この時は物語の性質上、あまり掘り下げることができなかったので、あらためてこのテーマと向き合いたいというのが今回のモチベーションのひとつでした。

――岡崎さんがそこまでルッキズムというテーマに惹きつけられる理由は何でしょう?

【岡崎】難しいですけど、ルッキズムについてはまだまだ議論され尽くしていない気がしているから、でしょうか。SNSなど目に見える場所で議論されるようになったのはいいことかもしれませんが、どうしても表層的な批判になりがちなので、だったら作品という形で世に自分の考えを表現してみたいと考えました。

というのも、僕自身が中学生の頃までスクールカースト的に恋愛に精を出せるポジションではなく、人知れず卑屈な想いを抱えていた体験があったからだと思います。

言い換えれば、ルッキズム的な価値観にとらわれている社会の中で、恋愛と離れた場所に追いやられて苦しんでいる人たちの気持ちがわかるので、僕にとって決して他人事ではないテーマだったんですよ。

――今回の物語では、そうしたテーマを内包しつつ、仕掛けに満ちた構成が目を引きます。構成面での苦労も多かったのでは?

【岡崎】今回、室見響子という作家の遺稿が作中作として展開していきます。僕の中で最初に組み上がったのは実はこの作中作のほうで、そのためかなり早い段階から「鏡の国」というタイトルを考えていたんです。

すると担当編集者が、「そういえば『鏡の国のアリス』には削除された挿話があるらしいですよ」と教えてくれたので、ぜひその構図を取り入れようと思い、自ずと二重構造の作品になりました。なので、構成に苦労したという感覚はあまりなくて、むしろ執筆している間はずっと楽しかったですね。

――そして結末も圧巻。ネタバレをしない範囲で言えば、これから本作を読まれる方には、ぜひ読後にあらためて装丁、表紙を眺めてみてほしい一冊だと感じました。

【岡崎】ありがとうございます(笑)。帯に「装丁すら、伏線。」と銘打たれているので、いろいろ疑いながら見る人も多いと思うのですが、読み終えてからでなければ伝わらない部分が大きいので、この装丁はすごくいい塩梅だと僕も感じています。

 

世のルッキズム批判に小説家として思うこと

――ところで、世の中的にルッキズム批判が高まっていくことで、小説家として表現が制限されるような窮屈さを感じることはありますか?

【岡崎】それはありますね。僕はデビューからずっと一貫して作品至上主義なので、たとえば一部のハリウッド映画のように、世相を鑑みてわざわざ配役にいろんな人種を混ぜたりするようなことが、作品的には必ずしもいいことだとは思っていないんです。

もちろん、世の中がより良くなるためには、そういう考え方が大切なのは理解していますが、小説家として重視すべきは作品としての必要性です。ルッキズムにしても、作品性を度外視して過剰な配慮を持ち込むのは、違うと思います。

――身体醜形障害に相貌失認。本作ではさらに、顔に火傷の痕がある女性も登場します。こうした境遇の人物を描く難しさをどう感じていますか。

【岡崎】たとえば身体醜形障害について、大人になったいま振り返ってみると、僕自身もそれに近い状態に陥っていた時期が高校生の頃にありました。受験勉強をしなければならないのに、毎日1時間くらいずっと鏡を見ながら、容姿についてのコンプレックス
を募らせていて......。

あれはちょっと異常だったと思いますし、身体醜形障害の入口くらいに差し掛かっていたのかもしれません。でも相貌失認や、顔に大きな傷を持つ人の気持ちとなると、まったく実感のない中で想像力を膨らませなければならず、これはやはり大変でした。

基本的にずっと、当事者の方を無闇に傷つけないよう神経を使っていましたし、一方で作品が必要とするならあえて傷つけるような表現も盛り込まなければならないとも思っていました。その意味で、いかに誠意と覚悟を持って展開を追っていけるかという気持ちは、執筆中ずっと頭の中にありましたね。

――そうしてルッキズムと向き合い続けながら書き上げた今回の作品。前作『Butterfly World最後の六日間』では描けなかったところも含め、今の想いはいったんすべて出しきることができましたか?

【岡崎】そうですね。書こうと思えばまだまだいくらでも書けることはありますが、それでもこの物語でやれることはすべて出しきったのではないでしょうか。というのも、今回はそれぞれ問題を抱えていながらも、わりとルックスに恵まれた側の人たちの話でした。

たとえば身体醜形障害にしても、それを表現するために綺麗な女性に設定する必要があったわけですが、少なくともその枠組の中で表現したいことはすべて描けたと思っています。

――では、今後新たに向き合いたいテーマは?

【岡崎】ルッキズムとも密接に関わるテーマとして、インセル(※本人が望まずに異性との交際のない人)についてはいつか書いてみたいですね。アメリカでは最近、恋愛弱者と呼ばれる人たちの存在が社会問題になっているそうですし、日本でも恋愛に人生を左右されない"無敵の人"と揶揄されるのをよく見かけます。

さらには一時期、インセルに相当する男性に対して「女をあてがえ」という論調がネット上で話題になりました。それに対して不謹慎だと怒って批判するのは当然ですが、重要なのは代わりの解決案を提示することだと思うんです。

ただ揶揄して終わりでは、世の中は何も変わりませんから、そこで自分なりの答えやアイデアを、物語の形で表現できれば理想的ですね。

――それもまた、興味深いテーマで楽しみです。本日は貴重なお話をありがとうございました。

 

【岡崎琢磨(おかざき・たくま)】
1986年、福岡県生まれ。京都大学法学部卒。2012年、第10回『このミステリーがすごい!』大賞の最終選考に残った『珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』でデビュー。13年、同作で第1回京都本大賞受賞、人気シリーズとなる。その他の著書に『下北沢インディーズ ライブハウスの名探偵』『夏を取り戻す』『貴方のために綴る18の物語』『Butterfly World 最後の六日間』など多数。

 

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