科学的放流実験に基づく放流事業の見直しを
放流という増殖方法は現在、遺伝的多様性への悪影響、病気の伝播などの点で十分な検討が必要であるとの指摘があるが、なかでもウナギの義務放流の場合はその他の問題も懸念される。外来種混入問題である。
今後、ニホンウナギのシラス不足を受けて、外国産シラスウナギの養鰻が盛んになることが予想される。現在すでにフィリピンやインドネシアからバイカラウナギ、マダガスカルのモザンビークウナギ、北米のアメリカウナギ、オーストラリアからオーストラリアウナギ、ラインハルディウナギなどが輸入され、養鰻適性が試験されている。
養鰻池で成長の悪い外来種のウナギが義務放流の種苗に回され、河川生態系に侵入してくる可能性は高い。これによって在来のニホンウナギとの間で餌、棲み場所の競合が起こり、ニホンウナギの生息環境は悪化する。
かつて1968年から10年間ほど、ヨーロッパウナギのシラスウナギが大量にわが国に導入されたことがある。やはりニホンウナギの種苗不足を補うためだ。
ヨーロッパ種は成長が遅い、逃亡しやすいなどの技術的問題があり、日本の加温式短期養殖法に適合しないとのレッテルを貼られて、やがて養鰻池から消えていった。しかし、これらがなぜか大量に天然の水塊に棲み着いた。人が川や池に投棄したり、自ら逃げ出したりしたものだろう。
1997~1998年に採集されたウナギの中で、ヨーロッパウナギの占める割合は宍道湖で31.4%、三河湾で12.4%にもなった。ウナギの大部分を放流に依存する新潟県魚野川では、簗漁で捕れる下りウナギのほぼ100%がヨーロッパウナギであったことがある。1個体アメリカウナギも見つかった。
このほか、大分県入津湾にも多数の巨大なヨーロッパウナギが棲み着いていて、潜ってみるとハマチ養殖生け簀の下の底泥中から鎌首をもたげた姿が見えた。
さらに驚くことには、東シナ海の男女群島で夜間表層に浮かび上がってきた産卵回遊中の銀ウナギを70個体あまり調べてみると、中に1個体のみであるが、ヨーロッパウナギが入っていた。ニホンウナギと一緒にヨーロッパウナギがマリアナ沖の産卵場を目指して泳ぐ姿を想像するとぞっとする。
両種のハイブリッド(雑種)の報告はまだないが、実験的には両種の間で人工仔魚を得ることに成功しているので、天然でもその可能性は否定できない。その地域にいるものを増やし、これを大切に末永く利用していくのが正しい増殖のやり方である。
ヨーロッパでは河口域で採捕したシラスウナギの移送・放流が行われている。日本でも国の事業費を使って養殖ウナギの放流が行われている。
放流は行為そのものがわかりやすく、増殖対策といえば放流が真っ先に挙げられる。しかし、放流に使う種苗、放流時期や場所など十分に検討した上で実施しないと効果が期待できない。むしろ資源に悪影響を及ぼすこともある。
まずは、効果を検証する科学的な放流実験を行い、最も効果の上がる放流方法を探りたい。一般に人の手が加わるほど、すなわち飼育期間が長くなるほど、魚は野性を失い、野外に放流したときの適応度が下がる。
かつての稚アユの人工種苗で見られたように、行動が天然アユと大きく異なるために期待された放流効果が得られなかった例がある。
ウナギでこうした研究はまだないが、長期間養鰻地で養殖されたウナギも野外でのカワウやゴイサギなどの天敵からの回避行動や摂餌行動が十分に備わっていないことが懸念され、これらは放流後の生き残りと成長、ひいては放流効果に大きな影響を及ぼす。
養殖ウナギは性比が雄に著しく偏ることが知られており、雌の多い上流域に雄を大量に放流したときの効果は今のところ不明である。それならば性分化前の体長20センチメートル未満のクロコウナギを放流すればどうだろうというアイデアもある。
さらにいえば、いっそのことヨーロッパのように採捕直後のシラスウナギを放流するのがよいのではないかというところまで行き着いてしまう。これならば飼育によって野性が失われる心配はほとんどない。
しかしそれなら、シラスウナギの漁獲規制のほうが手っ取り早いとも考えられる。採捕によるダメージや移送による疲労がない分、そのほうがいいに決まっている。しかし人は、やはり自分の手でなにかをやりたいらしい。達成感を得たいらしい。こうした欲求を満たしてくれるのが放流だ。
江戸時代に、捕獲した魚やカメを川に逃がして、殺生を戒める放生会という宗教儀式があったが、これまでの放流はちょっとこれに相通じるものがある。
しかし現在のウナギの危機を救い、実際の増殖効果を追求するなら、放流は儀式的なものであってはいけない。真に効果のある放流をしなくてはならない。
シラスウナギ放流を実施するとして、その場合はどこに放流するかが、問題である。アユのように放流したものを1シーズンの漁獲によって大部分回収してしまう放流スタイルとはわけが違う。
増殖のためのウナギ放流の場合は、確実に銀ウナギとなって川を下り、産卵場を目指してほしいわけである。
もし、シラスウナギをダムや堰堤など河川構造物の上流に放流した場合、成長するまではよいが、その後銀ウナギとなって川を下る時が問題となる。
ウナギの降海のために様々な装置が考案され、試されているが、川を遮断する大規模な河川構造物を安全に通過させられる有効な手立てはまだないからである。
したがって増殖目的のウナギ放流は、成長目的の空間拡大という意味だけでなく、確実に降海できる場所に放流するのでなければ意味がない。現在、ウナギの放流事業については十分な検討のないまま、放さないより放したほうがよいだろうとの暗黙の了解で進んでいる。
今後、ウナギについても科学的放流実験に基づく放流事業の見直しを早急に行いたい。同時に、放流以外の増殖対策にも目を向け、力を注ぎたい。密漁の河川パトロールや多自然型河川への改修など、天然ウナギの保護と河川環境の保全・再生のためにやるべきことはたくさんある。
【PROFILE】塚本勝巳 東京大学大気海洋研究所教授
1948年、岡山県生まれ。東京大学農学部水産学科卒業。東京大学大学院農学研究科修士課程修了。東京大学海洋研究所助手、助教授を経て、現在、東京大学大気海洋研究所教授。農学博士。専門は魚類の回遊生態。世界で初めて天然ウナギの卵を採集、二ホンウナギの産卵場を特定するなど、ウナギ研究で前人未到の成果をあげてきた文字通りの「世界的ウナギ博士」である。2006年日本水産学会賞受賞、2007年日本農学賞受賞、2011年太平洋学術会議畑井メダル受賞、2012年日本学士院エジンバラ公賞受賞。
著書に“Eel Biology”(共編著、Springer)『海と生命』(編著、東海大学出版会)『魚類生態学の基礎』(編著、恒星社厚生閣)『旅するウナギ』(共著、東海大学出版会)などがある。