1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 「嫌い」の感情にふたをするほど閉塞感が増す...現代に必要な“上手な悪口”

生き方

「嫌い」の感情にふたをするほど閉塞感が増す...現代に必要な“上手な悪口”

樋口裕一(多摩大学名誉教授)

2024年04月09日 公開 2024年12月16日 更新

「嫌い」の感情にふたをするほど閉塞感が増す...現代に必要な“上手な悪口”

誰にでも好き嫌いはありますが、「好き」だけでなく、「嫌い」という感情も大事にすることで、人生がより豊かなものへと変わっていきます。多摩大学名誉教授の樋口裕一さんが語ります。(取材・文:辻由美子)

※本稿は、『PHPスペシャル』2024年3月号より内容を抜粋・編集したものです。

 

「嫌い」の感情も大事にしよう

今の社会は「好き」が肯定される風潮にあります。自分の好きを追求する「推し活」はトレンドになっていますし、「多様性を認めよう」を合言葉に、さまざまな「好き」が公認されるようになりました。

一方で、「嫌い」を表明するのには、勇気が必要です。公の場で「私はこれが嫌いです」と言えば、微妙な空気になりかねません。その結果、私たちは「嫌い」という感情にふたをするようになりました。

でも、何となく嫌な感情は残りますから、モヤモヤしたものがたまっていく。それがネットのSNSなどで匿名の投稿になり、ひどい中傷や個人攻撃に変わってしまうのではないでしょうか。

匿名のネットで「嫌い」という感情を吐き出すのは、公的な場で「嫌い」を言うことができなくなった裏返しと言えます。

また、「嫌い」という感情を否定すると、「嫌っている自分が悪いのだ」という自己否定にもつながりかねません。私は今こそ「嫌い」という感情を、堂々と表明すべきだと思っています。

 

自分の「嫌い」を見つめることで、人生の方向性が見えてくる

「嫌い」を言うメリットは、じつは大きいのです。「嫌い」と公言するためには、なぜ嫌いなのかを分析し、自分を客観視しなければなりません。嫌う理由を必ず問われるからです。

私は音楽家のマーラーの曲が大嫌いですが、「マーラーが嫌いです」と言うと、必ず「なぜですか」と訊かれます。自分はなぜそれが嫌いなのかを追求していく過程は、自分を見つめ直す過程でもあります。

つまり「嫌い」の気持ちを大事にすると、自己分析が進みます。自分の「嫌い」を知ることで、自分の価値観がクリアになり、人生の方向性が見えてきて、より豊かな人生が築けるのです。

では、どのようにして周りの人を傷つけずに「嫌い」を表明するのか。「嫌い」という感情の上手な出し方、向き合い方について考えてみましょう。

 

拒絶、排除にならない上手な嫌い方

現代社会、とくに日本で「嫌い」を表明するのが難しいのは、そう断言することが、相手を拒否したり、排除したりすることと受け取られる可能性があるからです。

でも、嫌うことは、拒否や排除ではありません。むしろ逆だと思います。「嫌い」を言わずに、みんなと同じものを好きだと言うのは、みんなと異なるものを排除することにつながります。「嫌い」を否定することこそ拒否であり、排除だと認識すべきです。

そもそも、「嫌い」と「好き」は表裏一体です。好きなものがあれば嫌いなものがあるのは当然のこと。ただ、私はレモンが嫌いですが、レモンが好きな人を否定することはありません。何かを好きな人もいれば、嫌いな人もいる。「好き」も「嫌い」も認めてこそ、多様性を受け入れることになるのではないでしょうか。

しかし、「嫌い」の文化に慣れていない私たちは、嫌い方に気をつけなければなりません。嫌い方によっては、全否定や断罪に受け取られることがあるからです。拒否や排除にならないように上手に嫌うには、下記であげるポイントを意識することが大事になります。

 

①部分で嫌う

どんな人にもいいところと悪いところがあります。でも「あの人が嫌い」と言ってしまうと、相手のすべてを否定することになります。「あの人の偉そうにしゃべるところが嫌」など、部分だけを限定して言うようにしましょう。

②主観で語る

「嫌い」の感情はあくまでも主観です。客観的事実ではありません。ネットのレビューには"神"のごとく、「いい、悪い」を断罪するコメントが見受けられますが、あくまで「私にとってどうであるか」という言い方をしましょう。

③感情にとどめる

嫌いだからといって、相手を仲間はずれにしたり、無視したりしてはいけません。つまり、行動に移してはいけないのです。「嫌い」はあくまで自分の意見にとどめ、行動するうえではフラットに振舞うようにしてください。

④立場の弱い人には慎重に

自分より立場が弱い人に「嫌い」を表明するときは、慎重になりましょう。力を持つ人が「嫌い」と言うと、排除やいじめになりかねません。「嫌い」の表明は、自分と立場が同等以上の人に対して行なうのが前提です。

⑤他人の「嫌い」を認める

自分が「嫌い」を言うからには、他人の「嫌い」も認めなければいけません。自分の好きなものを嫌いと言われても、気分を害してはいけないのです。相手の価値観を認めてこそ、自分の「嫌い」も認めてもらえます。

⑥中傷しない

嫌うことと中傷することは違います。中傷は、相手の人格を否定すること。一方、嫌うことは、相手を尊重したうえで、「ここが自分と相容れない」と判断することです。相手を尊重せず批判する人に、嫌う資格はありません。

 

嫌いなもの、嫌いな人との上手な向き合い方

生きていれば、嫌いなもの、嫌いな人があらわれるのは当たり前です。しかし、私たちはあまりに「嫌い」という感情を抑圧しすぎてしまったために、何が嫌いかわからなくなっている傾向があります。

私が教えている大学でも、学生に「好き、嫌い」を聞くと、嫌いなものをすぐに答えられない子が結構います。自分の「嫌い」がわからない子、言えない子は総じて、自分の将来についても、どうしたいのかよくわかっていないことが多いです。

これでは人生において達成感を味わえないどころか、人間関係でもひずみが生まれやすく、将来的な不幸を招く恐れもあります。後悔のない人生を送るためにも、自分の「嫌い」を知り、好き嫌いをはっきり言う習慣づけが大切です。

そして、もし嫌いなもの、嫌いな人が目の前にあらわれたときは、うまくかわしたり、距離を置いたりする必要があります。対処の仕方を間違えると、余計なトラブルを生みかねないからです。自分の「嫌い」を大事にしつつ、無駄にストレスをためこまないように、うまく対処していきましょう。

 

【嫌いなものの見つけ方】一度紙に書き出してみる

紙に自分の嫌いなものを、思いつくままに書き出してみてください。嫌いなものが少ない人は、食べ物を思い浮かべると書きやすいでしょう。数は多ければ多いほど、あとで行なう自己分析に役立ちます。書き終わったら、嫌いなものリストを眺めて、それらの共通点を探します。

また、それぞれについて嫌いな理由も考えてみましょう。漠然と嫌いなままならモヤモヤした気持ちが続きますが、なぜ嫌いなのか理由がわかれば、対処の仕方も見つけやすくなります。

 

【嫌いなもの、嫌いなことへの対処法】なるべく距離を置き、人に任せる

可能なら、嫌いなものから遠ざかりましょう。私はレモンが嫌いなので、自分からは近づきません。周りに「嫌い」を公言するのも一つの手です。「私は酸っぱいものが嫌いです」と言っておけば、無理にはすすめられません。

いっそ、「嫌い」を売り物にしておもしろい失敗談にすれば、場が盛り上がるでしょう。また、嫌いなことは人にできるだけ任せて、そのかわりに自分が得意なことを引き受けるといった工夫も必要です。

 

【嫌いな人とのつき合い方】ゲーム感覚で、相手をうまく利用する

嫌いな人には近づかない、関わりをもたないのが一番ですが、難しいときは、その人づきあいをゲームに変えてしまいましょう。「今日は3回嫌なことを言われた」などと記録して、その人を分析すると、対処法が見えてくることがあります。

仕事関係の人なら、相手の上手な利用の仕方を考えましょう。私はかつて職場で嫌いな同僚を上手におだてて一緒に仕事をし、成果を上げたことがあります。最後まで仲良くはなれませんでしたが、その人の良い部分は見えてきました。

 

【悪口の上手な言い方】「たしかに~、しかし~」で伝える

たとえば上司の悪口を言うときは、共感を得ることが大切です。「あの人はすぐムチャぶりしますよね」など、みんなに共通するエピソードを取り上げるといいでしょう。おもしろく話すのも効果的です。

また、一方的な悪口と思われないように、「たしかに~、しかし~」という構文を使います。「たしかに良いところはあるかもしれません。でも私は~なところが嫌いです」と言えば、バランスが取れた言い方になります。悪口を言うときは、周りに無理に同調を求めないことも大切です。

 

「嫌い」と言う勇気を持とう

「嫌い」は「好き」と同じくらい大切な感情です。「嫌い」を遠慮なく言い合える社会は、健全で成熟しているのではないでしょうか。

それを強く感じたエピソードがあります。以前、パリのオペラ座で『フィガロの結婚』を観劇したことがあります。素晴らしいオペラでしたが、終演したあと観客が口にしている感想に驚きました。

日本だとせいぜい「良かったですね」「感激しました」くらいですが、フランスでは違いました。「フィガロ役は、このあいだの誰々のほうが良かったですね」「いえ、私は今日の誰々が一番適役だと思います」など、侃々がくがくの議論が交わされているのです。

お互いの意見の対立点を見つけて議論し、分析し、芝居を楽しむ国民性に社会の成熟度の違いを思い知りました。そもそも議論は、「嫌い」を言わないとスタートしません。「嫌い」を殺し、周りに同調する文化から発展は生まれないのです。

私たちはもっと声高に「嫌い」を主張すべきです。そのことによって波風が立つのも覚悟のうえで、自分の「嫌い」を正々堂々と公言し、同時に他人の「嫌い」も尊重する。「嫌い」を言う勇気が自分も人も成長させ、より生きやすい社会をつくっていくのではないでしょうか。

 

【樋口裕一(ひぐち・ゆういち)】
早稲田大学第一文学部卒業。立教大学大学院博士後期課程満期退学。「白藍塾」塾長。MJ日本語教育学院学院長。受験小論文指導の第一人者として活躍。『頭がいい人、悪い人の話し方』(PHP新書)、『「嫌い」の感情が人を成長させる』(さくら舎)など著書多数。

 

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×