寿司職人の小川洋利さんは、日本のすし文化を全世界に広めるため、世界50カ国以上にわたって、すし指導員として外国人シェフに調理指導をされています。本稿では、日本の常識は通用しない「海外のSUSHI」事情について、小川さんが語ります。
※本稿は、小川洋利著『寿司サムライが行く! トップ寿司職人が世界を回り歩いて見てきた』(キーステージ21)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
これだけは知っておきたい、華やかな「SUSHI」の想像を絶する舞台裏
「オレも寿司屋になればよかったな。こうやって客と話して、お酒飲みながら仕事できるんだから、うらやましいな」「いいな~小川ちゃん」。寿司店をやっているとお客様からよく言われる言葉です。
お客様が来店し「いらっしゃい」と言ってカウンターに座ったら、寿司を作りながらお客様との会話が弾みます。たまには、お客様から「飲めよ」って勧められて、飲みながら仕事するときもあります。お客様からすると楽しそうに働いているように見られます。
寿司店の仕事は、「仕込み7割営業3割」と言いまして、実は仕込みがすごく大変なのです!
営業とは店を開いている時間、仕込みとはその準備の時間をさします。営業はほんのごく一部で、私が店をやっていたころは、朝5時半に起きて築地に買い出しに行って、店に戻って仕込みにとりかかります。営業開始までのこの時間というのがすごく大変。
予約がたくさん入っていると、ひどいときはご飯も食べられないくらい。仕込みをしたネタをネタケースに入れ、営業が始まって注文が入ったら、すぐにお客様に提供できるような状態にしてあります。実際その裏側がどれだけ大変かというのが見えないんですよね。
もちろん、海外でも一緒なのですが、結局は寿司といったって、ただ魚を切ってご飯の上にネタをのせればいいっていわれますが、魚をさばいて寿司になるまでの、この仕込みにどれだけの思いを込められるか。これは職人によっても違います。仕込みがうまい、仕込みを手間暇惜しまずやっている寿司店というのはおいしいのです。
みなさんに楽しそうだなと言われますが、実際には店の営業が終わってから夜中に仕込みを始めたりもするし、すごく大変なのです。包丁の手入れだって、一日3回ぐらい研ぐときもあります。
次の日の仕込みの準備をしておかないといけないし、朝起きたらその日の準備をやらないといけないし、仕入れにも行かないといけない。睡眠時間2~3時間の日も、まったく寝られない日もあります。
私はこだわっているところは、とことんこだわっていました。自分で納得のいく〇〇産の△△を目利きして、四季や旬を考えて見極めて。シャリも、毎日湿度を見て水加減を変えていました。私はその時その時の天候や状況に合わせて、米の削り方やブレンドまで精米屋さんにお願いしていました。こだわったらキリがありません。
でもそういう風に職人をやっているときがまた楽しい。お客様によろこんでもらうというのが職人にとって一番の幸せなことなのです。見えないところだけど、そこにこだわるかこだわらないかが、お客様に伝わると思っています。
おいしい寿司店は、仕込みでだいたい味が決まってきます。穴子を煮る、卵を焼く、魚を締める、あぶり、氷で締める(洗い)、湯引きなど、いろいろ仕事がありますが、ネタケースに並んだ時点で最高のものになるように仕上げます。あとは切れる包丁でネタをスパッと切って、心を込めてふわっといいにぎりにして、一個のものに完成させる。仕込みが乱雑だと、いくらよいネタを使ってもおいしくない。
いくらも筋子から作ります。胎盤をとるのに、熱湯に塩を入れてかき混ぜます。そのほうが安いしおいしいから。筋子がないときは塩いくらを使いますが、入ったときはまとめて買ってきて、仕込み、自分で醤油につけたりします。
ガリも時期によっては保存が利くので、新生姜が入ったときにたくさん買って、薄く引いて漬けたりもしていました。もちろんなくなったらしかたないけど、なるべく一からやっていました。桜でんぶも作ったし、かんぴょうも一から煮ていたし、卵焼きも自分で焼いていました。
寿司店によっては無口で頑固な職人もいます。それはそのお店のやり方で、お客様も好みがあり、自分に合ったお店を選びます。私のお店は楽しくがモットーでやっていた店だったから、常に笑いが絶えませんでした。いつも幸せそうに、楽しそうにやっているねってよく言われました。
私のお店は2~3人の職人でやっていたからいいけど、人数が多くなると職人同士のケンカも絶えない。私が以前いたところは板前が十人以上いて、先輩によって派閥ができていました。こっち派の先輩に言われてサバを締めていると、あっち派の先輩がなんでこんな仕事するんだよって、文句を言われる。結局板挟みになったり、あいつの言うことは聞くなよと言われたり......。
血の気が多く、こだわりを持った人が多い世界なので、ケンカばっかりですよ。みんなお客様の前ではニコニコしているけれど、タチの悪い職人もたくさんいました。実際は私もそう言われていたかもしれません......。
海外の調理現場のリアル
日本ではよく、皿洗い3年といわれます。一方で、海外では料理人は料理しか作りません。皿洗いは皿洗いの専門職があって、掃除する人も専門にいて、仕事が完全に分かれています。だから日本みたいに最初に皿洗いをやって掃除をやって、支度が全部できるようになって、それから料理人......というシステムがない。
オーストラリアで働いていたときには、シェフでもランクがあって、「キッチンハンド」「デミシェフ」「コミシェフ」「シェフデパーティ」「ジュニアシェフデパーティ」「スーシェフ」など順番に上がっていきます。昔からあるフレンチの世界のランクで、デミシェフの人はここまでしかやったらダメとか、これ以上やるといけませんよ、みたいな決まりがあります。
不思議だったのは、ホテルで料理長がキッチンハンドにやらせてしまった仕事が、本来はさせてはいけなかったようで、「私はこれをやらされてしまった」とキッチンハンドのシェフに訴えられたことがありました。そのくらいランクによって仕事の内容が異なるということです。
キッチンハンドは包丁を持ってはいけないとか、皿洗いの人がシェフみたいに料理を作ってはいけない、というルールが厳しくなっています。日本では手が空いた人が忙しいところに入って、どんどん料理を提供していきますが、海外ではそういうのがありません。このポジションはこのポジションの人だけがやって、別のポジションで暇な人は腕を組んだまま......。
「それぞれのポジションで集中してやっている」といえば聞こえはいいけれど、悪くいえばチームワークがないと感じます。日本なら、皿洗いの人でも、ちょっとした仕込みとかで、エビの皮むきをやったり、私たち職人も皿が積まれていたら洗うとか、みんなで忙しいところにどんどん入っていこうというチームワークがあるけど、海外ではそういうシステムがない。だから、下積みという日本ならではの文化が取り入れられないのです。
私が修行していたときは、親方の家に住み込みで入って、洗濯や掃除、親方の身の回りの世話をし、ずっと一緒に住んでいました。そのときに親方とよい関係が築けたし、絆みたいなものが生まれるようになっていました。最初は出前もちをやって、皿洗いをやって、魚のこけ引きをやって、もちろん最初は寿司なんて握らせてくれない。逃げ出したくもなったけれど、だからこそ辛いときを思い出して、いつでも初心に戻れる......。
海外の人たちは、シェフは最初からシェフで、作るだけです。汚れた皿が溜まっていても、「俺はシェフだから皿洗いやんないよ」と言われてしまう。私が皿を洗っていると、「やらないでくれ」と言われてしまう始末。文化の違いだからしかたがないにしても、ちょっとさびしい感じがします。
シェフは、後片付けもやらないで、作ってオーダーを出したら、まな板から何から全部を置き去りにして帰っていきます。あとはそれを洗う人たちが専門でいて、全部きれいにしていく。日本では考えられません。私はやりっぱなしというのは嫌なので......。
私たちの間でよく言うのですが、「物の整理は心の整理。感謝を込めて後始末」と。自分が使ったまな板は自分で洗わないと嫌。誰かに洗ってもらうのは信用できないし、最後まできれいにしてその日の仕事が終わります。私は全てをやってこその一つの料理だと思っています。
ある有名人が「3ヶ月間皿洗いなんかやってるのは時間の無駄だ」と言っていました。「それなら、3ヶ月学校行って覚えちゃった方がいいんじゃないか」と。
それも一理あると思います。でも、皿洗いをやってよかったこともありますし、下積みは実際には無意味ではないです。忍耐力とか、感謝の心、物の大事さや相手の気持ちなどを学ぶことができます。
下積みの努力があるからこそ、うまいものが作れると親方からも言われてきましたので、この方みたいに実践、効率、生産性を追求するのはすばらしいことかもしれないけど、修行や仕事の辛さを知れば人の痛みもわかりますし、職人としての精神性を磨いていけるのかなと思います。
自分がやられたからやるんじゃなくて、自分がやられて嫌なものはやらなくて、料理人としてもっとよい方向に持っていけるのではないかと思います。