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学生時代に“寝太郎”と呼ばれた柳井正氏は、いかにしてユニクロを築いたのか

大賀康史(フライヤーCEO)

2024年07月05日 公開

学生時代に“寝太郎”と呼ばれた柳井正氏は、いかにしてユニクロを築いたのか

ビジネス書を中心に1冊10分で読める本の要約をお届けしているサービス「flier(フライヤー)」(https://www.flierinc.com/)。
こちらで紹介している本の中から、特にワンランク上のビジネスパーソンを目指す方に読んでほしい一冊を、CEOの大賀康史がチョイスします。

今回、紹介するのは『ユニクロ』(杉本貴司著、日本経済新聞出版)。この本がビジネスパーソンにとってどう重要なのか。何を学ぶべきなのか。詳細に解説する。

 

決して早咲きではない柳井正という人のすごみ

『ユニクロ』(杉本貴司著、日本経済新聞出版)

この本をどう表現したらよいか、いい言葉が浮かびません。一度、読み始めると止まらない作品であることは確かでしょう。経営者柳井正(敬称略)の半生、経営戦略論、一つの象徴的な会社をとりまく人たち、そのどの角度で切り取っても傑作の装いがあります。

タイトルとなっているのは『ユニクロ』で、その運営会社であるファーストリテイリングの物語となります。ですが、私には柳井正というその人のすごみと魅力の方に、強いメッセージ性を感じました。

ユニクロの華々しい成功ゆえに、どうしてもメディアで批判の的になってきました。しかしこの作品を読めば、その成功がどんな苦労の積み重ねの上に築かれてきたかを知ることになります。

そしてこの力作をこの短い記事で紹介するのは、ずいぶん無理があります。ここでは私が最も印象に残った柳井正という日本を代表する経営者とユニクロの飛躍への変曲点に焦点を当てて、触れていきたいと思います。

 

寝太郎と呼ばれた青年期

ファーストリテイリングが山口県に地盤があることを知っている人は多いかもしれません。もともと柳井正が育った地は山口県の宇部でした。炭鉱があり、宇部興産がその地域の産業の中心でした。

柳井正の父親である柳井等が創業した小郡(おごおり)商事は、当時紳士服を主に扱う商店街にある小売店でした。父からの教育や体罰は厳しく、正は父親から距離を置くようになり、逃げるように東京の早稲田大学に進学しました。

入学したのは1967年でした。学生運動が盛り上がりを見せていた時期になります。学生運動をくだらないと感じ、無気力に過ごしていた柳井正に大家のおばさんが付けたあだ名は「寝太郎」。下宿で仲間とする麻雀とラーメン屋を往復するような日々を過ごします。

そして、就職活動にも失敗し、大学卒業後には無職のプータロー生活を始めました。見かねた父の斡旋でジャスコ(現在のイオン)に入社するも9か月で嫌になり、またお気楽生活で無為に過ごしました。

父の等から呼び戻され、家業を継いでいくのですが、そこでも古株の社員に見放されました。そしていよいよ追い込まれて本気になり始めたころ、父親から会社のすべてと預金通帳を任され、柳井正の経営者としての覚醒が始まります。

 

進化の3段階と大行列

宇部の町は炭鉱の閉鎖の影響で目に見えて衰退しはじめます。そして当然小郡商事の経営にも打撃があり、会社が倒産する夢をよく見たそうです。そのような経営危機下において、まったく違う業態を試みました。それが、「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」という新しいコンセプトのカジュアルウェアの店でした。

その店はレコード店や書店のように、接客をほとんどしないコンセプトで作られました。そのコンセプトが大当たりし、オープンから大行列。

そしてあまりの混雑に、柳井正はラジオ番組で「今から来て並んでいただいても店に入れないかもしれません。だから、大変申し訳ありませんが、もうお店に来ないでください!」と言い、むしろリスナーの関心を引いて火に油を注ぐことになるほどの大ヒットになりました。

その後日の朝礼で、柳井は「金鉱をつかんだんだ。みんな、僕たちは金の鉱脈をつかんだんだぞ!」と言ったそうです。

次の進化は店舗の立地で、幹線道路沿いのロードサイドに展開をしていったことでした。失敗がありながらも、快進撃を続け、徐々に経営が軌道に乗っていきました。

そして第3段は、香港視察時に見た店を参考にした、小売だけではなく企画・製造も手掛ける一貫型の製造小売業(SPA)への進化でした。ここまででユニクロの基礎的なフォーマットが定まりました。

その後に全国展開を一気呵成に進めた後、いよいよ都心への進出を図りました。原宿店の指揮をとったのが、伊藤忠から移ってきた澤田でした。

澤田は店のコンセプトを考え続けていた際、海外の高級ブランドから転職してきた社員との会話をきっかけに、フリースに一点集中することを決意。その結果は原宿を貫くほどの大行列でした。この大成功から始まるブームを追い風に、急拡大期を迎えたのです。

その後は、足し算と引き算を繰り返しながら、世界展開を成功させていきます。詳細はとてもここで収まらないので、詳しいいきさつは本書を見てみて下さい。

 

柳井正の経営論

このように駆け足で触れても激動の展開で、いくつもある成功要因の中でもやはり経営者である柳井正の影響が最も大きかったと感じさせます。本書にはその柳井正の経営思想が度々出てきますので、いくつか触れていきます。

柳井正に影響を与えたマクドナルド元CEOのレイ・クロックの著書『成功はゴミ箱の中に』に記載された言葉があります。

「Be daring, Be first, Be different」(勇敢に、誰よりも先に、人と違ったことを)。

紳士服店から倉庫のようなカジュアルウェア店に転換、郊外に進出、SPAへの進化、フリースを看板商品にして展開、というユニクロの足取りがこの言葉に支えられていることがわかるのではないでしょうか。

同じく、強く影響を受けた本に、ハロルド・ジェニーンの『プロフェッショナルマネジャー』があります。その3行の経営論は同じく柳井が大切にしていることです。

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本を読むときは、初めから終わりへと読む
ビジネスの経営はそれとは逆だ
終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ
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ユニクロがまだ地方のチェーン店に過ぎなかったころに、柳井正は世界一になるというゴールを掲げました。まさにこの3行の経営論を体現していることがうかがえます。

またユニクロには17ヶ条からなる経営理念がありました。今では23ヶ条となりその内容は更新されています。当初掲げられた第8条の言葉は、「社長中心、全社員一致協力、全部門連動体制の経営」でした。この強烈なトップダウンが、ユニクロの推進力でした。

なお、この「社長中心」はのちに「全社最適」と変えられたそうです。優秀な人材の参画を経て、トップダウン型を示唆する言葉からその目的にあたる全社最適へと、汎用性を持たせたと言えるでしょう。

 

経営者という名の修行僧

山口県にあるユニクロの本社で働くことは、都心の華やかさから離れ、禅で有名な曹洞宗の総本山「永平寺」で修業するのにも似たものだそうです。柳井正は早朝から夕方まで熱心に働き、そして夜は読書などを通じて思索にふけるのだといいます。社員も同様に飲みに行くことは少なく、仕事一筋の人が多いそうです。

本書から、経営に全身全霊で取り組む姿勢や、新たな知識やアイデアへの渇望ともいえるこだわり、仲間に全力を出してもらいながらもユニクロに関わった人に対する親心といった、柳井正の複層的な魅力が一貫して伝わってきます。

経営者には様々なタイプがいます。ある特定のタイプが優れているということではありません。いずれの個性でも、その価値観が会社に反映されることは、非常に強固なアイデンティティにつながります。

積極的にメディアに出るタイプではなく、装いに質素さがあり、異常ともいえるほど仕事熱心である柳井正その人らしさが、ユニクロ、そしてファーストリテイリングの文化の中に強く影響を与えていることが印象に残ります。

本書は柳井正という希代の経営者の魅力を知るとともに、ユニクロの快進撃を追うことができる興奮に満ちたノンフィクションでありながら、経営理念や経営戦略のような抽象的な示唆も兼ね備えた作品です。これから長く読まれ続けるだろうこの作品に、ぜひ手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。素晴らしい読書体験を約束できる一冊です。

 

著者紹介

フライヤー(flier)

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