千年の歴史が息づく街、京都。人気の観光地として、国内外から旅行客が集まります。
日本美術史の研究者として、京都産業大学の日本文化研究所特別教授も務められている彬子女王殿下は、京都にもお住まいがあって、街をよく歩かれているとのこと。
住み慣れた古都の街並みに、彬子女王殿下はどんな思いをめぐらしながら、日々をお過ごしになっているのでしょうか。
※本稿は、彬子女王著『新装版 京都 ものがたりの道』より内容を一部抜粋・編集したものです。
それぞれの通りに独特な個性がある京都
「京都」という街は「道」から成る。
京都に暮らし始めて数年がたち、そんなことを思うようになった。平安京の昔から、東西の通りと南北の通りが直角に交差する碁盤の目のように形作られた街路。京都市内のほとんどの通りが名称を持っており、人に場所を説明するときも、「河原町御池ちょっと下がったところの東側」と言えばすぐにわかる。
逆に、一般的な「○○町××番地」といった住所を伝えても全く通じなかったりする。京都の人たちの生活は道とともにある。そう思うのである。
そんな京都の通りを行き先も決めずに散歩するのが大好きだ。通り一本違うだけで雰囲気ががらりと変わるし、それぞれの通りに独特な個性がある。どの通りを歩いても必ず史跡に行きあたるのも楽しい。
小さな石碑であっても、見た瞬間に「あ、あの織田信長もこの道を歩いたのかもしれない......」などと、一気にときを飛び越えられる感覚は、京都ならではのものだろう。そしてその道に、京都の人たちの日常がある。悠久の歴史の流れの中で、その軌跡の一部になって自然と生きているところがなんだかいいな、といつも思う。
道にはたくさんのものがたりがある。かつてその道にあった建物のものがたり。今その道に住む人のものがたり。そしてこれからその道で生まれるモノのものがたり。道に込められたさまざまなものがたりをひもとくことが、京都という街そのものを知ることにもつながっていくのではないかと思うのである。
心ときめくもの、優しい気持ちになれるもの
京都というと「和」のイメージを持たれる方が多いと思うが、道を歩くと思いのほか西洋建築が数多くあることに驚かされる。京都国立博物館、同志社大学、蹴上の浄水場......、市内のそこかしこに重厚な煉瓦造りの建物や、美しいタイルやステンドグラスで彩られた建物を見ることができる。
明治期のお雇い外国人の研究をしていたこともあり、この時代の建物を見るとつい吸い寄せられるように近づいていってしまい、友人に「また始まった」と苦笑いされることもしばしばである。
京都は、明治維新以降、積極的に近代化政策を推し進めた地でもある。日本初の博覧会が開催されたのも京都。日本初の市電が走ったのも京都。日本初の女学校や学区制の小学校が創設されたのも京都。京都の西洋建築を見ていると、幕末維新の動乱期を経て、京都の復興へ向かってひたすらに尽力した先人たちの力強い息遣いが伝わってくるようで、いつも心ときめくのである。
その京都の近代化政策の中枢部となっていたのが京都府庁である。京都府庁の旧本館は、明治37(1904)年に創設されたルネサンス様式の建造物。威風堂々とした佇まいは往時をしのばせ、竣工から100年以上が経過した今も京都の街を見つめ続けている。
重要文化財でありながら、現在も会議室や資料室などとして使われており、創建時の姿をとどめる現役の官公庁の建物としては日本最古。文化財としてただ保存するのではなく、日常的にそれを大切に使い、生かし続ける。「生きた文化財」の中から京都の今が発信されていることは、文化財の息づく京都らしい。
この府庁が一番輝く季節が春である。旧本館の中庭で、円山公園の初代「祇園しだれ桜」の孫木をはじめとする6本の桜が咲き誇る。以前、桜守で知られる佐野藤右衛門さんに「桜は木の下に入って見るのが一番美しい」と教わったことがある。
一般的に花は太陽に向かって咲くのに、桜は下に向かって咲く。これは全てを包み込む包容力を桜が持っているからではないか、と。桜を見ると優しい気持ちになれるのは、桜の包容力のおかげなのかもしれない。京都の街をあたたかく見守る桜で染まる府庁から、このものがたりの道を歩み始めることにしたい。