認知症という言葉を聞くだけで、胸の奥が重くなる人は少なくないでしょう。自分のもの忘れが気になって不安になる人、家族の変化に戸惑い、「前とは違ってしまった」と心を痛める人もいます。
あるいは、認知症にだけはなりたくない、家族にもなってほしくないと、強く願っている人もいるかもしれません。
本稿では、精神科医で認知症専門医の繁田雅弘氏に、家族が認知症と診断され、その症状が見られたときの自らの心の持ちようについて、実際の患者さんの事例を挙げながら、やさしく解説して頂きます。
※本稿は、繁田雅弘著『認知症になって幸せな人、不幸せな人』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
許せないことは何なのか
もの忘れは仕方ないことだとわかっていても、どうしても怒鳴ってしまう。
「さっきも同じこと言ってたよね?何度確認したら気が済むの?」「なんで、できないの?ついこの間まではできていたのに!」「だから...、何回同じこと言わせるの?もういい加減にして」「なんでそんな噓つくの?」
声を荒らげてしまった後、うんと後悔する。怒ってもしようがないことを怒り、しょげてしまった親を見て、悲しくなり、自分が心底イヤになる。
親を介護している方のほとんどが、最初にぶつかる壁ではないでしょうか。
イライラして、怒鳴って、自己嫌悪、のループ。皆さん、そうです。頭ではわかっているんですよね。でも、心が追いつかない。
私自身もそうでした。「これくらい、わかるだろう?」「もっと、できるはずだ」。そんな想いから、認知症の母に対して声を荒らげたこともありました。
わかっていてもできないのが親の介護
しっかりしてほしい?
情けない姿を見たくない?
自分の親に限って...。
自分を育ててくれた親だからこそ、できないことが増えていくこと、変わっていくこと、衰えていくことが、許せない。認めたくない。そんな行き場のない気持ちをぶつけてしまう。そこには、いくつになっても「子どもであるという甘え」もあるのかもしれません。
「わかっていてもできないのが親の介護だ」と皆、いいます。赤の他人なら冷静に対応できても、親だけは難しい。それは、義理の親ともまた別の感情だと。
叱られて、どんどん小さくなっていく母
「先日、駅で年老いたお母さんらしき人を叱っている女性を見かけたんです。
私と同じくらいの年齢で、お母さんの歳もたぶん一緒です。なんでできないの!しっかりしてよ!って、大きな声で、すごい形相で怒鳴っていて。叱られているお母さんがどんどん小さくなっていく気がしました。辛くて見ていられなかった。あんな言い方しなくても、って悲しくなりました。...でも、私も同じ言い方をしてるんですよね」
認知症のお母さまと同居する女性が、そうぽつりと言いました。お母さまは教育機関の職につき、長年、人を育ててきた方。娘さんも、公的機関の管理職。ともに「人を育てること」に従事してきた親子でした。
「人を育てることのやりがいを教えてくれたのは母でした。部下を叱るときには、細心の注意を払って叱っているのに。私の母も、私に叱られた後、あの駅のお母さんのような顔をしているのでしょうか。きっと、していますね。怒鳴ってしまった後は、いつも母の顔をちゃんと見られませんから...」
この方は、駅での母娘の姿を見て、これまで自身では向き合えなかったお母さまの「以前みたいにしっかりしたいけれど、どうしようもない」という無力感、情けなさ、みじめさという想いに気づき、共感できたのかもしれません。
認知症を”受け入れる"ということは、言い方を変えれば"今の姿でいい"と諦めることでもあります。
はっきり言って、時間はかかります。自分の親だからこそ、です。
少しずつでもいい。せめて怒鳴ってしまった後に、相手の顔と姿を見てあげてください。
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できないことが増えていく親を、許せない、認めたくない。
それは、親御さんご自身だって同じです。
自分をみじめで情けないと、感じています。
仕方ないことです。
「今の姿でいい」と、
元に戻すことを"諦めて"ください。
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「若返る」ことと同じくらい、難しい
「認知症になったら、もう元には戻れないのでしょうか」
認知症の親をもつ人に、必ずといっていいほど聞かれる言葉です。
わずかな期待を胸にした家族を前に、私ははっきりと「元には戻れないのです」ということを丁寧にお伝えします。
残念ながら、戻りません。
なぜかというと、認知症は老化と分かちがたく結びついているから。
認知症の人を年齢別に見てみると、70代が約1、2割。80代が約3、4割。90代が5割を超えます。
人間、誰でも歳を重ねれば、それまでと同じようにはいかなくなってきます。失敗や、もの忘れも多くなる。老化に抗いつつも、ちょっとずつ心が折れたり、がっかりしていく。病名が付く、付かないは別として、誰しも同じ経験をしているんじゃないでしょうか。
つまり、認知症が「治る」ということは、「若返る」と同じくらい難しいことなのです。
一方で裏を返せば、症状が軽い段階では、正常(老化)と異常(病気)の区別がとても難しいです。「老化」であったとしても、のちに認知症が発症する可能性も否定できません。
その不安は医療の対象ではないという人もいますが、私はその不安も支えられる医療者でありたいと思っています。
自分の親が「落っこちていく」のが許せない
ある83歳の女性は、軽度認知障害または軽度のアルツハイマー型認知症と考えられました。十数年前に夫を亡くして一人暮らしをしていましたが、それを心配した管理栄養士である娘さんが、2カ月前にお母さんを呼び寄せて同居をはじめました。ところが事あるごとに、食事や薬、運動と、こまごま指示を出すそうで、女性は疲れた様子を見せていました。
そしてぼそりと、「すみません。娘は娘で一生懸命ですから」と語り、「自分の親が『落っこちていく』のが許せないのでしょうね」と語っていたことが印象的でした。
もの忘れがひどくなったとき、家族は「大変だ、大変だ」と慌ててしまうかもしれません。
でももしかしたら、1年経っても2年経っても、身の回りのことは同じようにできるかもしれない。もの忘れさえ周りがカリカリしなければ、今の暮らしが続けられます。
症状には個人差があるし、病名によっても違います。
アルツハイマー型認知症であれば多くの人の経過はゆるやかです。
ストレスさえかけなければ、残っている能力を発揮できるようになる方もいます。
言い方を変えれば、周りが頑張りすぎると余計な悪化をまねく可能性もあるということ。「おや」と思っても、まずはちょっと様子を見てほしいと思います。
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残念ながら、
認知症は元には戻りません。
「頑張りすぎない」ことも
一つの尊い選択です。
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