NTTドコモの「ⅰモード」などさまざまな新規事業の立ち上げに携わり、実業家として活躍してきた夏野剛氏。じつは中学生のころから、興味のある本なら、実用書であれ小説であれ片っ端から読んできたという読書家でもある。いまでも忙しい仕事の合間をぬって知の探検にいそしむ夏野氏に、読書への向き合い方についてうかがった。<取材・構成:前田はるみ/写真:佐藤類>
夏野 剛 (なつの・たけし)
1965年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。88年、東京ガス〔株〕に入社。95年、米国ペンシルバニア大学経営大学院卒業、MBA取得。96年、〔株〕ハイパーネットに参加、のちに副社長を務める。97年、〔株〕NTTドコモに転籍し、榎啓一氏、松永真理氏らと「ⅰモード」ビジネスを立ち上げ、同社の躍進に大きく貢献。2008年、NTTドコモを退社し、現在は慶應義塾大学特別招聘教授のほか、〔株〕ドワンゴを含め複数企業の取締役などを務めている。
※本稿は『THE21』2012年9月号[総力特集]より抜粋・編集したものです。
他人の人生を疑似体験し思考の幅を広げる
私の本の読み方は、関心のあるテーマについて書かれた本を何冊もまとめ買いして、そのテーマを徹底的に読破するというスタイルです。本との出会いは、書評だったり、アマゾンのサイトでのリコメンドだったりとさまざまですが、誰が推薦しているかも気にします。この人が推薦しているのなら、と手にとるものもあります。
いまとくにはまっているのは、ワインです。まずはさまざまな角度から、ワインをとりあげている本を見繕ってみる。たとえば種類について書かれた本や、有名な作り手の伝記、ワインを題材にした推理小説、ワインの歴史書などもあります。
こうやってテーマを深掘りしていくと、興味深い背景を知り、真実に近づくことができます。たとえば、ワインの発祥は紀元前にまでさかのぼりますが、その歴史はもともとワインをつくっていた修道僧、つまり修道会の歴史にも関わっています。どんな歴史があり、どんな過程でつくられたのかを知ると、何気なく飲んでいるワインがより味わい深いものになります。
小説も同じで、面白いと思った作家の本を片っ端から読みます。これまで制覇した作家は数知れませんが、幸田真音さんや、真山仁さん、福井晴敏さんなどの本が好きです。たとえば、幸田真音さんの『日本国債』は10年以上前に書かれた本ですが、いままさにホットな話題です。
いま挙げた人たちの小説は、リアルな場面設定を前提に、時代背景や政治の仕組みなども反映させているので、臨場感があり理屈抜きに面白い。また、舞台となる業界を疑似体験できるのも小説を読む醍醐味です。実生活では自分のキャリアの範疇のことしかわかりませんが、主人公が銀行員なら、銀行員の仕事や生活を疑似体験できます。
こういった読書経験は、人間の幅を広げてくれます。ビジネス書や実用書しか読まないという人もいるようですが、いまどき知識はインターネットですぐに調べられます。知識やノウハウだけで生きている人は、つまらない人と思われでもしかたないでしょう。
私は、ビジネスパーソンこそ小説を読むべきだと思っています。本は勉強や仕事のために読むものではなく、思考の幅を広げるために読むものです。いろんな人生を疑似体験し、いろんな考え方に触れ、「そんなものの見方があるの?」といった新たな発見に出合う。この体験にこそ価値があると思っています。
新刊ではありませんが、いまこそ読んでほしい小説は、真山仁さんの≪1≫ 『マグマ』です。地熱発電をテーマに6年前に書かれた本ですが、原発再稼働が取り沙汰されているいま読むとじつに新しいのです。
なぜ日本で地熱発電が広がらないのかを、政官学が原子力を推進してきた歴史を解説しながら解き明かしています。30代前半のバリバリの投資銀行ウーマンが主人公で、地熱発電を一大産業に広げようとする外資系ファンドを舞台に話が進んでいく。ぐいぐいと世界観に引き込まれます。
もう1冊、いまこのタイミングで読むと考えさせられる本が≪2≫ 『決断する力』です。東京都副知事である猪瀬直樹さんが、昨年の大震災のときにどう行動したのかについてまとめられています。緊急時にリーダーが果たすべき役割と、それによって危険が回避されたり、助かった命があったことが実例として生々しく書かれているのです。
いまの政治をみていると、決断せずに先延ばししてもいいような空気が流れていますが、それでいいはずはありません。震災の記憶が新しいうちに、この本を読んで、決断することの大切さをかみしめてほしいと思います。
『 マグマ 』
真山 仁著
角川文庫/700円
原子力産業の深い闇を垣間見る
政治家、研究者、金融プレーヤーなどのさまざまな思惑が交錯するなか、1人の外資系金融ウーマンが地熱発電会社の再建に奔走する経済小説。「地熱発電が日本で広がらない理由は.地熱発電は発電量が大きく、原子力産業を脅かす存在になりかねないため、それを阻もうとする力が働いているからだといいます。あくまで空想小説ですが、綿密な取材をもとに書かれた真山さんの小説だけに真実味があります。私は地熱発電はもっとやるべきだと思っていますが、こういう小説を読むと、原子力産業の深い闇を垣間見ることができます」
『決断する力』
猪瀬直樹著
PHPビジネス新書/840円
“決める”ことの難しさと重要性
東京都副知事として、大震災発生後の危機対応を陣頭指揮した猪瀬氏の行動の記録。ソーシャルメディアを使った情報収集と情報発信で、迅速で柔軟な決断が多くの命を救い、危機を回避した事実がつづられている。「緊急時のリーダーの役割が生々しく書かれています。決断できる人が、決断すべきポジションにいたからこそ成し得たことだと改めて感じます。決めることの大切さを考えさせられる本です」