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[一人一業・私の生き方] 忍術の修行と研究に生涯を捧げる

2012年09月07日 公開

三重大学特任教授・甲賀流伴党21代宗師家 川上仁一さん(福井県若狭町瓜生)

《 『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2012年9・10月号 Vol.7 より》

少年時代から修行を重ね、甲賀流忍術を会得

 昭和30(1955)年ごろ、生まれ育った福井県若狭町瓜生で、6歳だった川上仁一さんは1人の老人と出会った。老人の名は石田正蔵。自宅のあった京都から頻繁に村を訪れて木賃宿に長期滞在し、薬売りなど行商をしながら生活していた石田さんは、甲賀流忍術の体得者であった。いつしか2人は師弟関係となり、川上さんは忍術を習いはじめる。 

 「村のあちこちの家や崖をよじ登ったり、高いところから上手に飛び降りたり、家屋に浸入する方法(!)を教えてもらいました。川に潜ったり、山を駆け回ったりしながら、薬草や毒草の種類、使い方も習いました」

 もちろん各種の武術や謀略の方法なども伝授された。当時70代だったと思われる石田正蔵さんは、どんな技でも見事に実演して見せてくれたそうだ。また、すべての知識を暗記していて、それを口伝えに教えてくれた。

 石田家は京都にあったが、先祖は滋賀県甲賀の武士の家系である。幕末に甲賀勤皇隊が組織されたとき、甲賀流忍者の家系である伴家をはじめ、各家に伝わっていた忍術を持ち寄って、皆で習得し直したことがあったそうだ。これが石田正蔵さんまで代々伝えられていたのである。

 流派の名称は「甲賀忍之伝」。18歳で師範となった川上さんは、「甲賀流伴党21代宗師家」を名乗ることを許された。石田さんからは19歳くらいまで忍術を習っていたという。

(中略)

忍とは「兵法の中の働き」である 

 さて、忍者といえば多くの方々は、黒装束に身を包み、刀を背負い、手裏剣を投げ、水の上を歩き、煙の中にドロンと姿を消す様子を思い浮かべることだろう。しかし、そうしたお決まりのイメージは、すべて映画やテレビドラマなどで創作されたものであり、戦国時代に活躍した「忍の者」の実像とはかけ離れている。こうしたある種、荒唐無稽な描かれ方をしてきたことも、学者が忍者を否定したがる要因になっており、川上さんが最も憂慮している点だ。

 まず、忍術に対する根本的な誤解を解いていく必要があるだろう。そもそも忍術とは、奇妙奇天烈な手品的戦法のことではない。「戦時における兵法の中の働き」もしくは「兵法の一部門」として捉えるべきなのだ。つまり中世における戦争の中で実際に使われた種々の技術や知識、たとえば諜報活動や謀略の手法、敵地に忍び込む方法、夜襲や奇襲といった独自の戦闘方法こそが忍術であり、それを行う人間を「忍」「忍の者」と呼んだのだ。その意味で、机上の理論を含む兵法よりも、より実戦的であるといえる。

 たとえば戦の前には、必ず敵の情報を探ろうとするものである。最良なのは、戦をせず、つまり血を流さないで問題を解決することだ。そのためには敵を懐柔したり、賄賂で買収したりすることもある。そのような方法で相手の心をコントロールすることも、忍術の範疇に含まれる。

 実際に戦闘に突入した際には、自軍の被害を最小限にとどめながら、忍を敵地に送り込んで夜襲、奇襲を仕掛ける。風の強い日に敵陣に忍び込んで火を放つ。あるいは毒物を使って敵を殲滅することもした。こうした数々の危険な作戦を成功させるには、高度な忍の技が必要であり、各地で戦が勃発したその陰では、必ず何らかの形で「プロフェッショナルの忍の者」が活動したわけである。

 夢を壊すような話だが、忍者の武器の代表のように考えられている「手裏剣」は、実際にはほとんど使われていなかった。そもそも手裏剣は武術の中の道具の1つであり、忍者が必ず手裏剣を使うというのは、これまた映画やドラマでつくられたイメージにすぎないのである。

 さて、いわゆる忍者の中でも、甲賀衆と伊賀衆が飛びぬけて有名になったのはなぜか。その理由を、川上さんは次のように考えている。

 「甲賀も伊賀も、尾張と京・大坂との中間に位置しており、そういう地理的な条件が大きいでしょう。戦国時代はこの地域を中心にして大名たちが覇を競いました。その中で、特に優れた技術と知識を持つ甲賀衆、伊賀衆が傭兵として重用されたのです」

 江戸時代に入り、天下泰平の時代となって、忍者が活躍する「戦」がなくなってしまうと、忍者の末裔や流れを汲む人たちは、忍術を伝えていくために無数の流派を立てていった。忍術について記された『萬川集海』という書物も書かれ、写本が現存している。忍術に高い価値があるからこそ、後の時代に残そうとしたのだろう。そうして連綿と伝わってきた忍術を、川上さんは石田翁から学んだのである。

現代に生きる忍術の極意

 今後、大学の教壇に立つかもしれない川上さんの講義はどんなものになるのだろう。

 これまで述べてきたとおり、忍術の中心は戦争と謀略の手法である。内容によっては倫理的に反社会的な要素を多分に含んでいることもある。しかし、どんなものでも高度に発達していくと、人間の真実にたどりつくものである。戦争に勝つためには「人間を知る」ことも必要になるからだ。

 川上さんによると忍術では、人間には「食欲、性欲、物欲、風流欲(趣味、趣向)、名誉欲」という5つの欲望があり、「喜怒哀楽と恐れ」という5つの感情があるとする。

 忍術では、これらの欲や感情を巧みに利用して、敵を陥れたり、懐柔したりしようとするのだ。

 この5つの欲、5つの感情は人間の本性そのものであり、これらを現代人の生き方にとってよい方向にコントロールし、応用できれば、よりよく生きていくことができるだろう。

(中略)

 忍者には、「恐れてはいけない」「侮ってはいけない」「考えすぎてはいけない」という3つの心構えがある。この心構えを糧としながら、現代の忍者はさらに高い理想を持つ求道者として、未知の領域に挑戦しようとしている。

<取材・構成 森末祐二>

☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の一部分を抜粋したものです。記事全文につきましては下記本誌をご覧ください。(WEB編集担当)


◇掲載誌紹介◇

『 PHP Business Revew 松下幸之助塾』2012年9・10月号Vol.7

発売日:2012年8月27日
価格(税込):1,000円
 
<今回の読みどころ>
 創業者がつくり出した経営理念には、起業の過程で体験して得た、さまざまな商売戦術の叡智や組織運営の鉄則、世相観や顧客に対する考え方、はては創業者自身の人生観などが込められている。会社のDNAを示すものであるとともに、CSR(企業の社会的責任)のエッセンスとも言える創業理念は、きっちりと組織内で継承していく努力が必要であるし、事実、各社でそうした努力が続けられている。9・10月号の特集では、理念継承のための創業者自身や後継経営者のさまざまな努力と取り組みを中心にレポートする。
 特集以外では、松下幸之助の一人娘である松下幸子氏が語る「父・松下幸之助の素顔」や、“水道哲学”ならぬ“バナナ哲学”を浸透させたインドネシアのレポートなどが見どころ。また、忍術の修行と研究に生涯を捧げる“現代の忍者”の生き様を描いた人気企画「一人一業・私の生き方」も興味深い。

 

BN



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