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まるで忍者!? 『麒麟がくる』がさりげなく描いた三河兵の強さ "名古屋の前田慶次”の徹底考察

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年06月12日 公開 2022年06月30日 更新

まるで忍者!?  『麒麟がくる』がさりげなく描いた三河兵の強さ "名古屋の前田慶次”の徹底考察

《全国にその名を轟かせる「名古屋おもてなし武将隊」。名古屋城に詰め、観光客をもてなす武将と足軽の6人組である。2009年11月、名古屋開府400年のPR大使として名古屋にゆかりの6人の武将と4人の足軽で名古屋おもてなし武将隊が結成、すでに10年以上にわたり活躍を続けている。

そのうちの一人、前田慶次氏は名古屋城検定に検定過去最高点で合格し同検定の名誉顧問を務め、日本城郭検定にも合格するなど歴史への造詣も深い。

前田慶次氏が自身のYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説している。本稿ではその一部を紹介する》

※本稿はYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にて配信された内容を再構成したものです

 

1560年は日本史の大転換点

皆の者「麒麟がくる 第21回 決戦!桶狭間」は視聴したであろうか? ドラマは、放送時間の関係で歴史の細部まで描けていない部分がある。描かれておらぬ部分を、儂、名古屋おもてなし武将隊「前田慶次」が徹底解説を致す。

今回も前話と同様に1560年から始まる。話数の少ないドラマにおいて同年を二回に分けて放送する意味、それだけ物語の中において1560年は鍵となる年。

戦国時代という暗闇に光をもたらした一人の英雄、織田信長が桶狭間の戦いによってその名を世に轟かせる。

大大名、今川義元に対して奇跡の大勝利と言われているこの戦、儂から申せば「信長の勝利は決まっていた」と申せる。では何故か。此度は信長の策略と共に桶狭間の戦いの裏側を確かと伝えて参る。

 

まるで忍者!? 三河兵の兵の実力

今回のドラマでも忍者とも思われる兵が出現、犬の鳴き真似という芸事までできる万能な働きぶりが描かれておった。これが松平の兵、三河の兵であった。三河の兵は訓練の施された強い兵であった。

ドラマでは沓掛城に入城した今川義元、朝比奈泰朝が、「流石は三河勢。地の理に通じておるな」と高く評価していた。義元は元康を大切に育てた父としての側面を持つが、兵力として重宝していたことも表す大事な一場面であった。

松平軍は鷲津砦、丸根砦の二城の攻撃を義元から任じられたが、一つの軍が二城を攻め落とすというのは難しく、稀な話である。結果、松平軍の兵の士気、体力が限界突破を起こして、今川軍に対して腹を立てる構図が生まれたのだ。

ドラマでは描かれなかったが、義元は朝比奈泰朝を援軍として鷲津砦攻略に向かわせた。

この時、2017年放送の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の井伊直虎の父・直盛が参加していた。井伊直盛を筆頭に、先陣を任せられた井伊家16人は討死。

井伊家は、今川家弱体化とともに今川傘下から外れ、徳川家の配下となる。その後、井伊直正が家康の下で武功をあげ、井伊家再興を果たす。井伊直虎の人生においても、桶狭間の戦いは大きく関係していたということじゃ。

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