ダウン症の書家・金澤翔子さんが母に見せた「一人で生きていける」証
2025年03月24日 公開

5歳から書道を始め20歳で初の個展を開催、その後、伊勢神宮、法隆寺、東大寺といった著名な神社仏閣で奉納揮毫を実現しているダウン症の書家・金澤翔子さん。母・泰子さんは、カフェで働く娘を見てあることを感じました。翔子さんの「魂の書」とともに、泰子さんのエッセイが綴られた書籍『いまを愛して生きてゆく』より一部をご紹介します。
※本稿は、『いまを愛して生きてゆく』(PHP研究所)から一部抜粋・編集したものです
一人で生きていけるよ
どんな思いで、街のカフェの扉を一人で開けたのだろう。その日から3年、翔子は遂にこの店で働き始めた。
言葉が不自由なのに毎日通い詰め、店主やお客様の心を掴んだ。きっと、いつの間にか翔子の愛が溢れて、お客様に思わず片言で「いらっしゃいませ」と言ってしまい、思わずお手伝いをして今の地位を獲得したのだろう。エプロンを掛けていそいそと働く姿に惹かれて毎日来るお客様もいると聞く。
私が行くとコーヒーも淹れてくれた。美味しかった!
ダウン症の娘が無言で皆を説得し、働き出したなんて、気の遠くなるような行程だ。自らが生き様を見せ「一人で生きていけるよ」と私に証を示してくれた。
「ありがとう」と帰る私を見送ってくれた。「ありがとう」は翔ちゃん、それは私のセリフだ。
必然の出来事
友人が亡くなり落ち込んでいると、翔子が「お母様は考えすぎ」と言う。言葉が少ない翔子にはっきりと言われるとハッとする。確かに私もどこまで考えるべきなのかと思うことがままある。
深く考えればなべて悲しく、人間の存在自体が悲しいものに思える。戦士のように手を携えて翔子を育てていた夫の早死には過酷であった。思い返せば悔やむことばかりで悲しみは際限ない。
私は「夫は亡くなったのだからそれでいいのだ」と結論を出して、もう考えないことに決めた。考えないということは難しいけれど、起きてしまったことはもう取り返せないのだから、そして必然の出来事だったのだから、「それで良かったのだ」と思うようにして哀しみの呪縛から解かれた。考えすぎは悲しさを呼ぶ。翔子が正解だ。
育て、育てられ
翔子に常識を教えるのは難しい。今日も右側通行のことを教えている時、親子なのでつい強い言葉になってしまうと、翔子が「お母様、大きな声で言わないで」と蚊の鳴くような声で言う。
でも教えなければならないものは教えなければならないのでなお続けると「お母様、私、早く大人になりたいの」「お母様のように何でも知っている人になりたい」と言う。
こんなに叱られても母親のようになりたいと言う。「やめて!」と言われても仕方ないのに。
しかしこれほど素直に「お母様のようになりたい」と我が子に言わしめたのは私の勝利だ。そして、それは翔子の勝利でもある。素直に育ってくれてありがとう。私の子育ては悔やむことが多いけれど、翔子の方がいつもこのように私を育ててくれました。