われわれは他人に対して自分がどの位置にいるのかを無意識のうちに測定しており、折に触れて自身の優位性を誇示する。その根底には、他人を自分より下位に置きたいという欲望が潜んでおり、この欲望は程度の差はあれ誰の胸中にも潜んでいて、それが強い人ほどマウントを取りたがるという。
世に蔓延するマウントを取りたがる人、ここでは「誰に食わせてもらっていると思ってるんだ!」と言い放つ人を実例に挙げながら、その対処法について精神科医の片田珠美先生に解説して頂く。
※本稿は、片田珠美著『マウントを取らずにはいられない人』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
たった一度夫の帰宅に気づかずに寝ていただけで
30代の専業主婦の女性は、ある日の晩、子どもを寝かしつけたまま眠ってしまった。いつもは夫が帰ってくる時間に合わせて、あたたかい夕食を用意しておくのだが、その日は寝てしまったので、夫が帰ってきたのに気づかなかった。
すると、帰宅した夫は寝ている妻を叩き起こし、「何で寝てるんだよ! いいよな、お前は毎日ヒマで。俺は外で働いてるんだぞ! 誰に食わせてもらっていると思ってるんだ!」と怒鳴りつけた。
妻はその場では言い返さなかった。一日置いてから、「私は家のことをきちんとしているし、ヒマじゃない。仕事を辞めるときも悩んだけど、この子のために決断したんだよ。あなたも、わかってくれていると思ってた」と話した。
それに対して、夫は謝るどころか「俺のせいにするの? それなら俺は仕事を辞めるから、お前が働いてよ」と言い放った。結婚前は、「君のする仕事を尊敬している」と夫はいつも言っていたはずなのに、なぜこんなに変わってしまったのかと、妻は悲しい気持ちになったという。
この妻の気持ちを理解するには、これまでの経緯を振り返る必要がある。
妻は、20代の頃は仕事に情熱を燃やすバリバリのキャリアウーマンで、大企業に勤める男性と10年近くに及ぶ恋愛の末、結婚した。
1年後、妻が妊娠したことをきっかけに、夫は「子育てに専念してほしいから仕事を辞めてほしい」と頼んだ。妻は、キャリアを捨てることに悩み、何度も夫にその思いを打ち明けたが、子どもの頃に鍵っ子で寂しい思いをしたという夫の生い立ちを聞いて、最後は納得して専業主婦になったそうだ。
それまでは仕事一筋だった妻が、家事や子育ての楽しさに目覚め、毎日手の込んだ料理を作り、家の中を整え、子育ても一生懸命やった。にもかかわらず、自分の頑張りを認めてもらえず、たった一度夫の帰宅に気づかずに寝ていただけで、夫から暴言を吐かれたことによって、妻は自分の存在価値を否定されたように感じた。
さらに、「夫の希望に沿って仕事を辞めたが、それは本当に正しかったのか」「そもそも、この夫と結婚したこと自体が間違いだったのではないか」などと悶々と思い悩み、夜眠れなくなって心療内科を受診した。
この夫は、「子育てに専念してほしいから仕事を辞めてほしい」と妻に頼んだということだが、支配欲求がかなり強そうだ。外で働き稼いでくる夫と、その夫を支える専業主婦の妻という組み合わせが主流だった昭和の時代とは違い、令和の時代の現在は共働きの家庭のほうが多い。
にもかかわらず、夫はバリバリのキャリアウーマンだった妻に仕事を辞めるよう頼んだのだから、何らかの思惑があったのではないかと疑いたくなる。
実際、妻が退職して専業主婦になれば経済的自立が困難になるので、経済力のある妻のように夫に逆らうわけにはいかないだろう。
私の外来に通院中の子持ちの専業主婦からよく聞くのは、「本当は離婚したいけれど、私には経済力がないので、離婚したら子どもに惨めな思いをさせることになる。子どものために我慢しているが、つらい」という言葉である。
たしかに、夫から理不尽な扱いを受けても暴言を吐かれても、専業主婦のほうが共働きの女性よりも我慢するであろうことは容易に想像がつく。その分、夫が妻を支配しやすい素地ができるわけで、この夫がそれを狙っていた可能性も否定できない。
この夫の支配欲求が如実に表れたように見えるのが、自分が帰宅したことに気づかず寝ていた妻を怒鳴りつけたうえ、妻に謝るどころか、「俺は仕事を辞めるから、お前が働いてよ」と言い放ったエピソードである。
こんな言葉を投げつけたのは、一度キャリアを捨てた妻が退職前と同じように働いて高収入を得るのは無理だと高を括っているからだろう。「できるならやってみろ。今のお前には到底できないだろう」という意味合いも込められているようにさえ聞こえる。
私の読みが正しければ、夫の食わせてやっているマウントはこの先もずっと続くのではないだろうか。
実は、妻が稼ぐことを望んでいない?
ここで取り上げた夫に限らず、妻が稼ぐことを内心では望んでいない夫は相当数いるように見受けられる。たとえば、次のような話を聞いたことがある。
最近でこそ履歴書の送付はインターネットでも可能になったが、以前は郵送に限られていた。当時30代だった妻は出産を機に仕事を辞めていたものの、一人娘が小学校に入学したので、また働きたいと考え、履歴書や企画書などの必要書類を準備した。
そして、朝の出勤時に駅前の郵便ポストに入れてくれるよう夫に軽い気持ちで頼んだ。早朝に駅前のポストに投函してもらったほうが、自分が家事を終えて昼頃に自宅近くのポストに投函するよりも早く到着するのではないかと考えたからだ。
それだけ、応募書類を送った会社への再就職に期するところがあったのだろう。
ところが、待てど暮らせど面接の通知が届かなかった。不安になった妻が会社に問い合わせたところ、書類は締め切りを3週間以上過ぎてから到着したとのことだった。書類が締め切りに間に合わなかった以上、書類審査の対象にならない。だから、次の段階の面接に進めないのは当然だろう。
だが、割り切れない気持ちが強かった妻は、夫に事情を尋ねた。すると、「(投函するのを)忘れていた。ある日カバンに入っていた封筒に気づいて急いでポストに入れた」という言葉が返ってきた。
一見、"出し忘れ"という誰でもしてしまう単純なミスに見えるかもしれない。だが、このような錯誤行為に「意味がある」ことにフロイトは気づいた。
そして、「錯誤行為は2つの意図の衝突によって生じる心的行為である」と述べている(『精神分析入門(上)』)。
錯誤行為は、「2つの相異なった意向が干渉しあう結果」起きるというわけだが、それでは2つの意向とは何か。フロイトによれば、「一方は妨害する意向、他方は妨害を受ける意向」である(同書)。
この夫の"出し忘れ"について分析すれば、「妨害を受ける意向」とは、妻の再就職をサポートしたいという気持ちだろう。子どもにそれほど手がかからなくなったのだから、妻も働くようになれば、その分家計に余裕ができるわけで、妻の再就職を応援したい気持ちがなかったわけではないと考えられる。
だが、同時に「妨害する意向」も夫の胸中に潜んでいた可能性が高い。共働きになれば、妻が家事に費やせる時間が減るので、料理が手抜きになるのではないかとか、洗濯や掃除がおろそかになるのではないかとかいった危惧を夫が抱いたとしても不思議ではない。
さらに、妻が稼ぐようになれば、唯一の稼ぎ手としての自身の優位性が失われ、これまでのように自分が威張っていられなくなって、家事の分担を押しつけられるのではないかと危惧した可能性も否定できない。
とくに夫が高収入の場合、自分の収入だけで家族を十分養えるので、妻に稼いでもらう必要はない。だから、妻がバリバリ稼ぐようになることを、むしろ脅威と感じたり、嫉妬を覚えたりする夫もいる。
妻の面接の前日に飲みに行って帰宅が遅くなる、あるいは面接の直前に電話してきて狼狽させるようなことを言う夫であれば、実は妻に稼いでほしくないと思っている可能性が高い。
少なくとも、自分の収入を上回るほどには稼いでほしくないと考えているのではないだろうか。
対処法...とにかく経済力をつける
夫の食わせてやっているマウントが続き、妻がそれに耐えられなければ、経済力をつけるしかない。夫の収入に依存するしかない状態が続けば、「誰に食わせてもらっていると思ってるんだ!」と夫から暴言を吐かれても、言い返せないからである。
冒頭で紹介した女性はかつてバリバリのキャリアウーマンだったのだから、能力は相当高いはずだ。しかも、最近はどこも人手不足で困っているそうなので、腹を括って再就職のための準備をすべきだろう。
必ずしも正社員にこだわる必要はない。最初はパートやアルバイト、あるいは派遣社員や契約社員でもいい。人手不足の影響で、有能な非正規社員を正規社員に引き上げる動きが加速しているので、ステップアップできる見込みは十分ある。
妻の再就職に対して、夫が文句を言ったり妨害したりするようなことがあれば、夫の暴言を逆手に取って「あなたが『俺は仕事を辞めるから、お前が働いてよ』とおっしゃったので、お言葉通りにしようと思いました。万一あなたが仕事をお辞めになるような事態になっても困らないように、働きます」と言い返せばいい。
とにかく、経済力をつけることだ。そうしなければ、夫からなめられたままで、暴言を吐かれても、黙って耐えるしかない。場合によっては、離婚して女手一つで子どもを育てる覚悟も必要になるかもしれない。







