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三宅香帆×魚豊「陰謀論の時代に必要なのはカントの思想だ」

三宅香帆(文芸評論家)、魚豊(作家/漫画家)

2025年07月08日 公開

三宅香帆×魚豊「陰謀論の時代に必要なのはカントの思想だ」

昭和・平成の「批評の時代」から、令和の「考察・陰謀論の時代」に移り変わったいま、いかにして批評的精神や倫理を取り戻すのか。2010年代のビジネスインフルエンサーブームとは何だったのか――。

30万部超・新書大賞2025受賞作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)著者で文芸評論家の三宅香帆氏と、『チ。―地球の運動について―』『ようこそ! FACT(東京S区第二支部)へ』(いずれも小学館)原作者の魚豊氏、令和を代表するヒットコンテンツを生み出す二人による特別対談。

※本稿は、『Voice』(2025年7月号)の記事「『陰謀論の時代』に甦るカントの思想」より抜粋、編集したものです。
構成:中西史也(PHP新書編集部)

 

カントの思想の白眉

【三宅】魚豊さんは、『チ。―地球の運動について―』で哲学について触れ、『ようこそ! FACT(東京S区第二支部)へ』では陰謀論を題材にしていますが、人文・批評的なものに関心をもったきっかけはありますか?

【魚豊】高校時代に受けた倫理の授業が面白くて、そこから自分でも本を読んだりして哲学を学ぶようになりました。全然浅学ですけどね。
哲学者では、学生時代はニーチェが好きだったのですが、作家になってからはカントの偉大さを痛感しています。カントの研究は初期の「地球が自転作用によって受けた変化の研究」(1754年)など、自然科学から出発しています。そこから四半世紀の時を経て、有名な『純粋理性批判』(1781年)に至り、『実践理性批判』(1788年)、『判断力批判』(1790年)という三批判書につながっていきます。
自分なりに解釈しているカントの思想の特筆すべき点は、神学の権威が揺らいでいた時代に、聖書の解釈にでなく、自然の恩寵に神を見た点、その自然科学的なところから倫理・道徳を見出そうとした態度です。美的感覚と倫理を連結させている点に自分の好みとの近さを感じました。

【三宅】魚豊さんの『チ。』は、地球の運動という自然科学と倫理を融合させていますし、まさにカント的世界ですよね。『チ。』でも『ようこそ! FACTへ』でも、夕陽の美しさが描かれているのが印象的で、自然美のなかに倫理を見出されています。

でもいまの時代は、「夕陽が綺麗」「花の色が美しい」という美的感覚よりも、クイズ番組で正解を当てたり考察したりといった「行為が報われる感覚」のほうが楽しい、と思われていそうだなと。そんなご時世に、過程を大切にする批評的精神や倫理を取り戻すにはどうすればいいのでしょう。

【魚豊】月並みですが、サンデルも指摘するように、地域共同体の役割は少なくないはずです。それは欧米だと教会でしょうし、日本では寺社仏閣、祭りなどが挙げられるでしょう。

【三宅】信仰が大事だと。

【魚豊】僕も無宗教ですし、無理に宗教をもてとは思いませんが、人類にとって信仰はなくてはならない営みです。人間が他の動物と何が違うかと言えば、「信じられること」ではないでしょうか。

【三宅】ただ、地域共同体に溶け込むにはある程度のコミュニケーション能力が必要ですよね。すると、批評的なものを取り戻すつもりが、結局はコミュ力や言語化力が高い人に絡め取られてしまう気もするんです。

その点、魚豊さんは、本を読むことはどう思われますか。私は、読書は一人でもできるし、書籍の値段はかつてに比べて上がっているとはいえ手が出せない価格ではないし、いいんじゃないかと言いたくなっちゃうんです。じゃあどうやって本を読んでもらうかという点は、私もずっと模索中なのですが。

【魚豊】禿同(激しく同意)です。作家としては、自分の作品を読んだあとに「なんか今日の夕陽きれいだな」と、世界の見え方が少しでも変わったら本望ですね。

あとあえて突飛なことを言うと、ひろゆき(西村博之)氏が、失うものがないため犯罪に手を染めてしまう「無敵の人」を生まないための解決策として、ウサギを配ればいいと提起したことにじつはヒントがあると思います。

そもそもウサギは寂しいと死んでしまうのかという問題はさておき、「自分が一緒にいなければいけない」と役割を感じられる存在は、人間にとって不可欠なのでしょう。

【三宅】『ようこそ! FACTへ』の主人公の渡辺君も、彼にとってのウサギのような存在を見つけられなかったからこそ、陰謀論に傾倒してしまったのかな。私の場合はフィクションを中心とした本でしたが、「人には人のウサギ」(!)が必要なのかもしれません。

 

2010年代とはどういう時代だったのか

【魚豊】ところで、今後の批評界を担っていく三宅さんに、いつか総括してもらいたいテーマがあります。

【三宅】おお、なんでしょうか。

【魚豊】それは「2010年代とはどういう時代だったのか」です。

【三宅】大きなお題!

【魚豊】というのも、コロナ禍も相まってとくに2020年代に陰謀論が蔓延している背景には、2010年代の社会情勢・言論空間があると思うからです。

メディアの文脈で言えば、2010年代はビジネス芸人・インフルエンサーとNewsPicksの時代だったと思います。中田敦彦氏や西野亮廣氏、堀江貴文氏やひろゆき氏が世間の話題を呼び、教養や生き方のハック術を教える。

言論界のヘゲモニー(覇権)は、2010年代はビジネスにあったと思いますが、20年代のいまはそれが陰謀論的なものに移行しつつある。

つまり、最後の成長神話・平成が終わり、いよいよ国家の衰退が目に見えてきたいま、2010年代の主要なアクターたちの一部が、ビジネスから陰謀論的な装飾に鞍替えしつつ存続と再起を図ってる。そんな兆しを感じるんです。

僕としてはそれは嫌なので、2010年代の適切な再解釈を行なうことで、つまり、当事者は手放しているけど、あのときあったビジネス言論の"本当の可能性"を仮構することで、陰謀論が言論界の覇権を握る未来を回避したいというSF的な妄想があります(笑)。

【三宅】よくわかります。私は大学の学部を卒業したのが2016年で、とくに大学院にいた2017、18年頃にNewsPicksが流行っていました。

【魚豊】僕が2018年に漫画家デビューした際、ある出版社の方は、新入社員に最も人気の部署がそれまでは漫画編集部だったのがビジネス書の編集部が逆転した、と言っていました。自分の世代にとって、起業家ブームはそれほど大きな影響を与えてます。

【三宅】2000年代までの「批評の時代」、2020年代の「考察・陰謀論の時代」、それらをつないだのが2010年代の「ビジネスインフルエンサーの時代」と言えますね。2010年代以降は、言論のなかで起業家が力をもってきたのも特徴です。米国では、実業家であるドナルド・トランプ氏が国のトップにまで上り詰めていますから。

 

フィクションは経済合理性を超える

【魚豊】トランプ氏然り、彼の周りの人間は、ナラティブ(物語)のつくり方が興味深い。イーロン・マスク氏もJ・D・ヴァンス氏もピーター・ティール氏も事実として、マイノリティとしての一面がある。

世界最高峰の強者に見えるその面々ですら"弱さ"をアイデンティティに据えるのは面白い現象だと思います。それは従来的マッチョイズムとは逆転した、捩れている新しい自意識だと思います。

【三宅】ヴァンス氏のベストセラー『ヒルビリー・エレジー』(光文社)を読むと、「お前は俺か」と共感させられる描写が多々ある。

【魚豊】ナラティブに長けているから、陰謀論との相性がよすぎる。マスク氏やティール氏のようなテクノリバタリアン(自由原理主義をテクノロジーによって実現しようとする思想)になると、自由・資本・テクノロジーが重視されるけど、そういう「加速主義」と「被害者としての倫理や民主主義」は、じつは陰謀論を代入すれば、とても相性がいいのかもしれません。

【三宅】魚豊さんが先ほど触れられたように、米国では逆境に打ち勝った「強い男」としてのマッチョイズムが見られましたが、日本では少し違うのではないかと。つまり、日本の政治家も実業家もどちらかと言えば、男らしさや強さよりも「バカでないこと」が案外重視されているのでは、と感じるときがあります。

竹内洋先生の『教養主義の没落』(中公新書)にも書かれていますが、日本は大正時代から教養と立身出世が紐づいていて、それらを両立させる手段が読書でした。賢さと立身出世の結び付きは、欧米よりも東アジア圏のほうが強固なのではないかと最近感じます。

【魚豊】なるほど。日本の教養の基盤だった本の影響力は相対的に下がっていて、いま訴求力が強いのは動画ですね。近年はメディアでも批評でも、資本主義の勝者がより説得力をもつ時代になったのかもしれません。

【三宅】2010年代のビジネスインフルエンサーの隆盛期は自己啓発の時代でもあり、あくまでも自分が社会に適応することが重要でした。そうした個人主義や競争主義に「もう無理、疲れた」と取り残された人も少なくないはず。  

もし、そんなタイミングで良質なフィクションやカント的な美的感覚に基づく哲学に出合えれば、陰謀論と違う方向に行けるのかな。村上春樹さんがそのテーマに立ち向かい続けているけど、なかなか難しそうなことを踏まえると、私自身もっと思考を深めたいテーマですね。

【魚豊】いやー、本当にそう思います。修学旅行で金閣寺に行っても全然興味をもてなかった人が、三島由紀夫の『金閣寺』を読んでその多面的な魔力に気づくこともあるでしょう。安直な考えかもしれませんが、フィクションには経済合理性を超える価値があると信じたいです。

一方で昨今は、SNSを中心に不作為な言葉が乱射されているのは気がかりです。

【三宅】良質な言葉、価値ある作品を増やして、オセロの白い石を増やしていきたいですね。魚豊さんの今後の作品も楽しみです。

【魚豊】そういえば、立身出世と東アジアの話が出ましたけど、いつか「受験」をテーマにした作品を描こうと思っています!

【三宅】えっ、絶対読みたいです!

【魚豊】僕は適当なタイミングで作家を引退するつもりですが、引退作は「ある自然の分野」に関する漫画を描きたいんです。

【三宅】自然科学と哲学を探求し続ける魚豊さんは、まさにカントの思想を体現していますね。

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