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社会

価値観が異なる相手とどう向き合う? 衝突を防ぐ建設的な対処法

ソール・パールマッター,ジョン・キャンベル,ロバート・マクーン(著),花塚恵(訳)

2025年09月17日 公開

価値観が異なる相手とどう向き合う? 衝突を防ぐ建設的な対処法

この情報に圧倒される時代を、個人として、社会としてうまく切り抜けていくにはどうすればいいのか? 
混乱を回避し、思考の罠に陥ることを防ぎ、愚かな行為や考えをふるいにかけるには? 

本稿の著者3人は、そのためには今その信頼が揺らいでいる"科学的思考"、"科学的アプローチ"が何よりも重要であるという。そして、とりわけ有効だと思える概念やアプローチの総称として「Third Millennium Thinking(3千年紀思考/3M思考)」と名付けた。

本稿では、その"3M思考"において特に注意すべき「価値と価値観の衝突」について書籍『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』より解説する。

※本稿は、ソール・パールマッター、ジョン・キャンベル、ロバート・マクーン(著) 花塚恵(訳)『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。

 

価値観と価値の衝突について

人が持つ価値観とはどういうものか? 誰にとっても大事なことを、現実に即した意思決定に持ち込めることを前提として、体系的に説明することは可能なのか?

ひとつの方法としては単純に、何にどのくらい価値を置いているかを直接「尋ねる」ことが考えられる。

もちろん、人が口にすることと、実際に何に価値を置く行動をとるかは別物だ。とはいえ、価値観について尋ねることは、決して的はずれな行為ではない。

価値と価値はつねに衝突するものなのか? 答えはノーで、衝突したとしても、それは程度の問題だ。社会科学の分野では、シャローム・シュワルツによって、価値の衝突を図解するときに役立つ有力なフレームワークが考案された。

彼は20か国の人々を対象に、「人生の指針となるもの」として56の価値を提示し、それぞれの重要性を評価させた。統計モデリングを使うと、人生の中核をなす価値である権力、功績、快楽、刺激、自己主導、普遍性、博愛、従順、伝統、安全の関係性は、「結びつきが強い(どちらも優先する)」「正反対に位置する(こちらは優先するが、あちらは優先しない)」「相関性がない」のいずれかで表すことができる。

つまり、たとえば快楽と伝統は、正反対の方向に反発しあう傾向があるので、この2つが決断に影響する場合は、決断を下す折り合いをつけることが難しいとほとんどの人が感じることになるだろう。

一方で、権力と功績のように同時に登用されやすい価値は、決断を反対方向に引き裂くことはしない。さまざまな価値がこのように特徴づけられると、それを使って、現実に起きている集団間の衝突を国際的に分析した調査論文が誕生するようになった。その内容は、世界のさまざまな地域で起きている移民問題や気候変動、少数民族の衝突と多岐にわたる。

また、フィリップ・テトロックが提唱する価値多元主義モデルでは、価値の衝突(例:平等性と経済効率のトレードオフを行わざるをえない状況)は心理的に嫌悪されると論じられている。そういう不快なトレードオフに対処する術はいろいろある。衝突の存在を否定したければ、シンプルにどちらか一方の価値を無視すればいい。

さまざまな意見を持つ人々や、どういう意見かわからない人々に何かを説明するとなると、責任を転嫁したり(ほかの誰かに決めさせたり)、先送りしたくなるだろう。一方、全員が同じ意見を持ち、その意見の要点が明らかになっている場合は、彼らの敵対役に従事して、彼らの聞きたいことを言い、彼らにとっての敵(たいていは実在しない)を悪者にすることを選ぶかもしれない。

価値のトレードオフの痛みを和らげてくれる、生産的な方法はなくもない。社会心理学者のクロード・スティールは、自己防衛機能や価値表現機能を表す姿勢は、「自分は道徳的に優れていて、分別があり、自立心があって有能である」という、自分を肯定する意見の保持に努める心理的自己肯定システムから生じると主張する。

自分を肯定する意見を脅かす情報を前にすると、人は抵抗、否定、正当化といったさまざまな努力を費やして、その情報を拒絶する。スティールのそうした考え方は、われわれが先に論じた価値のトレードオフや姿勢がもたらす作用と一致しているように思える。

とりわけ興味深いのは、スティールが彼の考えを通じて示唆するもの、さらには価値の衝突に建設的に対処する手順だ。

スティールは、自分の意見に異を唱える情報は脅威になるので、自分の価値観を肯定する機会があることが、そうした脅威に耐えて立ち直る力を高めることを可能にすると考えた。

そして同僚と共にさまざまな実験を行うなかで、人は自らが大事にしている価値を公にする機会―たとえば、価値観について尋ねるアンケートに記入する機会―を得て、自らの価値観を懸命に守る必要性が軽減された状態になれば、新たに見つかった証拠を積極的に検討するばかりか、自らの意見を変えることまであると証明した。

また、研究の一環として、学校など現実のさまざまな場で自分を肯定するプログラムが導入されたところ、定期的に自分を肯定することで新たな情報を吸収したいという意欲が高まり、学業成績の改善につながったという報告もある。

 

価値観の共有はバッジングを上回る

人の価値観とその価値観の源の関係性にかかわる要素や視点を振り返ると、もっと大局的な疑問が頭をよぎる。

まったく異なる文化的先入観や、「バッジ」の異なるアイデンティティがスタート地点であっても、価値観に関する共通の理解を共に築き上げているように思えるケースがあるが、それはどのようにして起こるのか?

実際、人々は何世紀にもわたって、主要な価値観の合意に至ってきた。現代において、奴隷、レイプ、弱い立場の人に故意に屈辱を与えることが非道かどうかを議論したがる人がいるとは思えない。ということは、価値観を共有する道はある。

ならば、価値の重要性はどのように論証すればいいのか? 考えてみれば、人は幼いときから価値についての論証を行っていて、それは次のような親子の会話に見て取れる。

子ども「ティンアンからペンを借りたけど、返さなくていいよね。返したら、ペンがなくなっちゃう。だから返さなくていいんだもん」
親   「借りたものを返さなくていいって思うの?」
子ども「ほんとうは返したほうがいいんだろうけど、これは別」
親   「どうして別なの?」
子ども「ティンアンは年下だから」
親   「 年下の子から借りたものは返さなくてもいいなら、ジェームズがあなたから借りたハンドスピナーは返してもらわなくていいんだね」

という具合だ。この会話の論証は、

(1) 「特定の事例でよいとされていること(ティンアンにペンを返すこと、ジェームズがハンドスピナーを返すこと)についての判断」の話
(2)「行動を統治する一般的なルールについての判断」の話

が行きつ戻りつしている。特定の事例でよいとされることを自分で決めるにしても、それは一般的なルールにも当てはまる必要がある。

一般的なルールに当てはまるようなら、話はそれで終わりだ。しかし、当てはまらないようだとわかれば―自分より年上の子は誰も自分から借りたものを返さなくなると気づけば―、特定の事例についての自分の判断を覆すか(やはりペンを返さないのはよくないことだ)、適切だと思えるまで一般的なルールを修正することになる。

私たちは、特定の事例に関する判断と一般的なルールに関する判断を行き来して、心が定まったら行動を起こす。心が定まるのは、特定の事例でとる行動と、とる行動の説明となる一般的なルールの両方に納得したときだ。このような状態のことを「反照的均衡」と呼ぶ。

有能な大人どうしでも、同じような論証のプロセスをたどる。ただし、大人の場合は双方向に教え合う(それに、大人は他者が関心を持つことを考慮に入れる"べき"だと、少なくとも知ってはいる)。

互いに学び合うなかでは、文化を超えて学ぶことだってある。たとえば、奴隷や他者に屈辱を与えることの何が悪いのか理解できない人がいれば、特定の事例を具体的に示して、それはよくないことだと教え諭すのはどうか。

そのうえで、そこに作用している一般的なルール―どんな人にも、他者を所有したり、残忍に扱ったり、他者に暴力をふるったりする権利はないし、そういうことをするのは正しくないことだ、といったこと―に話を戻し、そうしたルールを振り返って問題がなさそうか確かめたり、ルールが適用された事例や判断をさらに探ったりすればいい。

私たちは、価値についてゼロから考える必要もなければ、すべてをゼロから判断する必要もない。社会に存在する価値判断というイカダがあるからだ。そのイカダに乗って、何をしても大丈夫で何をしたら大丈夫でないかを、常識を使って考えればいい。社会の価値判断の集まりの上に乗って浮かんでいるあいだは、取り除きたいものがあればひとつずつ取り除くことができるし、本当に正しいかどうかを検証することができる。

一般的なルールについてなら、特定の事例で許されていることが一般的に正しいかどうかを見直す。特定の事例の判断について考えるときは、その判断で用いられている一般的なルールは何かと自問し、それが理にかなっているかどうかを確かめればいい。

つまり、さまざまなソースから得られる証拠や専門知識を逐次的に検討して事実を確かめるときと同じで、価値について逐次的に検討することにも意味があるのだ。

はっきり言って、いま論じたことや先に紹介した近年の研究成果は、価値の部分を審議するやり方の改善案に相当する。要点を以下にまとめよう。

・話し合いでは「反照的均衡」が何度も起こるという前提のもと、話し合いの参加者が感情的な反応を示す具体的な事例と一般的なルールを行き来して、そうした感情が一般的なルールとして認められるかどうかを議論する。

・議論の早い段階で、参加者の価値観を尊重し、彼らが重要視する価値についてオープンに論じる機会を提供する。

・互いの価値観が衝突して緊迫した空気を感じたときは、優先順位は違っても互いの価値観を共有はできるはずだと考え、そうできる方法を模索する議論を展開する。

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