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野村克也の『執着心』~真のプロなら、ここまでやれ。

野村克也(野球評論家)

2013年01月17日 公開 2020年08月19日 更新

阿部が日本一の捕手になるために必要なこと

ノムラの考え 2012年 7月26
巨人 vs. DeNA 10回戦 (東京ドーム)

【ゲームの概要】 DeNAが初回に2点先制するも、巨人が追いつく展開。試合が決したのは7回。表に勝ち越しを許した巨人は、その裏、代打・加治前の押し出し四球などで2点を挙げ、逆転に成功する。続く8回には、阿部がこの日2本目となる適時打を放ち貴重な追加点を挙げた。

打つ方は申し分ない。後半戦開幕の2試合で計5安打2四球と連勝に大きく貢献した。キャプテンに選ばれるほどだから、人望もあるはずだ。巨人のみならず、球界の顔でもある。

だからこそ、阿部に言わせてもらう。走塁と守備にも神経を配り、気のないプレーや無造作なプレーは避けるべし――。

真の日本一の捕手になってほしいと願うからこそ、この日の凡プレーが気になった。

まずは走塁面。5回無死満塁のチャンスで、二塁走者にいたときだ。スコアは3-2。DeNAは、もう1点もやれないと、バックホーム態勢の前進守備を敷いた。当然、走者への牽制など、意識していない。

にもかかわらず、阿部は二塁ベースのアンツーカーから、ちょっと出たあたりに立っていただけであった。少なくとも、遊撃手の守備位置後方までは、リードできる状況なのに、である。

相手はバックホームするから三塁までは楽々と進める――。そこで思考停止していたとしか、思えない。仮に内野ゴロで本塁 - 一塁と転送され、ゲッツーになったとしても、自分が本塁へ突入してやる――。そういう姿勢を示し、相手へのプレッシャーをかけるべきではなかったか。

私が監督時代、選手の「フォア・ザ・チーム精神」をはかるとき、基準にしていたのは「走塁」である。打つ、投げる、これは誰でもする。成績が上がれば自身のため、チームのためにもなる。一方で走塁面は、盗塁を多く稼げる選手以外、領域外と考えがちだ。

しかし、リードの取り方や、打球が飛んでからの1歩目のスタートに、足の速い遅いは関係ない。特にリードに関しては、足が遅くても、盗塁ではなく、帰塁することだけを考えていればよい。大きくリードをとり、相手バッテリーに余計な神経を使わせ、牽制、送球を増やす。それで打者へのコントロールミスや、悪送球を誘えれば、走らずして、チームに貢献できるのだ。

阿部は守備でも、凡ミスを犯した。3-3の同点で迎えた7回無死一、二塁のピンチで、内村のバントは捕手前に転がった。右手でキャッチし、そのまま三塁へ送球した。タイミングは楽々アウトだったが、送球はファウルゾーンにそれ、勝ち越しを許してしまった。

打球を拾って、エイや、と投げるからいけない。余裕のあるタイミングなのだから、左手のミットを一度右手に添えてから、投げるべきだった。投球フォームを思い浮かべれば、わかるはずだ。左手でリードして、右手でリリースする。スローイングは、このバランスが基本であり、バランスが崩れればコントロールも狂うのである。

無造作という点では、以前から気になっていたこともある。投手とのサイン交換でちょこんと指を1本、2本、つまり「球種」を指示するだけ。「ほら、まっすぐでいいな」「どれ、カーブにしようか」程度で、親切さが足りないように映って仕方がない。

サイン交換は、手話である。どのコース、どの高さに欲しいのか。あるいはストライクを取りにいくのか、ボール球で様子をみるのか、誘うのか……。口で言えない代わりに、サインで会話する。バッテリー間が共通認識を持って初めて、打者と対決できるのである。

「他にやるやつがいないから、ノムラ、お前がキャッチャーをやれ」

私の捕手生活のスタートは中学時代の監督の、この一言だった。座ったり、立ったり、ファウルチップが当たったり、本塁上で走者と激突したり……。地味なのに、キツいポジションである。当時、子供心に「将来は捕手になる人がいなくなるのでは」と危惧したことを覚えている。

そして今、捕手の人材難の時代が来ている。これに歯止めをかけるためにも、阿部への期待度は高い。もう、打つだけで満足する立場ではない。投手をリードし、守り、走る。すべてにおいてチームを鼓舞し、範を示せる人材になってほしいと、願ってやまない。

 

野村克也

(のむら・かつや)

野球評論家

1935年京都府生まれ。54年にテスト生として南海入団。65年に戦後初の三冠王に輝くなど、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回獲得。通算3017試合出場は日本記録。捕手試合出場2921試合は世界記録。70年より選手兼監督に。ロッテ、西武と移り、80年のシーズンを最後に引退。
サンケイスポーツの専属評論家などを務めたのち、90年よりヤクルト監督。弱小球団を3度の日本一に導いた。阪神監督、社会人・シダックス監督を経て、2006年より楽天監督。09年球団を初のクライマックスシリーズ進出に導き、同年退任。監督としての3204試合出場は日本プロ野球史上2位。
著書に『理想の野球』(PHP新書)『野村ノート』(小学館)『巨人軍論』(角川oneテーマ21)などがある。

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