なぜ、人は成長し続けなければならないのか。人生において成功は約束されていない。けれども、誰もが必ず手にすることができるもの――それが「成長」だと、思想家・田坂広志さんは語ります。
成長には、「職業人としての成長」「人間としての成長」「人間集団としての成長」という三つの段階があるといいます。本稿では、田坂さんの著書『成長し続けるための77の言葉』にて、「人間としての成長」とは何を意味するのか語られた一節をご紹介します。
※本稿は、田坂広志著『成長し続けるための77の言葉』(PHP文庫)より内容を一部抜粋・編集したものです
人間としての成長とは何か
「人間としての成長」とは
「心の世界」が見えるようになること
成長の第一の段階が「職業人としての成長」であるならば、第二の段階は、「人間としての成長」です。
では、「人間としての成長」とは、何か。
もとより、「人間としての成長」の定義には、様々な定義がありますが、「人間」とは、一人では生きていけない存在であり、「人生」とは、様々な人との出会いによって導かれることを考えるならば、「人間としての成長」の定義のうち、最も深みある定義は、ただ一つです。
「心の世界」が見えるようになること。
なぜなら、我々の精神は、成長し、成熟するにしたがって、「目に見えないもの」が、見えるようになっていくからです。
そして、我々の人生において、「目に見えないもの」の最たるものが、「心の世界」なのです。
逆に言えば、「どれほど、心の世界が見えるようになってきたか」ということが、「人間としての成長」の、過つことのない指標であり、証なのです。
「心の世界が見える」とは、どのような意味か
成長するにつれて
「相手の心」「集団の心」「自分の心」が
見えるようになってくる
では、「心の世界が見える」とは、どのような意味か。
我々の精神は、成長し、成熟するにしたがって、「心の世界が見える」ようになっていきますが、それには、「三つの段階」があります。
第一は、「相手の心」が見えるようになる段階。
例えば、職場においては、上司や部下や同僚の気持ちや心が分かるようになること、営業においては、顧客の気持ちや心が分かるようになることです。
相手の何気ない表情や仕草から、言葉にならない気持ちの変化を感じ、心の動きを感じることができるようになることです。
第二は、「集団の心」が見えるようになる段階。
例えば、職場のリーダーや組織のマネジャーになったとき、その職場や組織の「空気」や「雰囲気」を感じることができるようになることです。
第三は、「自分の心」が見えるようになる段階です。
こう述べると驚かれるかもしれませんが、我々は、実は、自分で思っているほどには、「自分の心」が見えていません。
なぜなら、心には、「表面意識」の世界だけでなく、「無意識」の世界があるからです。
どうすれば「心の世界」が見えるようになるのか
「心の鏡」を磨くとき
「心の世界」が見えるようになる
では、どうすれば、「心の世界」が見えるようになるのか。
そのために、我々に、まず最初に求められることがあります。
「心の鏡」を磨く。
なぜなら、「心の鏡」とは、「心の世界」を映し出すもの。
それが曇っていると、「心の世界」が見えなくなるからです。
例えば、怒りに満たされたり、嫌悪感を抱いたりして、「感情」に流されているとき、我々は、「相手の心」が見えなくなります。
例えば、損得勘定に踊らされ、権力に盲従し、「操作主義」に染まっているとき、我々は、「集団の心」が見えなくなります。
例えば、虚栄心で目がくらみ、妬みを心に抱き、「エゴ」に振り回されているとき、
我々は、「自分の心」が見えなくなります。
だからこそ、我々は、「感情」に流されず、「操作主義」に染まらず、「エゴ」に振り回されることのないよう、「心の鏡」を常に磨いておく必要があります。
そして、その鏡から曇りが消えたとき、自然に「心の世界」が見えてくるのです。
どうすれば「心の鏡」を磨くことができるのか
職業人としての「腕」を磨いていくと
自然に人間としての「心」を磨くことになる
では、どうすれば、「心の鏡」を磨くことができるのか。
こう問うと、すぐに、古典的な宗教書を読むことを薦めたり、座禅などの宗教的な修行をすることを薦める人がいます。
もとより、こうしたことにもそれなりの意味はありますが、実は、「心の鏡」を磨くための最も優れた方法は、我々の目の前にあります。
それは、この実社会の、日々の仕事の現場で、職業人としての「腕」を磨くことです。
なぜなら、職業人やプロフェッショナルの世界には、既に述べた警句があるからです。
「スキル倒れ」という警句です。
すなわち、職業人としての「腕」を磨いていくと、必ず、自然に、そうしたスキルやテクニックだけでは突き破れない壁にぶつかるからです。
例えば、プレゼンのスキルは見事だが、操作主義が強いため、客の気持ちが離れていく。
企画のセンスは優れているが、相手を見下す傲慢さのため、仲間の支持を得られない。
そうした壁に突き当たるとき、我々はいつか、心の姿勢、心の置き所、心構えなど、「心得」と呼ばれるものの大切さに、気がつきます。
そして、そのとき、日々の仕事の現場で、職業人としての「腕」を磨くことこそが、自分を磨き、心を磨き、「心の鏡」を磨く、最高の道であることに気がつくのです。






