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「自分でやったほうが早い」病を克服する 管理職の負担を減らす仕組みづくり

小林祐児(パーソル総合研究所主席研究員 執行役員 シンクタンク本部長)

2025年12月22日 公開

「自分でやったほうが早い」病を克服する 管理職の負担を減らす仕組みづくり

今、管理職として働くということが、「罰ゲーム」と化してきていると言われています。

あまり気が付かれていませんが、この管理職の「罰ゲーム化」には、放置すると負荷が上がり続ける、まるでインフレ・スパイラルのような構造が存在します。ここ10年ほどで現れたハラスメント防止法、働き方改革、テレワークの普及など、新しいトレンドの多くが、管理職の負荷を増やし続けているのです。

本稿では、労働・組織・ 雇用に詳しいパーソル総合研究所主席研究員 執行役員 シンクタンク本部長の小林祐児さんに、この「罰ゲーム化」を攻略するポイント「管理職自身のアクション過剰を防ぐ」ために考えるべき「仕事の要・不要、求めるクオリティ、等」について解説して頂きます。

※本稿は、小林祐児著『罰ゲーム化する管理職』(集英社インターナショナル)より内容を一部抜粋・編集したものです

 

「家事分担」から考える「タスク化」というメタ作業

家庭内でうまく家事を分担する、ということを考えたとき、多くの人は「100」という全体の作業のうち、「50:50」や「70:30」といった分担のことを考えます。もしくは4時間の家事時間を夫1時間:妻3時間といった具合に振り分けることを、家事分担だと思いがちです。この算数のような「シェア」の考え方は一見正しく見えますが、大きな見落としが存在します。家庭内の家事分担の本質は「全体のタスク量のシェア」ではなく、「期待水準のすり合わせ」にあるからです。

このことは、歴史を知れば理解できます。産業革命以降、家電の機能は比較にならないほど発達し、時短グッズも時短術も世界にあふれたのに、家事・育児は一向に楽になっていません。なぜでしょうか。答えは簡単です。家電やテクノロジーが発達すると同時に、家事の「期待水準」もまた、歴史的に上がり続けているからです。

戦後、欧米的な暮らしへの憧れから洋食化が進み、家電メーカー各社は新商品開発と同時に、消費者マーケティングを推し進め、食の豊かさも、衛生観念も、教育への考え方も、暮らしの質の水準全体を天井知らずに上げていきました。同時に、家事は市場にアウトソースされず、「家庭内」で行われるものへと閉じていきました。

かつて、便器の裏のバイキンなど気にしていませんでしたし、洗濯で良い香りの柔軟剤を使いませんでしたし、お弁当のおかずでキャラクターを作るなんてこともしていませんでした。中流家庭以上にはお手伝いさんがいる家も多く、いない場合でも近所の親たちで育児を協力し合い、都市では必要な日用品の多くを、行商人が住宅の前まで運んでくれました。子供への教育の考え方ももっと緩いものでした。

しかし、当事者の親たちは、こうした期待水準の高まりをなかなか客観視できません。それぞれが「わが子には普通はこのくらいの教育をするものだ」「ここまで掃除しないと気持ちが悪い」といったように、「それぞれの水準」が明確に存在しているように振る舞います。

こうしたことを踏まえて「分担」のことを考えると、シェアすべき単位となる作業の前に、「どこまで必要な作業なのかが決まっていないこと」こそが、クリティカルな問題であることに気づきます。「夫に下手に洗濯物を畳まれるくらいなら、黙って座っていてほしい」「一人で やったほうが楽」といった言葉がなぜ妻からしばしば発されるかというと、家事について「何を・どこまでの水準でするべきか」という「期待水準のすり合わせ」というプロセスをスキップしたいからです。

作業が作業である前には、「調べる」「検討する」「決定する」といった"メタ作業"が必要です。「タスクをタスク化する」というそのメタ作業の水準こそが、「分担」 を考えるときの肝なのです。

 

仕事を「作業」にするメタ作業

さて、これは「仕事」においても同じです。

仕事もまた、「作業」としてテトリスのように降ってくるわけではありません。「必要なこと」や「優先順位」や「求めるクオリティ」などは、仕事そのものに張り付いている特性ではなく、職場にいるあらゆる人の「期待水準」による判断でしか決まりません。現場の当事者の多くは、「普通はそれくらいやるものだ」という期待水準を自明のものとして、この「タスクをタスクにする」メタ作業を無自覚に行っています。

そして、管理職にとって「部下に仕事を任せられない」「自分でやったほうが早い」と感じるのは、部下と上司の間で、この期待水準がズレているからです。顧客先への訪問で5分前に集合していることが当たり前の人もいれば、ギリギリに来てもまるで平気な人もいます。

プレゼンテーションソフトでの資料作りで文頭がそろっているかどうか、会議の前にアイスブレイクから入るかどうか、ありとあらゆる「必要なこと」は、自明ではありません。「一人でやったほうが楽」「すり合わせるのが大変」という感覚は、管理職が部下の仕事を自ら巻き取ってしまう構造そのものです。

「それまで技術者として知識や知見者との交流を深めて結果を出していたが、マネジメント業務が主に変わり、『自分で手を動かす』から『人を動かして成果を出す』に変わった。思い通りに進まないことにジレンマを感じることが増え、仕事の楽しさがなくなっていった」(50歳、男性、製造業)
「 部下に努力させることの難しさが、これほど大変だとは思わなかった」( 58 歳、男性、サービス業)
「 後輩の仕事について、『自分がやったほうが早いのに』と手を出したくなるのをこらえ、任せることや指導することが、思った以上に難しかった」( 48 歳、男性、卸・小売業)

日本の働き方の特徴は「チーム」で働く、互依存関係の強さにあります。だからこそ、フレキシブルで柔軟な仕事の仕方をしています。 ビジネスが複雑化し、定型的な作業が減って知的労働が増えてくるに従って、「どこまでやるか」という点について分散=バラつきがチームの中で大きくなるのです。

だからこそ「不必要なことをやらない」ということを指摘しても、当事者にとってあまり意味はありません。この「必要なタスク」になる前のメタ作業における「期待水準」が当たり前ではないこと、その自明性を疑う必要があるのです。

プロフィール

小林祐児(こばやし・ゆうじ)

パーソル総合研究所主席研究員 執行役員 シンクタンク本部長

上智大学大学院総合人間科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。NHK放送文化研究所、総合マーケティングリサーチファームを経て現職。労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究を行っている。単著に『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎新書)、『リスキリングは経営課題』(光文社新書)、共著に『残業学』(光文社新書)、『働くみんなの必修講義 転職学』(KADOKAWA)など多数。

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