アポロシアターを制したダンサーTAKAHIRO 内向的で目立たない少年が単身渡米を決意した理由
25歳の時、ヒップホップの殿堂として知られるニューヨークのアポロシアターでコンテスト番組に出演し、9大会連続優勝という偉業を成し遂げたダンサーのTAKAHIRO(上野隆博)さん。その後はマドンナのワールドツアーに専属ダンサーとして参加、さまざまなアーティストの楽曲やイベントの振付を担当するなど、第一線で活躍し続けています。
そんなTAKAHIROさんですが、幼少期は「隅っこが好きな、内向的な少年だった」そう。決して目立つ存在ではなく、本を読むことや空想することが大好きだった少年は、なぜ世界の大舞台を目指したのでしょうか。
著書『「私なんて」と考えてしまうあなたも、絶対に前向きになれる40の言葉』で「大事なのは、"自分で選んで"挑むこと」と語るTAKAHIROさんにお話を伺ってみました。
聞き手:PHPオンライン編集部(次重浩子)
休み時間は一人でダンゴムシを眺めているような子だった
――欅坂46「サイレントマジョリティー」などの振付師として、またテレビ番組『それSnow Manにやらせて下さい』の完コピダンスバトルの審査員など、多方面で活躍されているTAKAHIROさんですが、幼少期はどんな少年だったんでしょうか。
【TAKAHIRO】教室の真ん中にいて「みんなで遊ぼうぜ!」って騒いだり、集合写真で真正面に寝そべって「イェイ!」ってVサインするようなタイプでは決してなく、隅っこや後ろのほうが好きな、目立たない子でした。
サッカーのチーム分けを決める時も、上手な子が選ばれていって、自分は最後のほうに余っちゃって「あー、じゃあ、上野でいいや」って言われるタイプ(笑)。
みんなにとっては「不思議くん」だったと思います。
学校の休み時間には石をひっくり返してダンゴムシを眺めているような子で、ラジオを聴いたり、本を読んだりするのが好きでした。「忍者のひみつ」みたいな本と、エジソンの伝記をボロボロになるまで何度も読み返していました。
学校の行き帰りは、目をつぶって歩いて、一人で忍者の練習をしていたんですよ。
――それは、だいぶ危険そうですね。
【TAKAHIRO】そうなんです。目をつぶってどこまで歩けるかっていうトレーニングを一人でしていました。ある時、坂道を踏み外して手すりの下まで落下したことがあって、その時は腕を骨折してしまいました...。
ダンスは忍者とエジソンだ!
――たしかに「不思議くん」というか、自分の世界にのめり込むタイプですね。
そんな内向的な少年がなぜダンスをするようになったんでしょうか。
【TAKAHIRO】まず一つは、内向的だったがゆえに、憧れとコンプレックスがありました。サッカーで大活躍している子たちを見て「いいな、僕もキラキラしてみたいな」と。
もう一つは、高校生の時に家族旅行でオーストラリアに行きまして、パントマイムをやっている人を見たんです。最初は人形みたいに動かなかったのが、ウィーンって動きだして、「人間だ!すげえ!」って。
それと同じくらいの時期に、風見しんごさんがブレイクダンスされている映像をたまたまテレビで見て、「なんだこれは!」って衝撃を受けました。
どちらも共通して思ったのは、「これは忍者だ!」ということ。身体の動き一つで、石に見えたり、蛇のような軟体になったり、「これは忍術だ!」と。
そして同時に「エジソンだ!」とも思いました。見たこともない動きを繰り出して、みんなを喜ばせている。身体という原子を使って、急にカバンのような重い物体や、目の前に壁を出現させて見せたりする。発明というか、ここに何かを生み出しているわけです。
「うわ!忍者とエジソンが合体しているぞ!かっこいい!すごい!」って感動したんです。
それまでの自分は何事にも臆してしまうタイプだったんですが「やってみたい!やってみたい!」ってすごく思いました。
それでダンスの映像をテレビで流して、それを見ながら自宅で練習することから始まりました。ただ、画面を見ながら踊ると左右逆になってしまうので、テレビの前に姿見の鏡を置いて、鏡に映った映像を見ながら何度も練習したりして。
――なるほど。文字通り独学なんですね。
【TAKAHIRO】そうです。大学ではダンス同好会に入れてもらって、ダンスにのめり込んだ生活をしていました。
自分のダンス人生に結末のページがない
【TAKAHIRO】ただ、夢中でダンスばかりしていたものだから、就職活動を始めてみると、やりたいことが何にも見当たらないんですよ。その当時は、ダンスが仕事になるとは全く考えていなくて、就職説明会などにも行ってみるんですけど、やる気に満ちている学生を見ては「ああ、この人は銀行員になりたいんだな」って客観的に思っていて、「僕がなりたいのはなんだろう。わからないな。困ったな」って。「なんか違う」ということは感じていました。
その時に考えていたのは、自分の人生で初めて強烈に「やりたい!」と感じて、4年間夢中になってダンスに取り組んだのに、その物語の最終ページに結末がない、ということです。
将来、例えば自分の子どもに自分の人生を語る時に「僕は学生時代、ダンスに夢中になったんだよ。だけどやめたんだ」としか言いようがない。この日々を振り返って、ここだけは後悔する気がする。なので、一回「最後のページ」を作ってみようと思ったんです。
どんなページがいいかな。人に語れるページがいいな。それと、将来思い出した時に笑顔になれるページがいい。よし、じゃあ大会に出るか。どうせなら世界で一番大きい大会がいいぞ。最後のページは自分で作れるんだから――それが、ダンスの憧れのレジェンドたちが踏んだステージ、ニューヨークのアポロシアターだったわけです。
挑戦してたとえダメだったとしても、「世界はすごかったぜ!」って語れる。これだ!ロマンに溢れているぞ!と、アメリカ行きを決意しました。
アピール力よりも実力
――でも、隅っこが好きなタイプだったんですよね。アメリカでは、前に前にと出るタイプじゃないと通用しないと思うんですが、キャラクターが変わったんでしょうか。
【TAKAHIRO】いいえ。アメリカでレッスン受ける時も、みんなこぞって前に行くんですけど、自分は端っこを確保していました(笑)。
ただ、前に出るタイプじゃないと通用しないかというとそうではなくて、アメリカは「実用性があるタイプ」が重んじられるんです。つまり、ダンスで言うと、ダンスのアピール力が強い人もいいですが、それよりも「ダンスが上手い人」の方が採用される。
もちろん、世界中からダンスの上手い人が集まってきていますから、見てもらわないとチャンスをつかめないので、ダンスが上手い+アピール力がある人のほうが、サバイバル能力が高いというのは感じます。
けれども、日本人らしく地味に地道に実力を伸ばしていくタイプというのもルートとしてはあって、私は一番端にいるところからスタートしましたが、やっているうちに、隣の子から「お前を見て練習したいから前に行ってくれ」と言われて、そのうち先生からも「みんなに手本を見せろ」と言われて必然的に前列にいることになりました。
時間はかかるかもしれませんが、勢いでアピールするよりも、そうやって実力をつけていった人のほうが、ポジションをキープする時間は長かった気がします。








