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林家木久扇が語る喉頭ガン闘病記。声を失う恐怖と「ガン細胞を叱る」驚きの向き合い方

林家 木久扇(落語家)

2026年02月24日 公開

林家木久扇が語る喉頭ガン闘病記。声を失う恐怖と「ガン細胞を叱る」驚きの向き合い方

写真・渡邉茂樹

林家木久扇さんは2024年3月、日本テレビ系の長寿番組『笑点』を卒業されました。初めて『笑点』の大喜利メンバーに抜擢されたのが31歳、以来55年の長きにわたりレギュラーをつとめてこられました。

「わたしそんなに丈夫じゃないんです。」と仰る木久扇さんは、実際その間に、腸閉塞や胃ガンなどの命にかかわる大病を経験されたそうです。

本稿では、76歳のときに発覚した喉頭ガンの経験と「病を得る」ことの意味について、自らの言葉で語って頂きます。

※本稿は『人生は夕方からが美しい』(PHP研究所)より一部を抜粋・再構成したものです。

 

コホン、コホンとへんな空咳が

黄金のジョーク集
林家木久扇さんがアイディアを書き留めておくノート、「黄金のジョーク集」
写真・渡邉茂樹

2014年、76歳のときでした。コホン、コホンと空咳が出るようになったんです。
風邪だろうと思って、近くのお医者さんに行き、薬をもらってきました。でも全然治らない。

おかみさんが「へんな咳だから風邪じゃないわよ。ちゃんと診てもらったほうがいいんじゃない?」と言うので、大学病院に行き、ガンが見つかりました。

内視鏡で見ると、声帯のわきのところに1センチくらいのオブラートみたいな白いものがへばりついていました。
先生から「これは喉頭ガンです」と言われたときは、「は?」と思いました。だって、胃ガンをやってるんだから、てっきりもうガンにはならないと思っていたんです。

高座でもよくシャレでしゃべります。
「病院の検査で喉頭ガンと言われたときは、頭を後ろから棒で殴られて気絶するような感じでした。後頭、ガン!」

 

 

初期だったので切らずにすんだ!

考えてみれば、そのころ、忙しくて喉を使いすぎていたように思います。一日に3カ所、4カ所と高座をカケモチすることはザラだし、一回に15分から40分は高座でしゃべってましたしね。

検査では幸いにもステージ2の初期だったので、切らずに放射線を当てる治療だけですむことになりました。
これがもう少し進んでしまうと、声帯やその周辺を手術で切らなくちゃいけない。
やっぱり、ガンは早期発見が大切。そのためには定期検査が重要です。

放射線の治療は思ったより楽でした。患部に放射線を当てるというから喉が熱くなるのかと思ったら、そんなことは全然なくて。喉の左右に20秒くらい放射線を当ててそれで終わり。

副作用などもまったくなく、週5回、7週間の治療で終わりました。喉頭ガンの治療というから、すごく大変なものだと想像していましたが、医学の進歩はスゴイです。

 

治療が終わっても、声が出ない......

不安はそのあとやってきました。治療が終わっても、声が出ないんです。
先生に「いつ声が出るようになりますか」と筆談で聞くと、「個人差があって、すぐ出る人もいれば、1週間くらいで出る人もいる。2、3年たって戻る人もいる」と言います。

声が出ない人はいないけれど、ガンが消えても、いつから声が出るかはお医者さんにもわからないそうなんです。

声が出ないから、このころは『笑点』を休ませてもらいました。胃ガンのときは収録に病院から通いましたが、喉頭ガンでは声が出ないので、さすがに無言で座ってるわけにはいきませんから。
テレビに映るわたしの席はあいたまま。あんまり長引くと、わたしの席に誰か別の人が座るんじゃないかと気が気じゃなかったですね。

 

ギャラが出れば、声も出る!?

9月4日に放射線の治療が終わり、先生から「喉頭ガンの治療はすべて終わりました」と告げられました。でも声が出ない。

声が少し出るようになったのは9月21日のことです。朝、おかみさんが「おはよう」と言ったんで、「おはよう」とかすかに声が出たんです。「お父さん、声が出るじゃない!」。掃除中の弟子たちも集まってきて、家中大喜びです。

その日は埼玉で落語会がありました。最初は「声が出ないから」とお断りしていたんですが、「出演してくださるだけでいいですから」と主催者が言ってくださって、せがれの林家木久蔵と一緒に出演することになりました。声が出なかったら、木久蔵にフォローしてもらうことにして。
そしたら、わずかですけど、声が出たんですよ。

翌日は、予定していたテレビ番組があって、出演しました。まだ思うように声が出せませんでしたが、木久蔵が一緒に出て、「父はこう言おうとしているんです」とフォローしてくれて。前の日の埼玉の落語会で少し声が出たと聞いていたんで、ディレクターが番組の最後のほうにコーナーをつくってくれました。

そうしたら、ちゃんと番組でしゃべれたんです。
心の中で、「声が出た!声が出た!」と嬉しかったですね。

その5日後の『笑点』の収録でも声がちゃんと出て、調子もほとんど戻っていました。病が完全に治ったんです。

 

ガン細胞を叱っちゃえ

喉頭ガンになったとき、最悪の状態を予想しました。噺家が声を失ったら、廃業するしかない。ここまで築いた数十年の芸能生活は終わってしまいます。

すると収入の道が途絶えます。当時、うちにはお弟子さんが10人、家族は孫も入れると7人いたので、計17人が路頭に迷うことになります。
こりゃ、大変だと目の前が真っ暗になりました。

でも病気に負けちゃいられない。ガンに立ち向かおうと思って、ぼくの体の中にいるガン細胞を叱ったんです。

「おいガンよ、わたしは17人も養っているんだぞ。お前とつきあっている時間はないんだから。お前はこの前は胃に入ってきて、今度は喉頭だ。なんでそんなにわたしの中に入ってくるんだ。出てゆけ!」

喉頭ガンでしたから、声は出ない。でもなるべくガンに聞こえるようにと、本当にかすかな声で、ガンを叱りつけていたんです。
そんなわたしの心がけを医師は「とてもいいことだ」とほめてくれました。前向きにガンに立ち向かっていく人は、早く治るんですって。

そうやって、毎朝、ベッドから起きるとガンを叱りつけていたら、前向きの心でガンがいなくなった。転移もなく、今は元気に生きています。

そういえば、ある人がこんなことを言っていたのを思い出しました。「人間の生体は毛穴も自分の情報を聞いている」って。

ガンに負けない。ガン細胞を叱る。
「お前には負けないぞ」「負けないぞ」と体に言い聞かせていると、わたしの体も全身が反応して、ガン細胞を追い出そうとするんじゃないかと思います。

 

病気になって得したと思え

負け惜しみじゃなくて、病気になったら得したと思うんです。もちろん病気になったこと自体は得ではないですが、その後の体験が貴重ですよね。
たとえばガンになったのも、治ったのも初めての経験だし、病気を治しながら88歳という年齢を迎えられたのも貴重な体験です。

病気で苦労をすると、人生の深さみたいなものを感じるんです。今までちゃんと生きてこなかったな、と思っちゃってね。
「病を得る」ってこんなに深い心境になることなんだなって。

家族や弟子に対する思いも違ってきます。やっぱり、わたしがいてあげなくちゃ、と強く思う。そんなこと、以前は思ったこともなかったですから。
女の子の孫は今19歳。これからお嫁に行くでしょ。そのときにわたしが「いてあげなくゃ」と思うわけです。

小さいときは「じいじ、じいじ」とまとわりついて離れなかった子。わたしがいて結婚式に出席できれば、孫も嬉しいと思うんですよ。
そんなふうに、目の前のものがいとおしく思えたり、未来に希望が持てたりするのも、病気の経験からだと思います。

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