「このままでは済まねえようにしてやる」後輩・談生を先に昇進させた立川談志の真意
2021年12月16日 公開
没後10年を迎えた立川談志の18番目の弟子・立川談慶には、生涯忘れられない悔しい思い出がある。同い年ではあるが後輩の談生(現・談笑)に、先に二つ目に昇進されたのである。入門時期によって生まれる上下関係を重んじる落語界では前代未聞のことであった。「異例の昇進」から見えてくる、立川談志の特殊な「天才性」とは?
※本稿は、立川談慶著『天才論 立川談志の凄み』(PHP新書)から内容を一部抜粋・編集したものです。
立川談志が語る「潜伏期間」
「このまんまで済むと思ってるだろ。済まねえようにしてやるからな」
前座時代、久しぶりに師匠にお供として付いた時、ぼそっとそんなことを言われました。ほんと談志の言葉は、いちいち補助線を引かないと理解できないほど難しいのです。20年以上経った今だからこそわかる言葉がほとんどなのです。当時の私にはまったくといっていいほど把握できませんでした。
「潜伏期間って言葉があるだろ? あれは医者の世界の言葉だけじゃないんだ。歌舞音曲、身に付けるには手間がかかるだろ? やらないでいると、やらないことが歴史になるだけだ」
続けてこの言葉も言われました。これも一見わかりにくい言葉です。要するに「結果として、良くても悪くても出るまでの間が『潜伏期間』なんだと。地道に稽古を積み重ねれば、いい結果が出てくる。何もやらなければ、何も出てこない。すぐに結果が出ないからといって何もしていないと、何もしていないのが歴史になる」といった意味でしょうか。
恐ろしくドライな言葉でしたが、当時の自分は「そうはいっても師匠は、順番で二つ目にしてくれるだろう」と、タカをくくっていました。
後輩が自分より先に二つ目に昇進した日
そんな中、激震が我が身を襲います。「談生(現・六代目立川談笑)を二つ目にする」と、師匠が宣言したのです。「理由は簡単だ。こいつのみが俺の昇進基準を満たしたからだ」と。立川流の場合、二つ目へ昇進基準は「落語50席プラス歌舞音曲」、真打ちは「落語100席プラス二つ目昇進時以上の歌舞音曲」という具合に決まっています。
「師匠は、自分自身も真打ち昇進は志ん朝師匠に先を越されていて、人一倍辛い思いをしてきている」
日暮里寄席の打ち上げなどで、一門の先輩方と飲むたび、そんな話を聞かされてきました。「抜かれた悔しい思いがあるから、順番は守ってくれるだろう」――そんな甘えた考えがいつの間にか自分の中にも出来上がっていました。まして、二つ目、です。
真打ち昇進に関しては、昭和55(1980)年に春風亭小朝師匠が36人抜きで昇進したことを筆頭に、「スター性」のある人を話題作りのために大抜擢するケースは過去に何度かありました。しかし、二つ目の昇進の際に抜擢の差配をするなど、江戸時代の落語界開闢以来の前代未聞のケースです。
真打ちが「落語家としての一人前」の称号であるならば、二つ目は「落語家としての自由な活動を許されるレベル」を指します。まだまだ真打ち未満の半人前という立場なのです。
逆にいえば談生よりキャリアの上の私は、「まだ落語家としての自由な活動を許されるレベルには未到達」という判断を下されたということです。前座と二つ目。共に真打ち以下のまだ落語家未満の身分同士ではありますが、その差は歴然です。
「着物を畳んでもらう立場」と「先輩の着物を畳まなければいけない立場」と、真逆なのです。それは勿論、頑張って基準を中央突破した談生への評価でしたが、抜かれた前座である私への怒りの意思表示でもありました。
ただ師匠からしてみれば、「このままで済むと思っているだろ。済まねえようにしてやるからな」が現実化しただけであり、「潜伏期間」を経て談生が二つ目になっただけだということなのでしょうが。