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生き方

「終活なんてしない、とっちらかったまま死ねばいい」 林家木久扇が語る死生観とは?

林家 木久扇(落語家)

2026年03月02日 公開

「終活なんてしない、とっちらかったまま死ねばいい」 林家木久扇が語る死生観とは?

林家木久扇一門主催、師匠米寿お祝いの会。前列中央が林家木久扇さん

林家木久扇さんは2024年3月、日本テレビ系の長寿番組『笑点』を卒業されました。初めて『笑点』の大喜利メンバーに抜擢されたのが31歳、以来55年の長きにわたりレギュラーをつとめてこられました。

本稿では、いまだ現役として第一線で活躍される木久扇さんに、最近意識されるという「人生の終わり」について語って頂きます。

※本稿は『人生は夕方からが美しい』(PHP研究所)より一部を抜粋・再構成したものです。

 

理想的な小さん師匠の死に方

まだみなさんには身近ではないと思いますが、88歳にもなると、ひしひしと人生の終わりを意識します。
ときどき、どんな死に方が理想かな、と考えることがあります。ぼくにとって理想に近い死に方は五代目柳家小さん師匠なんです。

師匠は亡くなる2日前に急にとんかつが食べたくなって、自宅の目白からタクシーに乗って、上野広小路の行きつけのとんかつ屋さんに行ったんです。
そこでとんかつを食べて、亡くなる前の晩にはひいきの目白のお寿司屋さんから好きなちらし寿司を取って「おいしい、おいしい」と召し上がったそうです。

その日はそのまま上機嫌でお休みになり、翌朝、娘さんが起こしに行ったら、ふとんの中で亡くなっていた。
もうあっけない。長く病むことも、臥せることもなく、ギリギリまでおいしいものを食べて。87歳でしたから大往生といっていいでしょう。
なんとも理想的な死に方じゃありませんか。

わたしもどうせ死ぬなら、小さん師匠みたいにコロリと死にたい。でもわたしはどうしても笑いを取りたいんで、わたしの師匠の桂三木助師匠みたいに、死ぬところを見せてギャラを取るのもいいなと思います。

亡くなった歌丸師匠もおっしゃってました。「木久ちゃん、噺家は高座に出てお金がもらえる商売だよ。楽屋で死んだらタダだけど、高座で死んだらギャラがもらえる」
お客さんの前で死ねばお金が取れるんじゃないの?なんてね。面白いでしょうハハハ。

今読んでいるのが人の死に際を書いた本なんですよ。『人間晩年図鑑』(1~3/関川夏央、岩波書店)。いろんな人の死に方が克明に書かれています。
たとえば三代目古今亭志ん朝さんは夏風邪をちょっとこじらせたつもりでいたら、末期のガンでした。風邪で病院を受診したのが8月の終わり。すぐに入院して9月半ばにガンの余命告知を受け、10月1日に亡くなっています。

告知を受けたときは『あしたのジョー』のラストシーンみたいに燃えつきた様子でベッドに座っていたそうです。本人としてはあまりに死が早すぎたんでしょうね。
わたしはどんな死に方になるのかな、なんて、わたしくらいの年齢になると、考えさせられる本です。

 

おふくろが亡くなったとき

おふくろが亡くなったのはわたしが52歳のときです。おふくろは76歳でした。危篤だといわれて、仕事先から駆けつけたんですが、間にあわなかった。
生き返るんじゃないかと思ってね、ひと晩中、布団の中で母の背中をさすり続けながら、わたしは泣きました。

おふくろは小唄の師匠で、春日小春豊という名取りでした。いい暮らしをしていたのに、おやじと離婚してから苦労して。駅で朝早くから新聞やくじを売って、一生懸命わたしたちを育ててくれたんです。

悲しかったですが、人と死に別れるのはいつか来ること。それが早いか遅いかという違いがあるだけだと思います。
この年になると、自分の身近な人といつ別れることになるかわからない。

今もね、うちのおかみさんと暮らして、何気ない会話の中で笑ったり、怒ったりしていますけど、いつかはこんな日もなくなるんだと、チラッと思ったりします。
人生、そういう日は必ず来るんだと、覚悟はしておいたほうがいいですね。

 

死んだら「無」。でもこわくない

死んだあと、地獄に行くとか、天国があるとか、いろいろ言いますよね。初代の林家三平さんが亡くなられたとき、あっちの世界が賑やかになったと言われましたが、そうでしょうか。
それは今生きている人の想像で、わたしは多分死んだあとは「無」だと思っています。

だから死んだあとのことをあれこれ考えるより、今を楽しみたいと思う。わたしの88歳の米寿の誕生日は、弟子たちや子ども、孫たちが総出で祝ってくれました。東京会館を借りて、みんなでパーティーをしてくれて。楽しかったなあ。

死ぬことを考えても暗くなるだけで時間の無駄。今を思い切り楽しんで、終活なんかもしないで、とっちらかったまま、死ねればそれでいい。最近、そう考えるようになりました。

 

生者を忙しくさせるな

わたしの師匠の林家正蔵師匠は葬式を出しませんでした。葬式を出すと、関係者は式に参列しないといけない。芸人はみな忙しいでしょう。「葬式なんて出して、生者を忙しくするな」というんです。

その遺言通り、お通夜もお葬式もやらなかったので、わたしたちはちゃんとお別れすることもできませんでした。師匠らしい潔い引き際だったと思います。

わたしのときも葬式はいらない。家族だけですませて、世間的には「そういえばいつのまにかいなくなっちゃってたね」といわれるのが理想です。
生きている者を忙しくさせない。それが死んだ者が生きている人にできる最大限の心配りじゃないでしょうか。

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