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暗い夜を生き延びさせたハン・ヨンエの歌 星のような推しに、少し遅れてついていく

ファン・ギョンシン

2026年03月17日 公開

暗い夜を生き延びさせたハン・ヨンエの歌 星のような推しに、少し遅れてついていく

暗く湿った空気の中で初めて聴いた一曲が、未熟だったわたしを生かしてくれた夜がある。 近くにいる彼女と、星のように遠い彼女。手は届かなくても、彼女のおかげで光の中を歩いていける。

BTSのRMも読んだ韓国の作家ファン・ギョンシンさんのエッセイ『夜11時』(&books/辰巳出版)より、近くて遠い「推し」とのエピソードを紹介します。

※本稿は、ファン・ギョンシン著『夜11時』(&books/辰巳出版)より内容を一部抜粋・編集したものです

 

ついて行けたらいいな

彼女、歌手ハン・ヨンエの歌を初めて聴いた場所の暗く湿っぽい空気を覚えている。すべての未熟なものたちを心の中に思いっきり抱いていた頃で、自分の未熟なものたちを許せない頃で、閉じた目を開けたら世の中が消えていることを願っていた頃だった。

"許してね、誰にでもそんな頃があるじゃない。"

わたしは何人かの人たち、つまり嫌いな人好きな人、たまに無関心だった人みんなで、カフェの隅っこの席にガムみたいにくっついて座り、店内に流れる当時流行っていた音楽を聴きながら、こうだったらいい、ああだったら困る、またはどうでもいいことについて話していた。

彼女の歌はくだらない雑談と根拠のない悲観、結論のない論争のようなものたちがテーブルの上を幽霊のようにさまよっているとき、ひとつの前兆や予感のようにやって来た。「건널 수 없는 강(渡れない川)」がその歌のタイトルだった。その日以後、わたしは毎晩その歌を何度も繰り返し聴いた。告白してしまうと、その歌はわたしにとって当時の暗黒を乗り切らせてくれたいくつもない癒やしのひとつだった。

彼女、ハン・ヨンエに会ったのはそれから数年後だった。大学路の静かな喫茶店の隅っこ、ちゃぶ台の前で彼女はヨガの基本姿勢みたいに絵のように座っていた。ステージの上の彼女とはあまりにも違う姿だったから、話しかけても口を開いてくれなそうで、やや戸惑った記憶がある。

でも彼女は慎み深い瞳でわたしを見上げ、低く柔らかい音色で挨拶してきた。ありがたいことに彼女とわたしの人生はそう遠くないところで営まれ、わたしは年に1、2回程度、彼女の時間を私的に所有する喜びを享受した。

私的に会う素顔の彼女は率直で美しく、配慮することも感謝することも知っている愛すべき人だということも知った。ステージの上の彼女や歌の中の彼女より、わたしをほろ酔い姫と呼ぶ彼女に十分なじんでいたのだけれど――ギョンシンは1杯飲んだだけでふわふわと酔ってしまうのだけど、その状態が飲み会が終わるまで続くのよね、と言って彼女がつけてくれたあだ名だ――コンサート会場で出会う彼女はいつもわたしを驚かせる。

彼女の歌を聴いていると、わたしは彼女が単刀直入にわたしの心に向かって歩いてきて、心臓をつかんでいるんじゃないかと訝しくなる。わたしはそうして虜にされたまま喜んで彼女の捕虜になるしかない。

少し前、コンサートが終わった後、ステージ衣装を脱ぎメイクを半分落とした彼女に楽屋で会えていなかったら、わたしは今もステージの上の彼女とわたしの隣に座っている彼女の間のギャップに戸惑っているかもしれない。

お酒の席は好きだけれどほとんどお酒が飲めない彼女は時々電話で、今日はお酒が飲みたくて、ほろ酔い姫を前に座らせてお酒を飲んでる姿を見たいの。わたしのかわりに飲んでくれる?と話す彼女はとても近くにいるようなのに、ステージの上の、歌の中の彼女は空の星のように遥かに遠い。

だからわたしが抱いている彼女、ハン・ヨンエが星のように輝く光になって遠いところからわたしのところに駆けつけるとき、わたしの心は泣き笑いして、優しい痛みにときめく。わたしたちはそういう人をスター、と呼ぶ。

だからわたしは、きみについて行けたらいいな。向かい合って座り、目を見て手を握ることはできなくても、きみが連れてくる光の中に留まり、何歩か後からきみにそっとついて行けたらいいな。

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