一番近く、また一番長く付き合っていくのが"自分"という存在ですが、近いからこそ分からなくて悩んだり、思い通りにいかずに自己嫌悪に陥ってしまうことも。
そんな時は、少しだけ自分を遠くから見てみると、思いもよらないことに気づくかも。
K-POPスターのジェジュンやRMも読んだ『あなたを応援する誰か』より、自分を抱きしめてあげたくなる言葉を紹介します。
※本稿はソン・ミファ著、桑畑優香訳『あなたを応援する誰か』(&books/辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
感情取扱いマニュアル
あるネイティブ・アメリカンの長老が孫に、「心の中で戦っているオオカミ」の話をした。
「坊や、わしらの心の中では、いつも2匹のオオカミが戦っているんだ。1匹は悪いオオカミで、そいつは、怒り、嫉妬、悲しみ、貪欲、傲慢、罪悪感、劣等感、うぬぼれ、優越感、それに利己心の象徴だ。
もう1匹は良いオオカミで、こいつは、喜び、安らぎ、愛、希望、謙虚、平穏、親切の象徴だ」
孫が長老に尋ねた。
「それで、どっちが勝つの?」
長老は静かに答えた。
「おまえがエサをやっているほうのオオカミだよ」
怒り、嫉妬、悲しみ、貪欲、傲慢、罪悪感、劣等感、うぬぼれ、優越感、利己心、そして喜び、安らぎ、愛、希望、謙虚、平穏、親切。
人間の心の中にはありとあらゆる感情が存在し、そのひとつを深く感じるよりもいろいろ、ごちゃ混ぜになっている。
たいしたことないふりをして、何の感情もわかないことも多いけど、ときにはすごく腹が立つこともあるし、悲しくてたまらないこともある。
ガマンできないほど感情がこみあげてしまうのは、ふだんぐっとこらえていたものがあふれ出すから。
そんなときは、劣等感にさいなまれたり、優越感がこみあげて、誰かにマウントを取ったり。
すごくうれしくなって、みんなにとことん親切にしてみたり。
怒り、嫉妬、悲しみ、どんな感情も大切にしたい。
嫉妬は競争心を呼び起こし、情熱というポジティブな気持ちも与えてくれるし、罪悪感は過ちを反省させてくれるから。
腹を立てても、嫉妬してもかまわない。誰かがわたしのものを奪っても、それは当然のこと。
世の中には私より優れた人もたくさんいる。
すごくうれしくて笑顔になり、他の人に心の底から優しくできる瞬間があるなら、それはとってもすてきなこと。
自分を理解する方法
四季にはそれぞれ音と香り、木々の彩りがある。山や海に行くと、自然を肌で感じ、季節の音はよりはっきり聞こえてくる。
その音に耳を傾ければ、いつの間にか自然と一体になったような安らぎを覚える。
人間も同じ。人にはそれぞれ、自分の気持ちを表す表情や方法がある。相手の個性をありのままに受け入れれば、相容れないと思っていた人でもきっと理解できるようになるはず。
これまで他者の声には耳を貸さず、自分の思いだけを主張してきた。
自然の音と同じように他の人の声に耳を傾けてみれば、自分の心の声もきっと聞こえるようになるはず。
人生はどんでん返し
生きていれば、失望する瞬間がある。さまざまな状況のせいで、あるいは人間関係のはざまで、ときには自分自身にがっかりすることもある。
失望するのは、期待したことと現実が違うから。そんな気持ちが積み重なると、自分は無力だと自信を失ってしまうのだ。
でも失望には、どんでん返しのチャンスがある。自分の間違いに気づいたり、期待ではなく欲望だったと悟ったりしたその瞬間、失望は希望に変わるのだ。
人生もどんでん返し。
だから生きる価値がある。
幸せじゃない瞬間がありましたか
いつもと同じように仕事をして、誰かに会って話してご飯を食べているだけなのに、ふと幸せを感じることがある。
毎日会っている人や、一緒に暮らす家族がそばにいるありがたさを感じる瞬間。
待っていたバスが来たときも、たまたま入った食堂の料理がとてもおいしかったときも。
そんな幸せを感じるたびに「わたしってほんとに単純」と苦笑いしてしまうけど、単純だからこそ、幸せなんだと思うと笑みがこぼれる。
好きなものを手に入れて、望みを叶えたときだけに幸せを感じるのなら、その「幸せ」は、とてもはかない。好きなものはすぐに変わり、さらなる高みを望む欲が出るからだ。
『幸せじゃない瞬間がありましたか』というタイトルのミュージカルを観たことがある。
果たして、幸せじゃない瞬間があっただろうか。
あったとしたら、すべての瞬間にちいさな幸せが存在していたはずなのに、気づかなかっただけ。
日常に満ちあふれる幸せのひとつひとつを見失わないで。本当の幸せに気づけるように。