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伊藤元重・“日本の課題”を経済学で読み解く

伊藤元重(NIRA理事長/東京大学大学院教授)

2013年04月04日 公開 2022年11月02日 更新

農村の工場空洞化が農家の競争力を高める

 少し前、静岡県牧之原市に行く機会があった。静岡県内で最大の茶畑のある地域であり、素晴らしい景色の田園地帯である。

 市役所の人に「牧之原市の主要な産業は何でしょうか」と聞いてみた。当然、お茶をはじめとする農産品の名前が出てくると思っていた。ところが返ってきた答えは「スズキ、TDK、伊藤園」というようなものであった。

 この返事は意外であったが、よく考えてみたら牧之原市の雇用はこうした企業の工場で支えられているのかもしれない。

 牧之原市が例外なのではない。全国どこでも、多くの農家は兼業農家だ。兼業農家にとって地域に進出している企業やその下請け工場は、重要な雇用の場であるはずだ。

 第二次世界大戦直後、農業に従事している人は労働人口の半分近くを占めていた。しかし、産業の主力が農業から工業、そして工業からサービス業にシフトする中で、農村人口は都市に吸収されていった。それでも日本全体の人口が増えていたので、農村部に多くの人口が残った。農業だけで生活が難しかったので、兼業農家が増えた。

 農業と工業が混在しているというのが、現在の農村地域の現実である。牧之原市はその典型だろう。

 今、こうした農村地域の工場が空洞化の危機にさらされている。大企業が海外生産への傾斜を強めれば、それに部品を提供する中小企業もいっしょに海外に出て行くか、それとも工場を縮小あるいは閉鎖せざるをえない。農村部の雇用機会が減少すれば、兼業農家として生活を続けることが難しくなる。農村人口はさらに都市部へ移動していくだろう。

 逆説的に聞こえるかもしれないが、農村人口が減ることは、農業が衰退することを意味しているわけではない。日本の農業が産業としての競争力が弱いのは、兼業農家が多いからという面がある。海外の主要農業国に比べて、日本では農地あたりの農家の数が非常に多い。つまり、農家1軒あたりの農地が非常に小さいのだ。

 日本の農業を競争的にするためには、農家1軒あたりの農地を拡大する必要がある。日本国内の農地の規模が一定であるとすれば、これは農業労働者の数が減るということを意味する。

 工場での雇用機会が減ることで農村の人口が減ったとしても、農地が兼業農家からプロ農業(専業農家)に移転していけば、農業は産業としての競争力を強めることができる。

 米国や豪州などは別としても、世界有数の農業輸出国のオランダや農業大国のフランスなどで田園地帯に行くと、広い農地が広がっている光景を見ることができる。これと比べると日本の農業地帯は過密の感さえある。工場で働く機会があったことが、農業地域で過大な人口を支えることを可能にしてきたのだ。

 農村地域の空洞化というと将来は厳しいように見える。しかし、農業での過密現象が解消されると考えれば、日本の農業の未来は明るい。人口減少の悪い面ばかりが強調されるが、過密人口の弊害も少なくない。農業もその一例である。

【伊藤元重の視点】
農村部の工場空洞化は、地域に数多く存在する兼業農家を、プロ(専業)農家に変化させ、農業活性化につながる。

 

農村から都市への人口移動で双方活性化

 全国、どこに行っても少子高齢化による人口減少の話題が出る。人口の減少が続けば、地域経済は大変なことになる。なんとか人口減少を食い止められないか。あるいは、他の地域から人を引きつけて、人口を増やすことはできないものだろうか。

 こういった議論が出てくるのはもっともだ。人口減少を食い止めるためにも、子供の数を増やしていくための制度改革や政策に取り組むことも重要だ。ただ、そうした政策を続けていったとしても、当分は日本の人口減少を食い止めることは難しそうだ。日本だけではない。世界中どこに行っても、一部の例外を除いては、先進工業国は少子高齢化の問題を抱えている。

 こうした現実を考えると、なんとか自分の地域の人口を増やしたいと考えても、それが難しい話であることがわかる。日本全体の人口が減少している中で、かりにどこかの地域の人口が増えたとすれば、それは別の地域から人口を奪っているにすぎないからだ。

 あちこちの地域で人口を引きつけるための政策を行っているとすれば、それは経済学者がゼロサムゲームとか、囚人のジレンマと呼ぶ状況になっている。人の取り合いになって、成果が上がらないまま、無駄な政策費用だけをかけることになりかねないからだ。

 たとえば県単位で考えても、他の都道府県から人を呼び込もうとしても簡単ではない。海外からの移民を大量に入れるという決断でもすれば別だが、そこまで踏み込んで考えている人は少ない。県全体での人口を増やすことは難しいという前提に立った上で、人口減少の起こす問題への対応策を考えた方が現実的である。

 県全体の人口は増えないとしても、都市部と農村部の人口の移動はある。人口が全体として都市部に移動し、都市では人口が増え、農村部では人口が減少する。これが全国のどこでも起きていることであり、この流れの中に地域活性化のカギがある。

 農村部の人口が減少することは困る。そう漠然と考える人もいるだろう。しかし、産業構造の大きな流れが、農林水産業から工業、そして工業からサービス産業へ向かうとすれば、都市へ人口が流れるのは自然な現象である。それでも戦後から現在にいたるまで、農村部に工場などを誘致して、地域の雇用を支えようとしてきた。しかし製造業のグローバル化の中で、それにも限界が見えてきた。

 農村部の人口が減少するということは、必ずしも農業地域が疲弊化するということではない。欧米の先進地域の農村地域を見ればわかるように、専業化し大規模化した農業がそこに定着しているのだ。日本よりも農地が小さいかもしれないオランダが世界有数の農業輸出国であるのは、専業農業が田園地帯に展開しているためだ。

 都市に人口が集まれば、そこに新たな産業が育つことも期待できる。より少ない労働力でより多くの農地を管理する農業地域と、人口が集まって産業が活性化する都市。この両方を同時に実現するのが地域内での人口移動であるのだ。

【伊藤元重の視点】
人口減少時代に地域同士の人の取り合いは無意味。むしろ、農村から都市への人口移動に地域活性化のカギがある。

 

伊藤元重

(いとう・もとしげ)

東京大学大学院経済学研究科教授、総合研究開発機構(NIRA)理事長

東京大学経済学部卒。1979年米国ロチェスター大学大学院経済学博士号(Ph.D.)取得。専攻は国際経済学。1996年より東京大学大学院経済学研究科教授、2006年2月より総合研究開発機構(NIRA)理事長、現在に至る。2007年から2009年まで東京大学大学院経済学研究科研究科長(経済学部長)。
『ゼミナール現代経済入門』(日本経済新聞出版社、2011年)『危機を超えて――すべてがわかる「世界大不況」講義』(講談社、2009年)『キーワードで読み解く経済』(NTT出版、2008年)『伊藤元重の経済がわかる研究室』(編著、日本経済新聞社、2005年)『ゼミナール国際経済入門 改訂3版』(日本経済新聞社、2005年)『はじめての経済学(上・下)』(日本経済新聞社、2004年)『[図解]「通貨と為替」がわかる特別講義』(PHP研究所、2012年)『日本と世界の「流れ」を読む経済学」(PHPビジネス新書、2012年)『時代の“先”を読む経済学』(PHPビジネス新書、2011年)など著書多数。


<書籍紹介>

経済学で読み解く これからの日本と世界

伊藤元重 著
本体価格 860円   

世界の主要国の経済が一斉に減速し始めている。世界、日本経済は一体どうなるのか? ユニークな視点でわかりやすく解説。

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