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生き方

がまんの先には、いいことが待っている

金昂先(四国八十八ケ所霊場「大日寺」住職)

2013年05月08日 公開 2022年12月21日 更新

『がまんの先には、いいことが待っている』より》

大丈夫、なんとかなる!

 「はじめて何かをする」と、ニュースになります。
 2008年11月。
 四国のテレビで、ある「はじめて」のニュースが流れました。
 「四国八十八ケ所札所で、はじめて外国人の住職が誕生しました」
 そして、その住職が女性であることも伝えられました。
 その外国人の女性とは、金 昂先(キム・ミョウソン)。私です。

 韓国に生まれ、まさか自分が日本のお坊主になるとは夢にも思いませんでした。
 子供のころから韓国舞踊が大好きで大好きで、苦労もありましたが、ひたすら踊りの道に打ち込む人生を送っていました。
 「私は、舞踊と結婚したの」と満足していたのです。
 ところが、縁あって日本の僧侶と出会い、38歳で結婚。十三番札所大日寺に、お嫁に来たのでした、

 はじめのうちは言葉がわからず、片言のやりとりでしたが、それでもじゅうぶんに愛し、愛されていることがわかりました。息子を授かり、舞踊では人間国宝継承者の指名も受けました。
 思い切って飛び込んだ、日本人との結婚という「運命」は、順風満帆な40代につながっていました。

 ところが、最愛の夫が急死。
 思いもよらない「運命」が、再び私を襲い、気がつくと50歳で住職になっていました。
 人生とは、まったく思いもよらないほうへ、ころがっていくものです。

 今、私は、すべては、お大師さま(弘法大師、空海。八十八札所は、お大師さまゆかりの地とされる)の、お導きなのだと思っています。
 つらいことがあっても考え込まず、「お大師さまが、よいようにしてくださる」と、気楽に構えられるようになりました。
 これは、お大師さま頼みで、仕事やつらいことから逃げるということではないのです。「がまんしていれば、きっと、ええことがある」と、自分に催眠術をかけるようなものでしょうか。

 このたび上梓した本『がまんの先には、いいことが待っている』では、お坊主になった運命を振り返り、その時々の喜びや悲しみを率直に語りました。その中で身につけた、気持ちのありようも、お伝えしています
 多くの方がこの本を読んで、「こういう人生もあるのか」「人生、何があってもなんとかなる」と、勇気と元気を持っていただけたら幸いです。

 

「ありがとう」は愛の言葉。私に力をくれました

 結婚して弘榮住職が亡くなるまで、私は一度も本堂に入ったことがありませんでした。
 お寺のことは全部、弘榮住職に「おまかせ」。「なんもせんでええ」と全部してくれたので、すっかり甘えていたのです。
 ですから、弘榮住職が亡くなってからは、一切がわからず大変でした。信者さんの住所もわからない、電気が切れても修理をどこに頼めばいいのかもわからない 非常ベルが鳴っても、どうやって止めたらいいかさえもわかりません。ましてや登記のことなどは、さっばりです。
 こんなことなら、「少しでも教えてもらっておけばよかった」と何度も思いました。
 声明も、作法もそうです。「そばに、あんなに立派な師匠がいたんだから、少しは教えてもらっておけばよかった」と、たびたび修行中に考えました。
 それが今、毎日本堂で、おつとめをしています。
 弘榮住職の座布団に座って、弘榮住職の念珠をつけて、おつとめをすると、まるで弘榮住職が横にいてくれるような気がします。

 弘榮住職のことは一日たりとも思い出さない日はありません。
 春雨がしとしと降っている4月のある日、弘榮住職が突然「雨が降っていてロマンチックだから、大阪行こか」と言い出したこと。カーフェリーで明石海峡大橋を渡って大阪のホテルで一泊してきました。
 それから、踊りの公演のときに、楽屋で衣装にアイロンをかけてくれたこと。あの大きな体をかがめて、ひょいひょいとかけてくれました。
 そうそう、私かひどい風邪をひいて、体の節々が痛くて寝ていたら、お風呂から出てきた弘榮住職が、そこにかけてあった衣装のスカートをつけて、おどけたポーズをとったこともありました。
 「やめてよ。笑うと痛いから」
 と言いながら、私はおかしくて仕方がありませんでした。
 こうやって、あれこれ思い出していると、恋人時代に戻ったような気がします

 結婚してから11年間、毎日、住職は私にこう言いました。
 朝、目が覚めると、
 「今日も一日、よろしくな」
 そして毎晩、寝る前には、
 「今日も一日、ありがとう」
 ありがとう。なんて素晴らしい言葉でしょう。
 そして弘榮住職は、朝から晩まで、この素睛らしい言葉を言い続けてくれたのです。
 「結婚してくれて、ありがとう」 
 「子どもを産んでくれて、ありがとう」
 「(洗濯をすれば)ありがとう」
 「(食事を作れば)ありがとう」
 「健康でいてくれて、ありがとう」
 当たり前のことであっても、何かをすれば、いつも「ありがとう」と言葉にしてくれました。
 ありがとうが、私を幸せにしてくれました。

 私は、日本語の「ありがとう」は、世界のどこにもない素睛らしい言葉だと思っています。
 感謝の気持ちを伝える言葉は、どこにでもあります。
 けれど、日本語では、昨日のことでも「昨日はありがとう」、1年前のことであっても「あのときは、ありがとう」という言い方をします。この“配慮する”言い方は日本だけのものだと思います。
 だから、日本人は世界一マナーがよいと言われるのでしょう。
 けれど、一般的に日本人は、この素睛らしい言葉を、外で使うほど家族内では言わないようですね。
 私は、弘榮住職から「ありがとう」と言われて幸せでした。そしてそれは力になりました。
 慣れない異国に嫁いで生きていく力に、そして自分自身が住職となって生きていく力に。幼い頃、父母に「お前は立派だ」「お前ならできる」と言われた愛の言葉と同じように。

 ぜひ、みなさんも、ご家族に「ありがとう」と言ってください。言われた人は、幸せになります。そして幸せは、つらいときに頑張れる力になります。

 

金昂先

(キム・ミョウソン)

韓国伝統舞踊「僧舞」人間国宝継承者。四国八十八ヶ所霊場第13番札所大日寺住職。
1957年、韓国生まれ。1976年より韓国舞踊の人間国宝・李梅芳氏に師事する。1988年、韓国仁川市に金昂先舞踊団を設立。1996年、大日寺住職と結婚し、徳島へ。2005年、人間国宝後継者に指名される。2007年、急死した夫の跡を継ぐため、9歳の息子と共に得度、翌年、四国八十八ヶ所で初の外国籍を持つ住職となる。2011年、大韓民国文化勲章花冠叙勲。


<書籍紹介>

がまんの先には、いいことが待っている

金 昴先 著
本体価格 952円   

困難や悲しみに遭遇したとき、どうすれば乗り越えることができるのかを、波乱万丈の人生を生きる女性僧侶が自身の体験をもとに語る。

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