親切のつもりが相手に気を遣わせたり、人目を気にするあまり身近な人をイライラさせたり――悪気のない行動であっても、知らず知らずのうちに相手を疲れさせることがあると、作家の有川真由美さんは語ります。
では、相手を疲弊させてしまう人には、どのような特徴があるのか。本稿では、疲れる人の3つの特徴に加え、疲れる人にならないためのポイントや対処法を紹介します。
※本稿は、有川真由美著『一緒にいると楽しい人、疲れる人』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
疲れる人――お節介な人
世の中には世話好きや親切な人がいるもので、私もそんな人に助けられながら生きてきました。しかし、一見、親切な人のなかに、ときどき頭を抱えたくなるような「ありがた迷惑」ともいうべき、"お節介な人"が混じっていることがあります。
たとえば、仕事やプライベートにあれこれ首を突っこんでアドバイスしたり、相手が必要としていないことを押し付けたり......。こんな的外れな人が身近にいると、結構、うっとうしい存在になります。受け取る側が「それはちょっと......」「そこまでしなくてもいいですよ」などと難色を示そうものなら、「よかれと思ってやっているのに、人の気持ちがわからない人だ」などと言って怒りだしたり、不機嫌になったりします。
お節介が過ぎる人は、主観でしか物事を見られないので、相手を正そうとするのです。そんな人には、相手に対する思いやりはありません。"自分本位"のナルシスト的な親切であり、感謝されることを期待しているのです。自分では気づいていないでしょうが。
一方、本当に親切な人の行為は、単純に「相手がよろこんでくれたら、うれしい」という"相手本位"の親切心ですから、「それは要らないですよ」と言われても、「あら、それは余計なことだったね、ごめんごめん」などと自分のほうを正そうとします。
では、お節介な人には、どう接したらいいでしょう。いちばんいいのは、お節介な人にとって、"扱いにくい人"になるということです。
お節介な人は、お節介が許されるターゲットを見つけるのが上手いものですが、「私は〜の理由で、こうします」と自己主張をハッキリすると、相手にされにくいものです。相手が目上の人であれば、感謝を示して、相手の自尊心を満たしつつ、「もう大丈夫。なにも必要ないです」とクギを刺したり、相手に余計な情報を与えないことも大事でしょう。
【もしも、あなたがお節介ぎみだったら】
世話好きで愛されている人たちが、よく言う口グセは、「必要なかったら、言ってね」。相手が断ったときは、「OK、じゃあ、また今度」とあっさり引っこめましょう。
もう一つの口グセは、「(自分が)好きでやっていることだから」。親切上手な人は、"気軽さ"をまとっているので、相手も気軽に甘えられます。「あなたがよろこんでくれたら、私もうれしい」という気持ちの交流があるとき、自分も相手も幸せになれて、そこにやさしさの輪が広がっていくのです。
疲れる人――人目を気にしすぎる人
じつは、私はかつて、人の目を気にしてばかりいる性格でした。自分に自信がなかったからかもしれないし、幼児期の生活環境や体験がなにかしら影響していたのかもしれません。
「こんなことを言ったら、嫌われるのでは?」「こんなことをしたら、迷惑がられるのでは?」と萎縮してなにもできなかったり、人の顔色を窺って言いたいことが言えなかったり。同僚に「ランチはどこに行く?」と聞かれると、本当はオフィスで済ませたいのに、「私はどこでも。みんなが行きたいところで」なんて答えてしまう自分のなさ......。
そんな私に、まわりもイライラし、面倒くさく感じていたのでしょう。「"あなた"は、なにがいいの?」「"あなた"はなにがしたいの?」と、よく言われていたものです。
友人に、言いたいことを、あっけらかんと言う人がいます。彼女を見ていると、つくづく「この人は、人を信じているんだろうな」と思うのです。心の奥で「自分を出しても大丈夫」と自分も人も信頼しているから、自由に振る舞えるのです。結果、まわりにも「そんな人だから」と扱ってもらえ、裏表がないから信頼されます。
【もしも、あなたが人目を気にする人だったら】
私はある時期に、「人にどう思われてもいいから、自分に正直に生きよう」と開き直ってから、物事がうまくいくようになりました。自分の幸せに責任があるのは唯一自分だけだと気づいたからです。人に大きな迷惑がかからない範囲で言いたいことを言い、やりたいことをやるようになりました。
そうしてわかったことは、「自分が思うほど、人は自分のことなど気にしていない」ということ。一瞬、嫌味を言われても、つぎの瞬間には、他人のことなど考えてはいません。「人が自分のことを気にしている」と考えるのは、"思い過ごし"なのです。
そして、もう一つ。「自分がどうしたら好かれるか?」と我が身を心配するよりも、「相手をどう好きになるか?」と人のいい部分を見ようとするほうが、よっぽど関係性はよくなります。どんな人にも、いいところがあるもの。相手の悪いところではなく「いいところ」を探して、好きになろうとすれば、ほとんどの人間関係はうまくいくのです。
人の目ばかりを気にして窮屈な思いをしている人は、自分が好かれようとする前に、まず自分から相手を好きになる努力をしてください。どうしても好きになれない相手なら、「嫌いにならない」程度に心の距離感を保ちましょう。心地よさとは、きっとそんなところから生まれてくると思うのです。
疲れる人――悪口好きの人
人の悪口というのは、ちょっとしたガス抜きでもあります。かつてパワハラ上司のもとで働いていたとき、ランチの時間に同僚たちが「あのブタ、ひどいと思わない?」「管理職のみんな、死んじゃえばいいのに」などと悪口で盛り上がる習慣がありました。「私たちはひどい仕打ちを受けている。だからこれぐらい言っても許されていいはずだ」と、だれもが悪口を正当化していたのかもしれません。
しかし、貴重な昼休みの1時間がそんな会話だけで終わってしまうと、苦々しさや虚しさが胸に残ります。「あーあ。本でも読んでいたほうがよかったかな」などと思ってしまうのです。
悪口は職場だけでなく、家族や友人、ママ友など、どんな人間関係にもはびこるものですが、言っているときはだれもが「自分は正しい」「相手が悪い」と思っています。嫉妬や劣等感などを共感する人がいると、集団エゴイズムから悪口は広がっていきます。
悪口を言うときは、まるで正義の使者のように相手を裁こうとしますが、その正義というのもあやしいもので、言ってしまえば悪口は「負け犬の遠吠え」。勝ち目のない相手に直接言えず、陰で吠えてストレスを発散しているようなものです。賢い人が悪口の輪に加わろうとしないのは、マイナスの言葉からプラスの現実はやってこないと知っているから。同じ土俵で闘おうとすること自体、「くだらない」と思っているのです。
【もしも、あなたが悪口を言ってしまいそうになるときは】
悪口や噂話をしているときは、その嫌な相手のために時間を使っていることになります。悪口を言われた相手は、ご機嫌にゲラゲラ笑っているかもしれないというのに。
「今日が人生最後の一日だったら?」と考えてみるといいでしょう。その貴重な時間を、悪口を言うことに使うでしょうか。できるだけ楽しい話をして過ごそう、まわりの人によろこばれる言葉を使おうと思うはずです。
悪口をだらだらと言っているのは、ヒマな証拠。自分の目的をもって楽しく過ごしていたら、人のことはどうでもよくなるでしょう。悪口を言う言わないは、相手の問題ではありません。相手に悪意やわだかまりをもつかどうか、それを表現するかどうかの、私たち自身の問題なのです。
また悪口を言われても「すべての人に好かれなくても仕方がない」と考えると、さほど気にならなくなります。いい時間を過ごそうと思うなら、いい言葉、いい気分で過ごすことです。









