ダンサーや振付家、また近年は教育者として幅広く活躍するTAKAHIRO(上野隆博)氏と、初著書『世界はラテン語でできている』(SBクリエイティブ)が話題となったラテン語さん。異なる領域で活躍する二人が、「言葉」をテーマに互いの世界を思索する。
後編では「Memento mori(死を忘れるな)」「Carpe diem(今日を楽しめ)」など時代を超えて受け継がれる言葉や、人生を変える言葉の力について語り合った。
構成:編集部(田口佳歩)
※本稿は、前後編の後編です。『Voice』2026年7月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
時代を超えて大事にされる言葉
【ラテン語さん】TAKAHIROさんには、お気に入りの言葉などはありますか。
【TAKAHIRO】一つ挙げるならば、「明日ありと思う心の仇桜/夜半に嵐の吹かぬものかは」でしょうか。親鸞の言葉とされていて、「明日も咲いていると思っている桜も、夜中の嵐で散ってしまうかもしれない。今この瞬間のものが『最高』かもしれないから、見逃さないようにしよう」という考えです。同時に、自分自身も誰かに見逃されないような"最高の桜"であろうという思いも込めて、大事にしている言葉です。
【ラテン語さん】古代ローマの詩人ホラーティウスも、「天上の神々が今日一日と同じだけ明日を与えてくれるか、誰が知ろう」という言葉を残しています。親鸞の言葉と重なるものを感じますね。
【TAKAHIRO】そうでしたか。もう一つ、「健体康心」も好きです。これは『易経』に登場する言葉で、「健康」の語源でもあると言われています。
今では健康は、体の体力が満たされていることを指しますよね。でも本来は、体だけでなく心も健やかであることを意味していた。ですから私は健康を「健体康心」と捉えて、日々過ごしているんです。
【ラテン語さん】ラテン語の「Mens sana in corpore sano(メーンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノー)」に通じるものがあります。直訳すると「健全な身体に健全な精神」で、古代ローマの風刺詩人であるユウェナーリスが、「神様に何かをお願いするとしたらこれ一つだけだ」として、この言葉を残したとされています。
これに関連する会社が、じつはスポーツ用品メーカーの「アシックス」。社名の由来はまさに「Anima Sana In Corpore Sano(「精神」を意味する「Mens」に対して、「魂」を意味する「Anima」を使用)で、頭文字をとって「ASICS」というわけです。創業哲学も「健全な身体に健全な精神があれかし」としていますね。
【TAKAHIRO】意外と、私たちの身の回りでもラテン語から来ている言葉は多いですよね。そして、時代を超えて大事にされているものは、どこの世界でも一緒なのでしょうか。
そういえば、「Memento mori(メメントー・モリー)」もラテン語ですね。私自身、いつも心に留めている言葉です。
【ラテン語さん】「死を忘れるな」という意味のラテン語ですね。じつは私も、この言葉を実感する出来事がありました。最近、いつもの散歩道に車が突っ込んだんです。散歩の時間がずれていたら、私はこの世にいなかったかもしれない。それ以来、頭の片隅で「自分もいつか死ぬ」という感覚があります。
【TAKAHIRO】大きなことに臨む前には、いつもこの「Memento mori」という言葉を思い浮かべます。ここで意識する「死」とは、何も生命的な終わりだけではなく、キャリアの面でもそうです。今の作品がつくれる環境は、いつか終わるかもしれない。だからこそ、つねに全力でやり切る。終わりを感じることによって、生のエネルギーを増幅させるようなイメージです。逆に、ラテン語の楽観的な言葉はあるのでしょうか。
【ラテン語さん】「Carpe diem(カルペ・ディエム)」でしょうか。あれこれ考えているうちに時間は逃げていく、次の日をできるだけあてにせずに今日を楽しみなさい、という意味です。
【TAKAHIRO】なるほど。「Carpe diem」、とても良い言葉ですね。
言葉はたしかに人生を変える
【ラテン語さん】私はかつて、「天の言葉」に救われた経験があります。高校時代、英語の勉強に行き詰まってしまい、試験の点数も伸び悩んだのですが、そのとき、ふと「お前は日本語でも完璧に話せていないのだから、英語ができなくて当たり前だろう」という言葉が頭のなかに浮かんだんです。それ以来、完璧主義的な考え方が取り払われて、間違いを恐れず話せる積極性が生まれ、結果として英語も上達しました。
【TAKAHIRO】そうでしたか。誰しもが、言葉に悩む場面はあると思います。私の場合は、目の前の方にはどうにか上手く伝えることができても、それをさらに別の方に伝えてもらうというときに、どんな言葉を選べばよいのかに難しさを感じます。
また、テレビ出演では、自分は相手のストーリーを理解したうえで言葉を選んだつもりでも、それを知らない第三者の方が異なる理解をする可能性があります。コミュニケーションが「一対一」なのか、「一対第三者」なのか、はたまた「一対一+第三者」なのかによって、言葉のチョイスも変わる。そのもどかしさをどう解消できるのか、今も研究中です。
【ラテン語さん】言葉を完璧に使いこなすことはできないのかもしれません。ただ、こうしてTAKAHIROさんとお話ししていて、あらためて、言葉には人の人生を変える力があると感じています。ちょっとした一言で、人は左右されるものですから。たとえば、小さいころに親や友人からかけられた「つくってくれた料理、とても美味しいね! 将来、料理人になれるよ」という言葉がきっかけで、本当に料理人になった方もいるでしょう。
ただその一方で、言葉の使い方が悪ければ、傷として残ってしまうこともある。だからこそ、言葉を使うときには、他者への思いやりをもって使いたい。それは古代ローマ、中世、近代、現代と経て、言葉を使う私たち人間が多かれ少なかれ、ずっと意識してきたことではないでしょうか。
【TAKAHIRO】言葉だからこそ伝えられることがあることを、私は自分の人生を通して確信しています。そして言葉は、「心」だと思います。「一つの言葉」を「一つの心」なのだと思って、これからも大切にしていきたいです。皆さんの言葉が、誰かのよき心をつくりますように。












