ポルトガルで学んだ「ほどよく生きる知恵」 今日から実践できる9つの習慣
2026年06月26日 公開
「ポルトガルで暮らして学んだのは、人生を変える方法ではなく、人生を急がせない技術だった」――ポルトガルと日本の2拠点で活動するフォトジャーナリストの乾祐綺さんは、ポルトガルの人々と日々関わる中で、"ほどよい生き方"を見つけることができたといいます。
本稿では、乾さんが人生のさまざまなフェーズで心のよりどころにしているという「ポルトガル式の小さな習慣9つ」を見ていきましょう。
※本稿は、乾祐綺著『西の果てで見つけた ポルトガル人のほどよい生きかた』(クロスメディア・パブリッシング)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
結果だけでなく、過程にも目を向ける
①目の前の人を、いちばん大事にする
ポルトガルで暮らしていると、"今ここにいる人"を最優先する場面に何度も出会う。バスの運転手さんが車を降りてわざわざ道案内をする。レジに長蛇の列があっても、困っている人がいたらみんなで解決する。効率は確実に落ちる。でも、その瞬間、人と人の関係は確実に濃くなる。
日本では、時間を守ること、流れを止めないことが美徳とされやすい。だから「あとでね」「急いでいるから」が自然に選ばれているように感じる。一方で、ポルトガルは、目の前の人に全力で関わることを、迷いなく選ぶ社会だ。後先を、そして周りを考えることもとても大事なこと。でも、今この瞬間、自分の周りにいる人に向き合うこと以上に、実は大事なことはそれほどないのではないかとも、ポルトガルでは思わされる。
だってそんな光景が、社会を少ししなやかにし、居合わせた人の心もほんのりと温めているのを目の当たりにしてきたから。ここにいると、未来は今を、そして周囲の人を大事にすることから始まる気がする。目の前の人を、そして今を大事に。結果、世界が少しずつ慈愛に満ちていく。自分にも自信が持てるようになっていく。
②不便も、前向きに捉えてみる
日曜に店は閉まる。エレベーターはよく壊れる。エスカレーターも同様。思いどおりにいかないことが本当に多い。でも、その不便が、人を苛立たせるよりも助け合いを生む場面を、ポルトガルでは何度も見てきた。
誰かが待つ。誰かが手を貸す。誰かが声をかける。ポルトガルでは、不便は関係が生まれる余白として残されている。思いどおりにいかない時間、場面を受け入れてみること。不便は、必ずしも敵ではない。そこから獲得できる、新しい自分に出会うチャンスかもしれないから。
③正解より、過程を引き受ける
例えばこの国を代表するバカリャウ(塩漬けして乾燥させた干し鱈)料理は、調理に非常に時間がかかる。塩抜きには何日も必要で、しかもその塩梅はとても微妙で、失敗も多いという。それでもポルトガル人は、この料理を愛してやまない。効率的ではない。でも、手間を含めて味だと知っている。完成品だけを評価しない。そこに至る過程も、ちゃんと味わっている。
日本では、結果が先に問われることが多い。だがポルトガルでは、どうやってそこに辿り着いたか、が大切にされている。遠回りの時間を肯定する視点として。これまでの過程に誇りを持っていいという再評価として。正解は大事。でも、過程を楽しめるようになると、毎日は明らかに輝くようになる。
上手くいかない時もチャンスだと捉える
④予定どおりに進まないことを、前提にする
ポルトガルでは、物事はだいたい予定どおりに進まない。バスは遅れる。工事は伸びる。約束の時間も前後する。最初は戸惑う。が、やがて気づく。この社会は、もともと"ズレる前提"で設計されているのだと。だから、少しの遅れでは関係が壊れない。完璧に揃わなくても、生活は続く。
日本では、予定どおりであることが信頼に繋がる。だが、ポルトガルでは、ズレても関係が続くことが信頼になる。20代、30代には、コントロールできない状況への耐性として。40代、50代には、人生の誤差を責めなくていいという視点として。予定どおりにいかないことは、価値観を変えるチャンス。大事なのは、きっとその先に。
⑤なにかを理由に諦めない
「ア・アヴォ・ヴェイウ・トラバリャル(A Avó Veio Trabalhar /おばあちゃんが働きに来た)」という社会プロジェクトのおばあちゃんたちと過ごしていて何度も感じたのは、彼女たちがほとんど"やらない理由"を口にしないということだ。
年齢の話をしないわけではない。体が痛い日もあるし、つかれる日もある。それでも、その言葉は「だからやらない」には繋がらない。刺繍をする。人前に立つ。知らない世代と話す。どれも「今さら」「若い人のほうが向いている」という理由で手放すことは簡単なはずだ。けれど彼女たちは、決してそうはしない。完成度や評価で自分を測らず、関わっているかどうかだけを大事にしているように見える。
彼女たちは、理由が揃ってから動くのではなく、まずは動く。動きながら理由を探している。いや、理由すらなくてもいいのだろう。なにかを理由になにかを諦めないというのは、無理をすることではない。人生を条件付きにしない、という態度であり、自由な生き方そのものだ。僕が大好きなポルトガルのおばあちゃんたちは、そのことを言葉ではなく、生き方そのもので示している。
⑥喪失も含めて人生だと理解する
ポルトガルにしかない言葉であり、感覚であるとされる「サウダーデ(Saudade)」。懐かしさ、郷愁、切なさ――どれも近いが、どれも少し違う。サウダーデとは、失ったものを忘れずに生きるための感覚。過去を手放すことでも、前向きに整理することでもない。失われたまま、それでも今を生きる。その未完了な状態を、そのまま抱えて進む態度だ。
ポルトガルの人々は、喪失を急いで乗り越えようとしない。亡くなった家族、戻れない場所、終わった関係――それらを人生から切り離さず、日常の中に静かに置いている。サウダーデが教えてくれるのは、生き方、そして人生というものの捉えかただろう。
無理に終わらせなくていい。忘れなくていい。完成しなくていい。途中のままでいい。生きていていい。戻っていい。諦められなくていい。サウダーデは、どんな人生も肯定していいのだと教えてくれる、ポルトガルならではの教えなのだ。
自分へのご褒美も忘れずに
⑦人生を更新し続けなくていい
常に新しく、常に変わり続けることが良しとされる時代。スキル、情報、価値観。アップデートを止めることは、取り残されることのように感じられる。でもポルトガルでは、変わらないものを持つことも大切にされている。
同じ店に通い、同じ道を歩き、同じ人と話す。その繰り返しが、生活の土台になる。変わらないことは、停滞ではなく、安心の源。20代、30代にとっては、「流行を追いかけなくていい」という救いに。40代、50代にとっては、「もう十分積み重ねてきた」という肯定に。人生は、更新し続けなくても、自然と深まっていく。
⑧甘いものを、ちゃんと食べて自分にご褒美を与える
ポルトガルでは、甘いものは特別な日のご褒美ではない。仕事の合間や昼食のあと、理由もなくケーキを食べ、コーヒーを飲み、会話をする。甘いものは、頑張った自分を甘やかすためではなく、立ち止まるきっかけとして日常に置かれている。それはルーティンのようにさえ思える。
もちろん、無頓着に食べているわけではない。甘いものを楽しむ一方で、人々はよく歩き、階段を使い、身体を動かす。食事全体のバランスや量にも、自然と気を配っている。好きなものを我慢するのではなく、好きでい続けるための工夫を暮らしの中に組み込んでいるのだ。
効率を重んじる社会では、ご褒美は成果の後に与えられる。だがここでは、成果の前にも途中にも、小さなご褒美=甘さが差し込まれる。それは自分を律するためではなく、無理をしすぎないための調整なのかも。
甘いものを食べることは、健康を軽視する行為ではない。むしろ、心と身体の声に正直に生きること。すべてを管理し、抑制するのではなく、楽しみながら続けていく。そのバランス感覚こそが、大事なのだ。
⑨挨拶をする。隣の人に、ひと声かけてみる
ポルトガルでは、知らない人同士でも、自然に挨拶が交わされる。エレベーターの中、カフェのカウンター、バス停の列。「ボン・ディーア(Bom dia /おはよう)」の一言に、特別な理由はいらない。
挨拶は、相手と深く関わるためのものではない。むしろ、「あなたの存在をちゃんと見ています」という合図だ。名前も知らない相手に、敵意がないことを伝える、最小限の社会的な礼儀のような、サインのような。
忙しい社会では、人に話しかけることは、ときにリスクのように扱われる。無駄な時間が増えるかもしれないし、反応が返ってこない可能性もある。だがポルトガルでは、「ボン・ディーア」はスイッチのようなもので、その一言で関係が始まり、その一瞬のやり取りの積み重ねによって、街の空気が確実にやわらかくなっている。
そして知らない人に挨拶することは、世界と繋がるための最初の一歩だ。当たり前だが、社会的な評価や肩書きを持たなくても、人と会話することができるし、友達にだってなれる。実際、僕はポルトガルで、たった一言の挨拶から、さまざまな国の人たちと友達になってきた。
まずは「おはよう」から。いや、軽い会釈からでもいい。自然なウインクができるようになったら最高だ!ポルトガル人は挨拶の代わりにウインクをする人も結構いるのだけど、それがとてもかっこよくてうらやましい。








