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「かわいければいい」 ポルトガルの町に漂う“不完全さを愛している”空気

乾祐綺(フォトジャーナリスト)

2026年07月13日 公開

「かわいければいい」 ポルトガルの町に漂う“不完全さを愛している”空気

完璧で洗練されているものが良い。親しみやすいものが良い。そうした価値観は人それぞれですが、「完璧じゃなくても愛そうとするポルトガルは、どこか穏やかな幸福の空気をまとっている」と、日本とポルトガルの2拠点で活動する乾祐綺さんはいいます。

ポルトガル人が大切にする「かわいければいい」という考え方――本稿では、その考え方を乾さんに紐解いていただきます。

※本稿は、乾祐綺著『西の果てで見つけた ポルトガル人のほどよい生きかた』(クロスメディア・パブリッシング)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「かわいければいい」という素朴な美意識

ポルトガルに暮らしていて気づくのは、この国の人は「かわいい」という感覚をとても大切にしているということだ。ここでいう「かわいい」は、日本の「カワイイ(Kawaii)」とは少し違う。「なんとなく好き」「心がふっと温かくなる」というような、もっと素朴で肩の力が抜けた美意識に近い感じ。

この「かわいい」をポルトガル語で表すと、実は1つの言葉では足りない。日常で頻繁に使われるものの1つに「フォフォ(Fofo)」という言葉がある。これは子どもや動物に使われるような、甘くて愛らしいかわいさ。やわらかい毛布や、小さなぬいぐるみを見て「かわいい〜」と言うときの、あのトーンに近いような。ちなみに赤ちゃんなどに使う場合は「フォフィーニョ(Fofinho)」になる。

「ボニート(Bonito)」という言葉も、かなり使う。どちらかといえば「かっこいい」「美しい」「整っていてきれい」というニュアンスに近いかも。英語の「ビューティフル(Beautiful)」「ハンサム(Handsome)」。素朴なかわいさというよりは、もう少し"きちんとした美しさ"のための言葉だ。

「ジーロ(Giro)」もある。見た瞬間に「いいね」「好きだな」と感じる、あの軽やかな心の動きに近いかもしれない。英語の「クール(Cool)」的なものともされる。さらに形が完璧でなくても、どこか愛着が湧いてしまうもの――そうした生活の中のかわいさに対して、ポルトガルの人は自然に「Que giro!(ケ・ジーロ!/なんて、すてきなんだ!)」と言うことが多い。

ポルトガル語の「かわいい」の語彙が豊富でニュアンスが細かいのは、日常生活の中で実際にうまく使い分けられているからだ。「フォフォ」はふんわりとした甘いかわいさ。「ボニート」は構図や形が整った美しさ。「ジーロ」は軽くて、感じがよくて、好きというニュアンス。街で暮らすと、これらの言葉が本当に毎日のように飛び交っていることを知る。語彙の多彩さは価値観の豊かさだ。

 

「かわいい」は、世界を赦す練習になる

厳密には違うのだろうけれど、これら"総合的かわいい"の語彙を、本当にみんなよく使う。子どもに向けて言うのはもちろん、道端の花、カフェの壁に飾られた絵、少しレトロな看板、洗いざらしのテーブルクロス、昔ながらのおばあちゃんのエプロン姿にまで――彼らは迷いなく、さまざまな言葉を使って「かわいい」で表現する。

これがとってもいい。完璧さを求めるよりも、心が動いた瞬間を大切にする、しかも微細にその差異を表現する。この国ならではの感覚が、「かわいい」にはある。判断基準が「かわいい」。

日本で暮らしていたころは、「かわいい」という言葉はどちらかといえば微細な表現ではなく、"とりあえず使う"的な言葉だと感じていた。ポルトガルでも、年齢も性別も関係なく、人々は自然に「かわいい」という言葉を使うのだが、その表現が機微に富み、日常の細部に宿る愛嬌みたいなものに向けて、細かく分類されているのがいい。

ファッションを見ていても、その感覚がよくわかる。年配の女性が着ている花柄のブラウスや、少し大胆な色の組み合わせのニット。それを本人が気に入って着ているだけで、街の人たちは「かわいい」と受け止める。そこには、トレンドから少し外れていても、その人らしさが出ているかどうか、を大切にする眼差しがあるように思えてならない。

広告なんかにも、この価値観が反映されている。日本の広告は洗練や正確さが前に出ることが多いが、ポルトガルでは「見ていて楽しい」「親しみがある」ことがなによりも大切にされているよう。リスボンでは、劇場やフェスのポスターなどに、手描きのタッチや遊びのあるフォントを取り入れたデザインが多く見られ、国内外のデザイン誌や展覧会で紹介されることも少なくない。街角のフライヤーでさえ完成度が高く、つまり、素朴で愛嬌のある美しさと、プロフェッショナルな技術が調和しているのだ。

スーパーのパッケージは少し素朴で、どこか手描きのタッチが残っている。レストランのメニューの文字が少し曲がっていても、それすら味になっている。街を歩いていると、古い店舗の看板に描かれたレトロなフォントや、色褪せたイラストが残っていることが多い。日本ならリニューアルされてしまうような看板が、ここでは街の記憶としてそのまま残される。美しさの基準が正確さではなく、愛嬌や親しみに軸を置いているからだろう。

そして、この"かわいければいい"という感覚は、人に対しても同じだ。公園でお喋りするおじいさんたちや、エプロン姿で買い物に出てきたおばあちゃん。彼らの仕草や表情には、若さや洗練とは違う、素朴な愛嬌がある。歳を重ねることそのものが、この国ではチャーミングなのだ。

日本では、年齢を重ねると"隠すべきもの"が増えるように感じることがある。しかしここでは、年齢を重ねることがそのまま「かわいい」に繋がっていく。人は完璧でなくてもいい。むしろ不完全さの中に、その人だけの魅力がある。そんなまなざしが自然に息づいている。

 

暮らしの基準を"正しさ"から"かわいい"へ

あらためて、このポルトガルの"かわいければいい"という感覚は、単なる美意識ではなく、生きかたそのものを支える"技術"なのではないかと思えてきた。

かわいいというのは、対象を赦すという態度でもある。正確、完璧でなくていい、揃っていなくてもいい、少し古くても美しい。こうやって日常のあらゆるものを赦すこと(かわいさを見出すことは)は、同時に、自分自身を赦すことにも繋がるのではないか。

人は、自分に厳しすぎると幸福になれない。でも、「かわいい」という視点を持つと、不完全なままでも前に進める。ポルトガルの街に漂う「かわいい」は、人生を少し軽やかにしてくれる。生活の中にある小さなゆらぎをそのまま愛せる力。完璧であることよりも、愛嬌があることを大切にする心。その価値観が、この国に穏やかな幸福の空気をつくり出している。

そしてポルトガルでは、街全体、人の多くが、まるで"かわいいものを見つける目"を持っているのではないかとさえ思えてくる。完璧である必要なんてない、という価値観があるように思える。愛嬌を感じ取る力が、この街の幸福感を底から支えているのだ。「かわいい」とは単なる形容詞ではなく、この国に受け継がれてきた、ゆるいけれど確かな幸福の技術なのだ。

プロフィール

乾祐綺(いぬい・ゆうき)

フォトジャーナリスト

ポルトガルと日本を拠点に活動するフォトジャーナリスト、編集者、プロジェクトディレクター。ANA機内誌『翼の王国』、伊藤忠商事会報誌『星の商人』、ソーシャル&エコマガジン『ソトコト』など、メディアの取材・撮影を通じて、これまで世界約60ヵ国を巡る。日本では主に里山に伝承される手仕事や農的暮らしの聞き取り、他方、ポルトガルでは「人生の楽しみかた」をテーマに、同国の奥深い文化や社会活動を多角的に取材・発信する。
現在、雑誌『Pen』や『婦人之友』などでポルトガルのトレンドや生きかたなどに関するコラムを連載中。フォトジャーナリズムを軸に、プロジェクトや実店舗運営なども通じて、日本とポルトガルの橋渡しを続けている。

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