「みんなが着ている流行りの服だから」――服や家具などを選ぶとき、自分の"美意識"よりも流行を意識する。そんな経験をしたことがある人は多いかもしれません。ところが、パリの人々は流行に振り回されず、誰かの基準で考えることは少ないと、暮らしのコンサルタントである小栗きくこさんはいいます。
パリジェンヌのはどんな美意識を持ち、その意識はどのように磨かれていくのか。長年パリに住んでいる小栗さんに紹介していただきます。
※本稿は、小栗きくこ著『パリ時間』(大和出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
心地よさは、日常の「しっくりくる」の積み重ね

眠る前、自分にぴったりの本を開く静かな時間。
パリで暮らすようになって、私は、「美しさ」とは、誰かと比べるものではなく、「毎日の積み重ね」の中にそっと宿るものだということに気づきました。
たとえば、白髪を染めない女性。パリでは、白髪が目立ってきても、あえて染めない女性をよく見かけます。しわも「人生の軌跡」として自然に受け止められていて、鏡の前で「欠点」を探すのではなく、メイクも洋服も、今の自分と向き合いながら「今日はどれが一番しっくりくるかな」と一番合うものを選び取ります。
こうした姿勢は、どこか「物を片付ける」ときのプロセスと似ています。物を片付けるときも、大切なのは「理想像のイメージに合わせること」ではなく、「今の私は何を心地いいと感じている?」と自分の状態を観察することだからです。さらに、パリの人たちは、流行りに振り回されることがほとんどありません。なぜなら、誰かの言葉より自分の感覚を信じているからです。
石畳の多い街だからこそ、無理にヒールを履かないのもそのひとつです。無理をして背伸びをするより、自然体で軽やかに歩けるものを選んでいるのです。その選択には「これでいい」ではなく「これが今の私らしい」という静かな確信があります。そして、こうした「選ぶ姿勢」そのものが、美しさの根っこなのだと思います。
年齢を重ねる美しさも、暮らしの中で生まれる美しさも、特別なことをしなくても自分を大切に扱い、観察し続けることで育まれていく。美しさとは、「今の自分に寄り添う小さな選択の積み重ね」。そんなパリの人たちの美意識は「自分を丁寧に扱うこと」と、どこか通じるものがあると感じています。
芸術が身近にあるから、「美しさを見つけるセンサー」が磨かれる

美術館を貸し切って、子供たちの遠足へ。
パリで暮らしていて驚くのは、当たり前のように「美術館」や「映画」が、子供たちの日常に組み込まれていることです。私の娘たちが通っていた小学校では遠足の行き先がルーブル美術館やオルセー美術館だったのですが、遠足当日は私のほうがワクワクしていました。
休館日でさえ、学校のために特別開館する美術館もあり、子供たちは静かな館内でガイドの説明を聞きながら、本物の絵画や彫刻をじっくり鑑賞します。大人でも特別に感じる体験が、「日常」として存在しているのです。
また、パリでは映画鑑賞も遠足として扱われ、作品を観るだけではなく「どこに心が動いた?」とクラスで感想を共有し合う時間が設けられています。鑑賞とは「正解を探すこと」ではなく、「自分が何を感じたかに気づくこと」。その感覚を、子供たちは小さな頃から自然に身につけていくのです。
美術館での遠足には、親参加型のものもあり、私自身も少人数でガイドと巡る美術鑑賞を体験しました。ゆったりとした空間の中で静かに作品と向き合う時間は、大人の私にとっても贅沢そのものでした。子供たちは作品の前で、ただ「きれいだね」「すごいね」と言うだけではなく、立ち止まり、比べ、気づき、また戻ってくる......そんなふうに鑑賞していました。
そして、家に帰って娘と夕食の準備をしながら、「あの絵のどの色が好きだった?」「どうしてあそこに立ち止まっていたの?」と話す時間は、私にとっても新たな気づきをもらえる大切なひととき。子供の視点を借りることで、私自身も、もう一度作品を味わい直すような感覚になりました。
芸術を特別視しない文化で育つ子供たちにとって、「美しさは遠い場所にあるもの」ではなく、「日常の中に見つけるもの」。美術館が身近にあり、心の動くものに素直に立ち止まる経験を重ねることで、「美しさを見つける目」はゆっくり磨かれていくのだと思います。
街全体に、ちょっとした「暮らしへの美意識」があふれている

街の中に自然と溶け込むカフェの一角。
パリの建物には小さなバルコニーがついているものが多く、鉄の手すりに花の鉢が並んでいます。通りを歩いていると自然と目線が上に向き、窓辺やバルコニーに揺れる花が、通りの景色をやわらかく彩っています。同時に古い建物の連なりや、広い空、整えられた景観に意識が向くことも。それらが、暮らす人たちのものの見方や感じ方までも育てているように思います。
パリでは、歴史的建造物の周辺だけでなく、街全体が歴史と調和するように設計されていて、ノートルダム大聖堂やエッフェル塔、凱旋門の周辺では建物の高さが制限され、空の広さや街の景観が守られています。「街の美しさを大切にしたい」という想いが、暮らしの背景に静かに息づいているのです。
洗濯物を外に干せないのも景観を乱さないため。地区によっては、建物の外観を守るために、窓枠にアルミやプラスチックなどの素材を使えず、木枠で作ることが義務づけられている場所もあります。さらに、エアコンの室外機を外に設置できない建物も多く、歴史ある街並みを壊さないためのルールが今も受け継がれているのです。
そして、パリのアパルトマンには今も「昔の形」が残されています。1階の入り口が驚くほど大きい建物もあり、かつては馬に乗ったまま出入りしていたと語られることも。こんなふうに「街を美しく保つ」という考え方が、住む人のふだんの暮らしに自然に溶け込んでいて、パリの街並みは、「美しさは作り込むものではなく、受け継いでいくもの」と教えてくれているようです。
この街で暮らしていると、建物だけでなく、人々の装いにもパリらしい美意識がさりげなくにじみ出ていることに気づきます。特に私が好きなのは、幼稚園や学校の先生たちが自分たちのためにおしゃれを楽しんでいる姿です。
たとえば、小さなゴールドのピアスに深い緑のストールを合わせる、淡いベージュのニットにそっと揺れるシルバーのイヤリングを合わせる。控えめだけれど上品な組み合わせに、「自分が心地いいと思うかどうか」で選んでいる、さりげない美意識が垣間見えます。
街の景観を守るルールも人の身だしなみも、「誰かに評価されるための美しさ」ではなく、「自分たちの暮らしをより心地よくするためのもの」。散歩道、色褪せた石壁、同じ高さで連なる屋根......何気ない風景の中の小さな工夫でさえ、自然と美意識の土台を形作っているのだと感じます。







